「天女の舞い降りる夜」
章1:嫉妬の炎と、秘密の微笑み
宴の間、宮殿の燭光が柔らかく揺れる中、皇太子朱華とその妃・雪藍は席についた。
周辺国の使節に随行する女性たちの視線が、朱華の端正な姿に釘付けになり、思わず息を呑む。
朱華は淡く微笑みを返す──そのほほ笑みは、形式に則った礼儀でありながらも、空気を和らげ、女性たちをのぼせ上がらせる。
横に座る雪藍は、そのほほ笑みが形式的なものだと分かっていても、胸の奥に嫉妬の炎を灯す。
机の下でそっと朱華の手を握りしめる雪藍に、朱華はそっと視線を向け、愛情に満ちた微笑みを返した。
その一瞬が、雪藍にとって何よりの祝福であり、安心でもあった。
時が流れ、宴の雰囲気が一段と盛り上がる頃、雪藍は化粧を直すため席を立った。
朱華はすぐに戻るだろうと待ち構えていたが、時間が経つにつれ不安が募る。
そしてついに、宴の華である「鳳凰舞」の刻が訪れた。
舞台に上がったのは──予想を超えて、この日のために仕立てられた特別な衣を纏った、雪藍だった。
章2:鳳凰の舞、香りのラブレター
(……どうか、最後まで舞いきれますように)
薄絹の重ね衣には金糸で鳳凰や雲紋が刺繍され、袖の先端には小さな鈴が揺れる。
舞うたびに微かな音が響き、神聖さと静寂の対比が際立つ。
(この音が、私の鼓動を隠してくれますように)
足元には薄く散らされた花びらと金粉が光を受け、舞うたびに光と影が揺れた。
観客は息を呑み、香炉の煙、月光、微かな風が舞う空間を漂い、髪や衣装をかすかに揺らす演出に息を飲んだ。
(朱華様……見ていてください。これは、あなたのための舞です)
舞台から、三種の香りが時間差で広間へと流れ始めた。
朱華はその香りを吸い込んだ瞬間、息を詰めた。
(沈丁花…俺と雪藍が出会った、あの夜明けの香り。梅香…彼女の故郷、額田の香り。そして白檀…俺が、あいつの魂に触れた、あの香室の香りか…! 全て、俺たちの物語ではないか…!)
雪藍の舞は、ただ美しいだけでなく、二人の愛の歴史そのものを香りで表現した、朱華への究極のラブレターだった。
音楽は編鐘、古琴、笙、鼓が静と動の緩急をつけ、観客の呼吸や鼓動に呼応するような間を意識して演奏される。舞のピークで楽が一瞬止まり、会場は雪藍の衣擦れや袖の音、そしてかすかな香の香りだけに包まれ、緊張感が極まった。
(……今、この一瞬にすべてを込める)
雪藍は袖を翻し、足を滑らせ、視線を巧みに伏せながら舞う。
(朱華様だけに、この心を見せたい)
そして、朱華にだけ見えるようにウインクを交えたその瞬間、彼の心臓は本当に止まるかと思うほど高鳴った。
胸の奥で火花が散り、全身の感覚が雪藍に集中する。
(……気づいてくれた)
手を握りしめたくなる衝動を抑え、朱華は机にそっと手を置き、息を呑んだ。
雪藍の微笑み、瞳、香、そして舞そのものが、彼の理性を跡形もなく溶かしていった。
章3:天女への讃辞
「美しすぎる…雪藍…お前はどうして…こんなにも俺を惑わせるのだ…!」
心の中で呟く朱華の声は、舞台の華やかさにも勝るほど熱を帯びる。舞う雪藍の袖の先の鈴が奏でる微かな音まで、まるで彼女の鼓動を伝える合図のように響いた。
皇上は静かに舞を見つめ、一言呟いた──
「美しいな」。
皇后も微笑み、朱華に向かってささやく──
「よくご覧なさい。あなたの妃であり、今宵、天から舞い降りた天女の化身ですよ」
(天女……そんな大それたものではない。ただ、あなたのために舞う女です)
雪藍は心の中で、そう呟いた。
舞が終わると、会場は盛大な拍手に包まれた。
その拍手の中、蓮花は一人、顔を蒼白にして立ち尽くしていた。扇を握りしめる指先は、白く震えている。
「ありえない…あんな、香女ごときが…天女…だと…?」
プライドも、家の威光も、すべてを打ち砕かれた完全な敗北。彼女は、周りに合わせて力なく拍手をしながらも、その瞳からは光が消えていた。
朱華の心臓はまだ高鳴り続け、雪藍が放つ香と神々しい姿の余韻に浸っていた。
章4:二人だけの夜
静月殿に戻ると、朱華と雪藍は二人きりになる。
雪藍は舞の練習を隠していたことを詫び、朱華は微笑んで答えた。
「お前が侍女たちと何か隠していることは気づいていた。しかし、まさか今宵のことだったとは」。
そして朱華は雪藍をこれでもかと褒め称え、胸の内の愛情を言葉に乗せた──
「雪藍、お前の舞はただの芸ではない。天と地を結び、俺の心を震わせた。袖の翻し方、足の運び、視線のすべてが、俺を惑わせ、心を奪った。お前は美しい…いや、美しすぎる。俺の妃であるだけでなく、天女そのものだ…。お前の一挙手一投足に、俺の愛は限りなく膨らむ。香りも、息づかいも、すべてが俺の心を満たす。雪藍、お前は俺の理性も忘れさせるほどに官能的だ…」
朱華の目が静かに輝き、まるで初めて恋を知った少年のように、少しだけ照れた、それでいて熱のこもった声で、雪藍の唇に向かって囁く──
「天女様…今宵はわたくしめに口づけを授けていただけませんか?」
雪藍は朱華の胸に顔を寄せ、微笑む──
「いくらでも…」
二人は静かに唇を重ね、香と光、舞の余韻に包まれながら、互いの愛を深く確かめ合ったのだった。




