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「病床の献身、愛は尽きず」

章1:嵐の前


月明かりに照らされた静月殿。

絹のしとねに並んで座る朱華と雪藍は、静かな夜を過ごしていた。

香炉からは沈香が淡く漂い、月の光がふたりの肩に銀の衣を纏わせている。


「朱華様、こうして寄り添っているだけで、胸が満ちてゆきます」


雪藍は朱華の肩に頬を寄せ、囁く。


「俺もだ。お前が隣にいてくれる、この一刻こそが何よりの宝だ」


朱華はその指を絡め取り、優しく唇を重ねる。


けれど、その穏やかな夜は長く続かなかった。

朱華の身体が微かに震え、唇から熱い吐息がこぼれ落ちたのだ。


「朱華様? お顔が赤うございます…」


慌てて触れた額は、驚くほど熱かった。


数日を経るうちに、熱は下がらず、咳が増し、衰弱の色が濃くなる。医師たちは「疫病の兆し」と告げ、妃の接触を禁じた。


章2:命の選択


寝殿の外には、宦官や侍女たちが必死に諫める声が響いていた。


「妃殿下!どうか御身をお守りくださいませ!」


宦官が地に額をすりつける。


碧葉は涙をにじませ、「殿下に万が一のことがあれば、我らはどう生きてゆけばよいのです」と声を詰まらせる。


葵は雪藍の袖を掴み、「どうか、どうかお心をお鎮めください。殿下は妃殿下の御身を誰よりも案じておられるのです」と懇願した。


菫は嗚咽を堪えながら、「殿下の傍におられたいお気持ちは重々わかります…ですが、妃殿下まで倒れてしまわれたら…!」と泣き崩れる。


雪藍はしばし瞼を伏せ、静かに彼女たちを見渡す。


「…わかっています。けれど――」


顔を上げたその瞳は、涙に濡れてなお揺るがぬ強さを宿していた。


「この命は、あの方の傍にあるためにあるのです。離れるくらいなら、いっそ共に病に伏しましょう」


その声に、侍女たちは息を呑み、涙ながらに道を開けた。


章3:香りと愛の献身


雪藍は人払いをし、帳の内へと足を踏み入れる。そこには汗に濡れ、荒い息を吐く朱華が横たわっていた。


「朱華様…」


雪藍はその手を取り、自らの頬に押し当てる。熱に浮かされた掌が震えている。


(この手は、国を護る剣を握り、民を導いてきた手。そして、わたくしの心を射抜いた、あの力強い手……。それが今、こんなにもか弱く震えているなんて)


「…せつら…」


熱にうなされる朱華の唇から、うわ言のように、か細く名が呼ばれた。


「…行くな…ひとりに…しないでくれ…」


その弱々しい本音に、雪藍の胸は締め付けられる。


「はい…どこへも参りません。ずっと、おそばに…」


彼女は濡れ布を額に置き、薬湯を匙で掬う。だが衰弱した朱華は飲み下せず、唇からこぼれ落ちた。

雪藍はためらいなく、自ら口に含み、そのまま朱華の唇へと分け与える。

唇が触れるたび、彼の喉がかすかに動き、彼女の与える一滴を必死に受け止めようとしているのが伝わってきた。


「大丈夫です…少しずつ、ゆっくり…」


薬湯だけでなく、雪藍は小さな香炉を持ち込んだ。

熱を下げ、精神を落ち着かせる効果のある特別な薬草を、師である翠芳の教えを思い出しながら調合する。


部屋に清らかで穏やかな香りが満ちると、朱華の荒かった息が、ほんの少しだけ和らいだ。


(…気休めやもしれません。けれど、わたくしにできるのは、これだけなのですから。届け、わたくしの想い。この香と共に…)


夜を徹しての看病が続いた。

冷たい布を替え、震える手を握り、香を焚き、そして愛を注ぎ続ける。


章4:再生の祝宴


やがて数日を経て、朱華の熱は和らぎ、咳も次第に収まっていった。

やっと開いた瞳が雪藍を映す。その眼差しは再び光を宿していた。


「…お前がいてくれたから、生き延びられた」


弱々しくも真実を告げる声。


「朱華様…!」


雪藍の瞳から涙が溢れる。

朱華はその涙を指で拭い、かすかな笑みを浮かべて囁いた。


「命を繋いだのは薬ではない。お前の愛だ」


雪藍は嗚咽をこらえきれず、ただ強く彼の胸に顔を埋めた。


その夜、病が去った寝殿に、雪藍は盆に載せた温かい粥と、梅の塩漬けだけを運んできた。


「朱華様、まずは、これから。ゆっくりと…」


朱華は、雪藍に「あーん」と食べさせてもらいながら、子供のように微笑んだ。


「…世界中のどんなご馳走よりも、お前が食べさせてくれる粥が一番美味い」


その不器用で、しかし心からの愛情表現に満ちた食卓は、どんな盛大な祝宴よりも、二人にとっては温かく、幸せなものだった。


彼らは並んで月を仰ぎ、互いの手を強く握りしめる。


「雪藍。もう一度誓わせてくれ。お前と共に生き、共に時を重ねると」


「はい…この命が尽きるまで、朱華様と共に」


月影の下、再生した愛は、これまで以上に強く、深く結ばれていた。

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