「愛を奏でる月夜」
章1:月下の笛の音
満月の夜、静月殿。
朱華と雪藍は月を眺めながら夕餉を取っていた。
膳には、月見酒として春に漬け込まれた桃の果実酒も添えられている。琥珀に染まったその一献は、甘やかに香り立っていた。
「月を眺めながらの酒も悪くないだろう?桃の果実酒なら雪藍も気に入るだろうと用意させた」
「はい、とても芳醇な香りがして…甘くて美味です。いくらでも飲めてしまいそうで…」
頬を仄かに朱に染め、恥じらうように盃を傾ける。
「程々にな。以前、葡萄酒を飲みすぎた夜の雪藍といったら……なぁ?」
唇の端に妖しい笑みを浮かべ、艶やかに囁く。
「も、もうあのようなことには……。 今宵は節度を持って嗜みますから」
慌てて盃を置き、視線を逸らす。
「ふむ、俺としては酔って積極的になる雪藍も、悪くはないがな」
盃を口に運びつつ、熱を帯びた瞳で雪藍を見つめた。
話題を変えるように、雪藍は月を仰ぐ。
「ほら、朱華様。月があんなにも輝いて、私たちを照らしています。ほんとうに美しい…」
朱華はほろ酔いの吐息を洩らし、月を見上げた。
「確かに……美しい。胸が高鳴る。今宵は笛でも吹いて、気を静めるとしようか」
雪藍は目を輝かせ、身を乗り出した。
「ぜひ、その音を聴かせてくださいませ」
朱華は静かに頷き、笛を手に取る。それは、黒檀に銀の装飾が施された、見事な笛だった。
「…これは、幼き日に耀明と共に作ったものだ。奴の方が、よほど上手かったがな…」
遠い日を懐かしむような、切なげな瞳。雪藍はその瞳を見つめ、静かに彼の音を待った。
やがて、笛の音が静かに満ちた。
その音色は、ただ美しいだけでなく、どこか遠い日を懐かしむような、切ない優しさに満ちていた。
雪藍は瞼を閉じ、音に身を委ねる。
吹き澄ます朱華の唇、指先のしなやかな動きに、思わず心を奪われていく。
音が途絶え、静寂が戻る。
朱華が静かに息を吐き、瞼を開いた。
その切ない音色の余韻の中、雪藍は、彼の音色に込められた哀しみを、そっと受け止めるように微笑んだ。
「…きっと、耀明様も、聴いておられますわ。朱華様が、今、こんなにも優しい音を奏でていらっしゃったことを」
その言葉に、朱華は一瞬だけ目を瞠り、そして、ふっと表情を和らげた。
「……そうか」
彼は、自分の心の音を完全に理解してくれた雪藍を見つめ、問いかけた。
「どうだった? 俺の愛の音は、雪藍に届いたか?」
雪藍は胸の奥から湧き上がる感情に震えながら答えた。
「はい……心の奥底まで届きました」
そう告げると、頬に一筋、涙が伝う。
朱華はその涙に唇を寄せ、頬へと口づけを落とす。
「ならば良かった。俺の愛を音に乗せた甲斐があった」
囁き、さらに唇を重ねる。
ひとつ、ふたつ、みっつと、優しく深く。
章2:愛の音色を、俺だけに
やがて朱華は雪藍を抱き上げると、寝所へと歩みを進めた。
「次は……雪藍の愛を、俺に奏でてもらおうか。
甘く、とろけるような音色で」
低く囁く声が耳を撫でる。
香木の香りが漂う中、月光が絹の寝具に銀の文様を描いていた。
朱華は雪藍の髪を梳きながら、囁くように願う。
「今宵は……お前の想いを、俺のためだけに奏でてほしい。愛の音色を、俺だけに」
その声音は命令ではなく、優しい願い。
雪藍は朱華の瞳に映る慈しみを受け止め、頬を染めながら静かに頷いた。
月光が照らす寝台の上で、雪藍は意を決したようにそっと身を起こす。
朱華の熱を帯びた視線が肌を焼くのを感じながら、彼女は恥じらいに震える指先で、そっと衣の合わせに触れた。
一枚、また一枚と、絹の衣が月光の中に滑り落ちていく。
その仕草は、まるで秘められた旋律を紐解くかのようだった。
やがて、全てを解き放たれた彼女の白い身体が、月光の下に現れる。
それは、どんな楽器よりも雄弁に愛を語る、至上の音色。
そのあまりの美しさに、朱華は息を呑んだ。
「…ああ、美しい。雪藍、お前が奏でる愛の音色は、俺の魂の弦を、指先ひとつで掻き鳴らす」
章3:調べを、完成させて
朱華は雪藍の涙の滲む目じりに唇を寄せ、囁いた。
「もう少しだけ…その美しい姿を、俺だけに見せてはくれないか?」
その言葉は、雪藍の心に更なる羞恥と悦びの火を灯す。
彼女は彼の隣に寄り添い、その肌にそっと自らの肌を重ねた。触れ合った場所から、熱が伝わり、互いの鼓動がひとつの律動を刻み始める。
「んぅ…っ、朱華様…っ!」
もう、自分だけではこの感情の嵐に耐えられない。
雪藍は口づけの合間に、懇願するように潤んだ瞳で朱華を見上げた。
「朱華様…っ!もう、ひとりでは…寂しいです…っ。
お願いです、あなたの熱という音を重ねて…わたくしの愛の調べを、完成させてください…っ!」
その言葉が、朱華の最後の理性を焼き切った。
彼は雪藍を優しく抱きしめ、その唇を深く塞ぐ。
二人の旋律が重なり合い、部屋は言葉にならない愛の音楽で満たされていった。
個別の音色だった二つの魂は、月光の下で溶け合い、完璧な一つの和音となって響き渡る。
章4:生涯をかけて奏でる愛
しばらく、二人は互いの身体を繋いだまま、荒い息を整えていた。朱華は汗で濡れた雪藍の髪を優しく梳き、その額に何度も口づけを落とす。
「…雪藍。お前の奏でる愛は、どんな名笛の音色よりも、俺の心を震わせる」
その囁きに、雪藍は腕の中ですり寄るように身を甘えさせた。
「わたくしの音は…朱華様にだけ、聴いてほしくて…。今宵、わたくしは、ちゃんと奏でられておりましたでしょうか…?」
「ああ、もちろんだ。これまで聴いた中で、最も甘く、最も美しい音色だった。…毎晩、俺のためだけに奏でてほしい」
朱華はそう言うと、雪藍の指を取り、その薬指にそっと口づけをする。永遠の愛を誓うように。
「いつか、お前との子をこの腕に抱く日が来ても…
その子に嫉妬してしまうほどに、俺はお前の音を求めるだろう」
その言葉に、雪藍は息を呑み、胸を熱くする。
「はい、喜んで。朱華様が望んでくださるなら、わたくしの全てで、生涯をかけて愛を奏でます」
雪藍は朱華の胸に顔を埋め、幸せを噛みしめる。
香木の香りと、朱華の匂いに包まれ、とろとろと意識が蕩けていく。
月の光が、寄り添う二人をいつまでも優しく照らし続けていた。




