表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/52

41_お泊り2

 時刻はちょうど夕暮れどき。


 あたりに茜が滲み、平日であれば下校ラッシュが落ち着く頃合いだ。


 ある程度物色が済んだといったところで、アリアが小さく息を吸い手足をぐっと伸ばす。


「それじゃ、いつものとやらを見せてもらいましょうか」


 にこりと笑いながら、視線はまっすぐ翼へと注がれる。


 その言葉を受けて、翼が少し緊張したように頷く。


 意図としては、翼と心桜のふたりが、普段どんな風に過ごしているのかという日常への好奇心からだ。


 特に見られて困るようなことをしていないので、素直に了承したが、いざ見せるとなると若干気遅れする。


 すると、傍らにいた心桜がそっと口を開いた。


「じゃあ、まずは翼くんの家で勉強をしましょう」

「うげぇ……さすがにもう避けられないか……」


 勉強と聞いてアリアが肩をすくめ、まるで世界の終わりでも告げられたかのように顔をしかめる。


 それを見た心桜は、どこか困ったように言葉を重ねた。


「勉強も日課ですから。わたしたちだけでやりましょうか?」

「おれもルーティンは崩したくないし」

「真面目おふたりちゃん……」


 小さくぼやくその声音は、揶揄というより畏怖のようなものを帯びていた。


 しかしその横で、凛乃が鋭く目を細めながら声を投げかける。


「私もやるが? 一番成績が低い、お前はやらないのか?」

「ぐぅ!? 凛乃ちゃんのいじわる~!!」


 凛乃の的を射た指摘に、アリアは大袈裟に肩を抱えて呻く。


 諦めるしかないと悟ったのか、微妙な面持ちのまま、鞄から勉強道具を取り出し始めた。





「では、これぐらいにしましょうか」


 教科書を閉じながら、心桜が柔らかな声で区切りを告げる。


 翼宅のテーブルに四人で座り、勉強に取り組むことしばし。


 時計の短針は、一時間程度進んでいた。


「へ、へけ……やっと終わった……」


 机に突っ伏しながら、アリアが半ば溶けかけた声を上げた。


 勉強という名の試練を終えた彼女の姿は、まるで魂を抜かれたかのようだ。


 限界を迎えた様子の彼女を見ながら、心桜が静かに立ち上がる。


「では、わたしはご飯を作りますね」

「あ、ご飯なら手伝えるよ~。四人分は大変だろうし、ワタシもやるね!」

「ありがとうございます」


 申し出に微笑み返す心桜の後を、アリアが軽やかに追いかける。


 疲れた頭を切り替えるには、ちょうどいい気分転換だったのかもしれない。


 ふたりが仲睦まじく台所へと向かうのを見て、翼も立ち上がる。


「おれは鍛錬をやってるから、もしうるさかったら言ってほしい」

「はーい、頑張ってね~」


 翼を軽く応援するように、アリアがひらひらと手を振る。


 改めて応援されると気恥ずかしく、ほんの少し頬が熱くなる。


 翼は気を取り直して、慣れた動作で着替えを済ませると、無言のままマットの上へと歩を進めた。


 負荷の高い有酸素メニューに身体を預けるようにして、彼は呼吸を整えながら動きを繰り返していく。


 この時間だけは、誰の目も意識せずただ自分自身と向き合える。


 昨日の自分よりも、より強くなっていくために。


 一挙手一投足に神経を熱しながら、淡々と鍛錬をこなしていく。



 一方そのころ、キッチンでは。


 心桜が手際よく野菜を刻みながら、ときおりちらりと視線を翼に向けていた。


 彼が黙々と汗を流す姿を、どこか鼓舞されるようにも、はたまた心配げにも映している。


 その隣でアリアはというと、包丁を持つ手がぴたりと止まっていた。


 明らかに、視線は料理よりも別の方向――つまり、翼へとまっすぐに向いていた。


「すっごいねあれ……凛乃ちゃんから見てどう?」


 ぽつりと、アリアの口から感嘆を含んだ声が漏れる。


 ダイニングテーブルの椅子に腰かけた凛乃が、同じくじっと翼を見つめたまま呟いた。


「常軌を逸してるな」


 凛乃も目を奪われるように、感想をこぼす。


 その重みのある言葉に、「はぇ〜……」とアリアが素直な声を漏らした。


 マットの上で黙々と身体を動かす翼の姿は、もう何十分も変わらない。


 ただひたすらに、自分を磨き上げ、気迫をほとばしらせていた。


 それはもはや常人に真似ができるような、そういう次元ではないと思い知らされるほどだ。


「しかもあれでまだ足りないって言ってるんでしょ?」


 感嘆を通り越して、もはや呆れの混じった口調でアリアが言うと、心桜が苦笑混じりに頷いた。


「はい。見られて恥ずかしいとも言ってましたよ」


 心桜が思い出すように、翼の言葉をアリアへ返す。


 苦笑もあるが、その言葉にはどこか不思議な温かさがあった。


 自慢げではなく、ただ自らに向き合う少年の横顔を、誰が馬鹿にできるだろう。


 黙々と汗を流し、誰に見られずとも積み上げ続けるその研鑽に、言い訳も見栄も存在しない。


 だからこそ、その謙遜がなおさら胸を打つ。


 それを受けて心桜が小さく息を吐くと、傍らのアリアもまた、肩をすくめて笑った。


「いや、こんなん他の女子に見せたらイチコロだよ……ギャップがえげつないもん」

「ギャップ……確かに」

「普段の様子とは似ても似つかないからな」


 教室での翼を知る者なら、おそらく“ガリ勉くん”といった印象が定番だろう。


 無口で、目立たず、ひたすら教科書に噛りつくその姿は、あまりに平凡かつ地味まである。


 ただ、女子の間では翼の整った顔立ちに、惹かれる者も少なからずいた。


 しかしながら、裏で流れている彼の噂が無視できない。


 その姿から連想できないほど物騒なものがいくつも出回っており、ぼっちで声を掛け難いこともあり、現状は様子見にとどまっている。


 発生源は退学・停学した三年であったり、決闘を見たものであったりと様々だ。


 もちろん事実に基づくものもあり、尾ひれがついているものもある。


 それらを変に曲解されないように、アリアはコントロールしつつ、女子への牽制にも使っていた。


 いろいろと事情を把握してる彼女は、やっぱり自分がやったことは正解だったと思いながら、心桜へ尋ねる。


「しかもあれ、心桜ちゃんを守るためにやってるんだよね?」

「……はい」


 改めて問われれば、心桜は照れたように、けれどしっかりと頷いた。


 その声音には、自分だけが知る何かを抱えるような、奥ゆかしい熱があった。


 目の前で黙々と続く鍛錬。

 それとは別に、彼の過去と、限界を突き詰める模擬戦。

 彼の多くを知る心桜の表情は、万感の思いで溢れている。


 心桜ほどは知らないアリアですら、誰にも誇らず、見返りも求めず、ただ主を守るために続けられている研鑽を目の当たりにすれば、お世辞のない感嘆を口にせずにはいられない。


「さすがは騎士様だなぁ……」


 その言葉には、からかいも飾り気もない。


 視線の先、今もなお動きを止めず、真剣な表情で汗を滲ませる翼。


 大仰ともいえる渾名ですら、彼の前では霞んでいるかもしれない。


 同意するように、凛乃もまた静かに一度だけ頷く。


 口には出さないが、その眼差しには確かな敬意が宿っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ