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39_気遣い

「おはようございます」

「おはよう……?」


 襲撃の翌日も、雨はしとしとと降っていた。


 湿った空気が肌にまとわりつく朝。


 そんな中で、心桜の所作はどこかぎこちなく見えた。


 その微細な揺らぎが気になり、翼は彼女に声をかける。


「心桜さん、体調大丈夫?」

「……どうしてそう思ったんですか?」

「いや、なんとなくだけど……いつもより元気がないように見えたから」

「よ、よく見てますね」


 小さく目を開いて驚いたような表情を浮かべる心桜。


 ただこうして気付くのは、前の襲撃時にもあったことだ。

 さらに言えば、その後の翼の体調不良についても心桜の方が気付いたりと、意外と意識しなくても互いの体調の変化は分かるものなのだろう。


 自分で言いながら心桜もそのことを思い出したのか、軽く笑みを浮かべて、こちらを安心させるかのように穏やかに話す。


「いろいろ重なっただけなので、気にしないでいただいて大丈夫ですよ。学校に行くのも問題ありません」

「そう? 心桜さんがそう言うなら止めないけど」


 ただ彼女の唇に浮かぶ笑みは、ほんの少しだけ力の入りすぎたものだった。


 少し無理気味な表情だとは思ったが、心桜の意思を尊重することにして、それ以上は否定しないでおく。


 しかしこういう時ぐらいは、少しばかり手を貸してもいいだろうと思い、彼女に提案する。


「よかったらさ、荷物を預からせてくれないか?」

「え? い、いえ。いつも通りでいいですよ?」

「いいからいいから。たまには護衛面させてよ。ね?」


 言葉とともに、軽く笑みを添えて鞄へ手を差し伸べる。


 翼の柔らかい表情を見ながら、心桜は笑みを困ったものに変え、「立派な護衛ですよ」と告げながら鞄を手渡した。


 こうやって少しの抵抗で引き下がるあたり、やはりそこまで本調子ではないのだろうと察する。


「じゃ、エレベーター呼んでくる」


 そう告げて先に歩き、エレベーターのボタンを押す。

 低く響く機械音とともに扉が開き、ちょうど近くまで寄ってきた彼女を振り返って迎えた。


 恭しく一礼を添えつつ中へ案内すれば、心桜は「もう」と小さく息をもらす。


 困ったように、それでいてどこか茶化すように、口元を綻ばせていた。





 学校に着き、つつがなく授業が始まる。


 ふとした合間に視線を送れば、やはり心桜の表情には薄く翳りがあった。


 翼にしては珍しく、教室でも積極的に彼女の傍へ行くことを心に決め、小休憩の時間にそっと声をかける。


「心桜さん、飲み物買ってきたけどいつものでよかった? あ、あと帰りは車手配しとくね」

「は、はい。ありがとうございます」

「何かあったら気軽に呼んでね。頼ってくれたら嬉しいから」


 それ以上は踏み込まず、最低限の気遣いだけ残して席を離れる。


 ほんの少しでも支えになれたらいいなと、ただ純粋にそんな想いだけを抱きながら。


 そんな調子で午前を終え、昼休みにはいつもの四人で弁当を囲む。


「心桜さん、どうぞ」

「さ、さすがに悪いですよ翼くんっ」

「……なんかすごいね、今日の小宮くん」


 わざわざ立って心桜のために椅子を引く翼を見て、アリアがぽつりと呟いた。


 やっと主の役に立てると意気込むにしても、さすがにはりきりすぎたと、申し訳なさそうに返事した。


「いや昨日、おれのせいで雨に濡らしちゃったし」

「昨日? あー、例のアレね」


 大っぴらには言ってないが、昨日襲撃があったことは協力者である2人にも知られている。


 なるほどと合点がいったようなアリアへ、言葉を続ける。


「そう。その時に、心桜さんを抱えて走ったから」

「なにそれお姫様抱っこじゃん!!」


 ぱっとアリアの瞳が輝き、声が一段高くなる。


 先ほどまで湿気じみていたアリアだが、急にテンションが上がって「きゃー!」と無邪気にはしゃぐ。


 一転して賑やかになった彼女のその勢いに押され、翼はずいっと前のめりになるアリアにたじろぐ。


「しかも追っ手から逃げる憧れのシチュ……! ねえねえ感想は?」

「か、感想か。結構すぐに息切れするもんなんだなと。敵が強くてかなり危なかったし」

「いや、そういうことを聞きたいんじゃなくて……その、お姫様だっこの所感と言いますか」

「? ああ、思った以上に軽かった、かな」

「おっほー! いいねいいね! 他には?」

「他?」

「例えば心桜ちゃんの感触とか匂いとガッ!?」


 興奮冷めやらぬアリアの口を、心桜がぴたりと塞ぐ。

 その動作はあまりにも素早く、翼が驚く間もなかった。


 琥珀色の瞳が、笑みの奥で細く光る。

 綺麗な笑顔をそのまま貼り付け、心桜はゆるやかに翼へと視線を向けた。


「翼くん? 答えないでいいですからね?」

「う、うん」


 もがもがと暴れるアリアの口を塞ぎながら、心桜ははっきりと拒否の意志を示す。

 その気配が、肌を伝い身震いするほどに強かった。


 横抱きについて彼女を困らせてしまったことが胸に刺さり、翼は小さく頭を下げた。


「ごめん。今後もああいうことはあるかもしれない……嫌だろうけどさ」

「い、嫌ではないですよ? き、緊張するだけなので……」


 頬を淡く染め、俯くように呟く心桜。

 その言葉に、少なくとも拒まれてはいないと知り、胸の奥でほっと息をついた。


 やがて心桜の手がゆるみ、拘束を抜けたアリアが、今度は凛乃へおねだりするかのように話しかける。


「ぷはっ、いいな〜。お姫様抱っこは憧れちゃうな〜。ね、凛乃ちゃん」

「無理だ。お前は重い」

「ノンデリひどっ!?」


 切れ味鋭い一言に、アリアの笑顔がぴたりと引きつる。


 彼女の反応を無視しながら当然だとばかりに、凛乃は淡々と説明し始めた。


「いや、そもそも人間は重い。同じ人間同士なんだから当たり前だろう」

「そりゃそうだけどさ……小宮くんはああいってたから、ワンチャンないですか?」

「生真面目と私を同じだと思うな。いい加減諦めろ。私にはお前は重い」

「2回も言う!? それ、別の意味も混じってないよね!?」


 うわーん!と大げさに泣きながら、アリアが凛乃に抱きつく。


 しかし振り払うことはせず、凛乃はそのまま受け止めている辺り、突き放しているのは言葉だけだと見ていればすぐに分かる。


 目の前で行われる痴話喧嘩じみたものに、翼が困ったように笑みを浮かべる中、心桜がそっと弁当箱を片付け始めた。


 そんな彼女を見て、翼はかばんを漁りつつ声をかける。


「あ、心桜さん。薬飲む用の水買っといたけど、常温でよかった? 冷たいの欲しければすぐ買ってくるよ。薬も風邪薬なら持ってるから、欲しかったら言ってね」

「あ、ありがとうございます……本当に、何から何まで」

「お互い様だから気にしないでよ。あの時のお返し」


 そう笑いかけると、心桜はふいに視線を落とした。


 頬にわずかな紅が差し、指先がそっと膝の上で揺れている。


 そんな二人の空気を、アリアがじとりと横目で眺めつつ、感心したように声を上げた。


「いやぁ、改めてやるね小宮くん。これなら花丸あげちゃうぐらいだよ」

「そうか? 本来は毎日これぐらいやるべきだと思ってるけど」

「べきとか言っちゃってまぁ……無自覚スパダリこっわ」

「護衛といえど、そこまでするか普通?」


 真顔のまま答える翼に、アリアは半ば引き気味に肩をすくめる。


 同じく違和感があるのか、凛乃が疑問を投げかけてきたので、ある人の顔を思い浮かべながら答える。


「いや、世話になった人に、女の子はいろいろあるって聞いてたから」

「世話になった人? もしかして……女かっ!?」


 翼の証言を拾い、アリアの瞳がくわっと大きく見開かれる。


 事実、昔面倒を見てくれた“313”は女性であり、彼女からいろいろと教わったため、そのまま素直に頷いた。


「う、うん」

「ついに見つけたぞ女ァ! 絶対それで仕込まれてるだろ最悪や!」


 うがー!と両手で頭を抱え、机に突っ伏すアリア。


 その大げさな反応に、翼は素朴な疑問を抱き、思わず口にする。


「おれとしてはとても勉強になったけど……ダメだったか?」

「ダメだけど、ダメじゃない……! 当人の心桜ちゃんは気にしないだろうから……別にいいか」

「わたし、ですか?」

「まぁ、それは一旦置いといて。小宮くんとその人とはどういう関係なの?」

「……今はもう赤の他人、かな」

「……そっか」


 翼としては努めて平静を装ったつもりだった。


 けれど、その響きに含まれた影を、相手は敏感に察したのだろう。

 アリアは口をつぐみ、視線を逸らした。

 さすがに踏み込みすぎたと、反省の色がその横顔に浮かんでいる。


 人の機微に鋭く、こうして相手を気遣えるのは彼女の美徳でしかない。


 翼は「気にしないで欲しい」とアリアへ笑いかけ、アリアと同じようにこちらを気遣っている心桜へ次いで声をかけた。


「おれが何か不快にさせてるならすぐに言ってほしい。直すからさ」

「そんなことは……今でも十分すぎるぐらいですよ」

「ならよかった」


 胸の奥でわずかな緊張がほどける。

 アリアの言葉を受けて確かめてみたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。


 短い笑みが交わされ、空気がひとしずく柔らかくなる。


 その端で、アリアが何か言いたげに唇を尖らせていた。


 けれど、その小さな兆しは声にならず、昼の喧噪の波にさらわれていった。


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