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49_三者面談

 真夏の陽射しが、容赦なくアスファルトを照りつけていた。

 蝉の声すら遠くに霞むほどの猛暑の中、閑散とした校門の前で、翼はひとり立ち尽くす。


 テストも終わり、夏休み目前である今日は――三者面談の日である。


 心桜を家まで送り届けたあと、翼は学校へ戻り、こうしてとある人物を待っていた。


 背中を伝う汗は、暑さによるものだけではないだろう。

 張りつめた空気に、どこか胸の奥がざらついている。


 少し浅くなった息を整えていると、音もなく黒塗りの車が正門前に停まった。


 開いたドアから降りてきたのは、恰幅の良い老紳士。


「御足労いただき、ありがとうございます」


 翼は一歩前に出て、深く頭を下げた。

 目上の人に対してとる、教科書通りの最敬礼。


 しかしそんな翼へは何も返ってこない。

 翼としても、そもそも返事があるとは思っていないので、すぐさま頭を上げる。


 焼けつくような日差しの下、一拍の沈黙が身を冷やす。


 わずかな逡巡も許されないと悟り、翼は静かに踵を返した。

 無言のまま、校内を先導するように歩き出す。


 その間も、互いに言葉はない。

 ただ二人の足音だけが、閑静な廊下に乾いた音を刻む。


(やっぱり変わらないか)


 心の中で呟いた諦観が、喉の奥に苦い余韻を残す。

 翼はそれを、黙って飲み込んだ。


 この人物は――小宮 一弥かずや


 小宮家の現当主にして、翼の実の祖父である。


 祖母はすでに亡くなっており、翼にとって、この人が唯一の肉親だ。


 それでも、祖父らしい言葉をかけられた記憶は一度もない。

 二人きりの家族でありながら、距離は誰よりも遠く感じている。


 厳格で、冷静で、そして近寄りがたい。


 そのため、三者面談に来るとは微塵も思ってもいなかった。


 翼の両親は早くに亡くなっており、二者面談には慣れている。

 実際中学時代では、こちらを気にする素振りなど全く感じられなかった。


 しかし一弥は何を思ったのか、突如として今回の面談に参加。


 そんな当主の読めない行動と思考に、翼は動揺を隠せない。


「え、えっと、よろしくお願いします。では早速……翼くんは勉学も非常にまじめで」


 三者面談が始まるも、担当は一弥の雰囲気にのまれ、ほとんどの時間を翼の方へ向いていた。


 早く終わらせたい気持ちは明らかで、翼としても同意見であるため、手短に返答する。


 入学以降の成績や生活態度を、ただ確認するだけの形式的な面談。

 わずかな余白すら許されず、早々に幕が下りる。


 終わってみれば、一弥は一言も発していなかった。


 それ自体は受け入れていることなので、翼はそれ以上気にせず、校門までの道のりを先導する。


 しかし、足音が二つ並んで響いたその途中。


「なぜ、勉学に励んでいる?」


 唐突に背中へ声が落ちた。

 低く、よく通る声が翼の鼓動を震わせ、肌に冷気が触れたような錯覚に陥る。


 その問いを受け、反射的に振り返る。

 一弥の表情は、石像のように微動だにしていない。


 翼の焦りが前に出たのか、問われた意味を考える間もなく、喉が勝手に動いた。


「……お嬢様に恥じぬ護衛であるためです」


 疑われる間も作らず、かろうじて即答はできたと言えるだろう。


 しかし、やはりというべきか返事はない。


 無音の時間だけが、容赦なく翼の背中を刺す。

 その沈黙は、叱責するような言葉よりも冷たく、重かった。


 息をひとつ整え、翼は歩みを再開する。


 投げられた問いを思い返せば、徐々に自信が萎んでいく。


 確かに護衛の任務を思えば、勉学は不要でしかない。

 十全な成果を上げられているわけでもない。

 そんな翼の負い目を、的確に射抜かれたと唇を噛む。


 緊迫した雰囲気から、好意的に受け取られなかったことを察する。


 沈黙はこれ以上の会話を必要としていない。

 まるで「温い」と切り捨てられたような感覚が、脳にこびりつく。


 やがて校門にたどり着き、待機していた黒塗りの車のドアが開く。


 乗り込む一弥の背を、翼はただ無言で見送った。





 そののち、小宮家から何かを言われるかと思っていたが、結局何もなかった。

 叱責も、忠告もなく、ただ泳がされているかのような焦りだけが残る。


 そして迎えた――終業式の日。


 夏の熱気に包まれた校舎は、どこか浮かれているかのようにざわめいている。


 ただ隣を歩く心桜はいつもと変わらない様子だった。


 心桜はこの夏休みを実家で過ごすらしく、護衛の任も休みとなる。


 これでしばらく、彼女と並んで歩く通学路ともお別れだ。


 そんなことを考えながら、翼は昇降口を抜けた。


「え」


 靴を履き替えようとした心桜が、ふいに小さく息を呑む。


 その声音に、翼は顔を上げる。


「……まさか」


 焦りを帯びた声に、彼女のもとへ反射的に駆け寄った。


 その視線の先にあったのは、昇降口の靴箱に差し込まれた一通の手紙。


 見覚えのある、しかし久しく見ていなかった光景だった。


 数か月前に起こった、次々と舞い込む決闘の呼び出し。

 あの騒がしい日々も、今では遠い記憶になりつつある。

 その光景が重なり、懐かしさと、かすかな違和感が同時に胸をよぎった。


 とはいえ、こうした事態にはもう慣れたものだ。

 どう対処すべきか、翼の中では自然と段取りが浮かんでいた。


「心桜さん、あとで場所と時間を教えてくれる?」

「は、はい」


 終業式の日ということもあり、時間の都合はつきやすく、人払いもしやすいだろう。

 それに夏休みに入れば、同校の生徒とはしばらく会えなくなる。


 そう考えれば、このタイミングを選んだのも自然なことかと腑に落ちた。


 しかし一抹の不安も残る。

 推測が正しく、前回の告白騒動のように騒ぎ立てないのであれば、今回は本心からの告白の可能性が高い。

 ただ決闘で倒せばいいだけの相手とは、さすがに対応が異なり、気を遣う要素も多い。


 それがもたらす緊張なのか。


 どこかぬぐえない違和感を覚えながら、昇降口を後にした。


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