「永遠を結ぶ日」
吉日、未の刻。薄雲を透かした陽光が、紫宸殿(ししんでん/皇上の即位や重要儀式を行う正殿)の紅絹幔幕(こうけんまんまく/赤い絹で作られた儀式用の幕)に柔らかな金色を落とす。
玉座では皇上と皇后が、厳かな、しかしどこか誇らしげな面持ちでその様子を見守っていた。
絹の表面を撫でる風が、金糸で織られた鳳凰と龍をゆるやかに揺らし、まるで二人の未来を祝福するかのようにきらめかせた。
朱華は冕冠(べんかん/皇族が儀式で戴く冠)を高く戴き、十二章の袍(じゅうにしょうのほう/十二の象徴文様をあしらった皇族の礼服)を纏って玉階(ぎょっかい/玉石で造られた宮殿正面の階段)に登る。
その足取りは威厳を湛えながらも、胸の奥では鼓動が早鐘のように響き、厳かな空気の中にわずかな熱を孕ませていた。
雪藍は、母・静蘭から譲り受けた金細工の鳳凰簪を髪に挿し、霞帔(かはん/女性の礼装で上衣の上に掛ける薄布)を肩にふわりと掛ける。
絹が擦れるたび、ほのかに香木の甘い香りが立ちのぼり、緊張で乾いた喉を静かに潤すようだった。
庭の端で、雪藍の父・遠廉と母・静蘭が娘の晴れ姿を見つめる。
遠廉は柔らかな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄って肩に温かな手を置いた。
「雪藍、お前の選んだ道なら、私は心から認める。幸せになれ」
静蘭は簪を手に取り、雪藍の髪にそっと触れる。
その指先から、幼い頃に髪を梳いてくれた日の温もりが蘇る。
「この簪と共に、母の想いも持って進みなさい」
雪藍は朱華に視線を送る。息が詰まるほどの緊張の中、胸の奥で小さな炎が灯るように熱が広がる。
唇を震わせ、かすかな声で囁いた。
「朱華様……私、ずっとあなたのそばに……」
朱華は一歩前に出て、手を雪藍の手首に絡め、その瞳を深く覗き込む。
「雪藍……今日から永遠に、俺だけの雪藍だ」
その低く甘い声が、雪藍の心臓を一層強く打たせ、頬を朱に染めた。
玉階の前で向かい合い、三拝九叩頭(さんぱいきゅうこうとう/三度拝礼し九度額を地につける最敬礼)の礼を交わす。朱華の掌の温もりが雪藍の全身に伝わり、視線が自然に絡み合う。
「……雪藍、その瞳、俺だけに向けてくれ」
雪藍は小さく息をつき、頷く。
「もちろん……私の全ては、朱華様だけのもの」
その瞬間、ほのかに甘く清らかな香りが漂い始めた。
香女頭(こうじょがしら/宮中で香を司る女官)・翠芳が、雪藍のために特別に調合した香である。沈香と梅花の香が重なり、柔らかく二人を包み込む。
雪藍は目を細め、その香の中に父母の愛と師の祝福を感じ取った。玉座の皇后が、その香りに満足げに小さく頷いたのが見えた。
朱華はそっと手を雪藍の腰に添え、香の揺らぎの中で互いの瞳を見つめる。
「翠芳様の香……私たちのために……」
雪藍は小さく笑みを浮かべ、朱華の指先に自分の指を絡める。
「俺たちの未来を祝してくれているようだな…」
朱華の声が低く、甘く響き、雪藍の胸がきゅんと跳ねた。
合卺の儀(瓠〈ひさご〉を割って作った盃で酒を交わす婚礼の儀式)。
金盆に載せられた瓠の酒器を前に、朱華と雪藍は盃を手に取り、見つめ合う。
(――この一杯で、お前の過去の涙を俺が飲み干そう。…そして、次の一杯で、俺の未来のすべてを、お前に捧げよう)
(――この一杯で、わたくしの孤独だった日々は終わるのですね。…そして、次の一杯で、わたくしの命は、永遠にあなた様のものに…)
二人は、心の中でだけ通じ合う誓いを交わし、静かに酒を飲み干す。
酒の香りが喉を通り、胸の奥に温かさが広がる。
朱華の手は雪藍の手の甲を包み込み、視線を外さない。
「俺の心も体も、すべてお前に捧ぐ」
雪藍は胸の奥で甘い震えを感じながら頬を朱く染め、囁く。
「私も……全てをあなたに…」
太常寺(たいじょうじ/宮中の礼楽や儀式を司る官署)の官吏が冊文(さくぶん/皇帝の命を記した文書)を読み上げ、雪藍は正式に皇太子妃として冊立(さくりつ/皇太子妃に任命されること)される。
百官(ひゃっかん/朝廷の全官僚)が一斉に頭を垂れ、拝礼する。その荘厳な光景の中、雪藍の視界の端に、居並ぶ貴族の娘たちの中に、かつて自分を陥れようとした蓮花の姿が見えた。
彼女もまた、今は雪藍の前に、深く頭を垂れている。
雪藍は、彼女を憎むでもなく、嘲笑うでもなく、ただ、妃としての穏やかな微笑みを浮かべたまま、その光景を静かに受け止めた。
朱華は簪に添えた手をそっと握り、百官の拝礼に応えつつ、二人の心は静かに、しかし確かに高鳴っていた。
庭の端では、娘の晴れ姿を見守っていた父・遠廉と母・静蘭が、そっと手を取り合っていた。
静蘭の瞳からは大粒の涙がこぼれ、遠廉が不器用ながらも優しくその肩を抱き寄せている。
「…見事だな。我らの娘は、鳳凰のように、美しく羽ばたいた」
「ええ、あなた。あの子はもう、私たちの誇りです」
やがて、拝礼を終えた臣下の一人が声を張り上げた。
「皇太子殿下、並びに妃殿下の御代の万歳を祈念し、一同、唱和を!」
その声を合図に、広間は「万歳!」「万歳!」という、地鳴りのような歓声に包まれた。
その轟音の中、朱華が雪藍の耳元に、そっと唇を寄せた。
「……聞こえるか、雪藍。あれは、お前を祝福する声だ。もう、誰もお前を傷つけさせぬ」
その囁きに、雪藍は溢れそうになる涙を堪え、これ以上ないほどの輝く笑顔で、朱華を見つめ返した。
朱華は満足げに微笑むと、彼女の手を固く握る。
そして、二人は並んで玉階をゆっくりと降り始めた。
どこからか舞い始めた無数の花びらが、まるで二人を祝福するように、その衣に、髪に、降り注ぐ。
玉座では、皇上と皇后が、その光景を満足げに、そしてどこか眩しそうに見守っていた。
ここから、二人の本当の物語が始まる。
その確かな予感を胸に、朱華と雪藍は、光の中を共に歩んでいった。




