「甘やかな口づけの雨」
朝靄に包まれる静月殿。几帳の内では、まだ布団の温もりに身を預ける二人の姿があった。
雪藍は半ば夢の中で朱華の袖をぎゅっと握り、布団にしがみついたまま小さな声をもらす。
「……もう少しだけ……こうしていたいのです……」
朱華は寝起きの低い声で微笑を含み、彼女の髪を撫でた。
「政務よりも、お前の寝顔の方がよほど罪深い。……雪藍、俺を仕事に行かせぬつもりだな?」
雪藍は頬を染め、布団の中でくぐもった声を返す。
「……はい……少しでも長く……朱華様と……」
襖の外で控えていた侍女三人は、思わず小声を漏らした。
碧葉「……殿下のお声が、優しすぎて。お耳が蕩けてしまいそうです……」
葵「うわぁ……雪藍様、殿下にあんな風に甘えられるなんて!羨ましすぎますっ!」
菫「まるで恋絵巻の一場面……夢のように美しい……」
雪藍は布団の中から思わず声を張る。
「き、聞こえてますよ…!」
顔を真っ赤にして布団に潜り込む雪藍を見て、朱華は堪えきれず笑みを零した。
「……いい、雪藍。お前は俺だけに甘えろ。他の誰にも見せるな」
その囁きに、雪藍は胸の奥をくすぐられるように熱くなり、そっと朱華の胸に顔を埋めた。
昼下がり、静かな花園。柔らかな陽光に花びらが舞い、雪藍の髪にひらりと落ちた。
朱華はその花弁を指で取り、愛おしげに見つめる。
「花よりも、お前が美しい」
雪藍は耳まで赤くし、俯きながら囁く。
「……慣れません、でも……嬉しいです」
朱華は微笑んだまま、その花弁を指で取ると、雪藍の潤んだ唇の上にそっと乗せた。
「慣れなくていい。……この花びらの味ごと、お前を味わいたい」
雪藍が驚きに息を呑む間もなく、朱華は彼女の唇に優しく触れた。
昼下がりの柔らかな光の中で、雪藍の世界は甘く震え、時が止まるように感じられた。
夕陽に染まる廊下を、二人は並んで歩いていた。
雪藍は立ち止まり、思わず口にする。
「朱華様のこと……世界で一番、好きです」
雪藍の不意の告白に、朱華は一瞬目を見開く。
周囲を素早く確認すると、彼女の腕を引き、廊下の柱の影へと隠れるように身を寄せた。
「……馬鹿者。こんな場所で、そんな顔で言うな。……誰かに奪われてしまうだろう」
そう言って、まるで宝物を隠すかのように、切なく激しい口づけを落とした。
その確かな響きに、雪藍の胸はまた甘く震えた。
夜が近づくごとに、心の奥に期待が積もっていく。
夜。行灯の光が几帳の内でやわらかく揺れている。
雪藍は布団の中で身を寄せ合いながら、小声で囁いた。
「……眠れません……」
朱華は静かに笑みを含み、彼女の額に唇を落とす。
「眠れぬなら、俺が眠らせてやろう。……口づけで」
彼は額から瞼へ、頬から耳へ、ひとつひとつ丁寧に口づけを落としていく。
「この瞳は、俺だけの瑠璃だ」と瞼に。
「この頬は、俺だけが赤く染めていい」と頬に。
「そして、この唇は、俺の名だけを呼べばいい」
雪藍は息を詰め、声にならぬ声を洩らした。
「朱華様……もう……反則です……。大好きです……」
朱華は最後に唇を重ね、深く囁く。
「雪藍。その瞳で俺だけを見ろ。何度でも恋に落ちさせてやる」
雪藍は胸が甘く締めつけられ、思わず彼の衣を掴んだ。
「……はい……永遠に、朱華様だけを……」
朱華は彼女をしっかりと抱きしめ、耳許で囁く。
「永遠に離さぬ」
二人の間には、口づけよりも濃い沈黙が広がり、やがて甘い眠りへと溶けていった。




