37_梅雨
しとしとと雨脚が歩み寄るこの頃。
窓の外は薄曇り、降りしきる雨は絶えず窓を打ち続ける。
湿った空気に包まれた教室内で、女子たちは一様に浮かない顔をしていた。
その空気に同じく気分も湿ったか、アリアが自分の長いポニーテールを手ぐしでとかしながら、ぼやくように口を開く。
「……雨ばっかでさ、ほんと、やんなっちゃうよねぇ」
「そうですね。わたしは癖毛なので……毎朝大変です」
そうやって困り顔を浮かべる心桜。
しかしその言葉が意外だったのか、アリアはジロジロと心桜の髪をみつめる。
「へぇ~、こんなにサラサラつやっつやなのに?」
「片方はなんとか手入れできてますが、もう片方は束ねて誤魔化してますね」
困ったように笑いながら、心桜はそっと左側の束ねられた三つ編みを気にするようなそぶりを見せる。
白いリボンでまとめて、さらに三つ編みを下ろしているその髪型は、彼女の癖がつきやすい髪質を抑えるためらしい。
「そうなんだ。可愛いからお洒落さんなのかと思ってた」
「毎日するにしても少し手がかかりますからね。さすがに両方はできないといいますか」
「まぁ、梅雨だと朝もいろいろ億劫だもんね」
アリアの何気ない一言に、心桜の肩がふるりと小さく揺れた。
朝と聞いて微妙に動揺する彼女の震えを拾い取るように、アリアが訝しげに首を傾げる。
しかし、心桜はその視線を受け流すため、急ぎ言葉を紡いだ。
「ア、アリアさんは髪をおろしたりしないのですか?」
「あ~。それやると男子が面倒なのよね」
「面倒?」
「そうそう。美人すぎるワターシの淑女オーラに当てられーる男子の光景が目に浮かびますわよ。ほほほ、おほほほ〜」
「確かに。美人さんですもんね」
「い、いやそこは突っ込むところだよっ!」
本心からなのか不思議そうに、心桜はきょとんと目を丸くしている。
その無垢な視線に、照れたアリアは思わず視線を逸らし、ひとつ「コホン」と咳払いをした。
「そ、それもなくはないけど、まぁ切るのがね~だるいっちゃだるいし」
「そっちのが本音だろ」
隣で静かに聞いていた凛乃が淡々と、的確に突っ込む。
長い付き合いの彼女に見透かされ、「ばれたか」とアリアは苦笑しつつ、凛乃へと向き直った。
「そういえば、凛乃ちゃんも前に言ってたよね。髪、だるいって。伸ばす気はないの?」
「邪魔だ。今の長さですら、すでに鬱陶しい」
そう言いながら、前髪の一部をピンで押さえるように整える凛乃。
少し伸びた髪が目にかからないようにと束ねているピンを見て、アリアはどこか困ったような笑みを浮かべた。
「またワタシが適当にあげたのを使って~。ちゃんとしたのを買えばいいのに」
「これで十分だからいらん。それに今は雨で外に出るのが面倒だ」
凛乃は淡々とそう返しながら、ちらりと窓の外を見やった。
アリアもその視線を追い、ぼんやりと降り続く雨に目を細める。
「そだよね~しばらくは外出したくないかな」
ぽつぽつと雨粒が流れる窓ガラスを眺めながら、アリアが気だるげに言葉をこぼす。
それを聞いて同意するように、心桜もまた頷きつつ静かに呟いた。
「そうなんですよね……せっかく翼くんと約束したのに」
「ん? 約束?」
「はい。休日に新しい事をして、息抜きでもどうかなって。でもこの天気じゃ……しばらくは難しそうですね」
心桜は、ほんの少し残念そうに目を伏せた。
窓の向こう、濡れた校庭を見つめるその横顔には、どこか名残惜しさが滲んでいる。
そんな彼女を横目に、アリアの瞳がふいにきらりと光る。
ぱちん、と音を立てて手を打ち、明るい声が雨の音を跳ね返すように弾んだ。
「おっ、新しいことなら……ねえねえ。今度の休日、心桜ちゃん家にお泊りに行ってもいい?」
「……え?」
不意を突かれたように声を上げる心桜に、アリアは少し口をひきつらせたように笑う。
「いや今のふたりってさ、ちょっと二人きりにするの怖いな~なんて」
「……怖い?」
「そうそう。いつ小宮くんが……心桜ちゃんに襲い掛かるかわからないし?」
がおー!と、おどけた声とともに、アリアが両手をあげて威嚇のポーズをとる。
しかしそのふざけた仕草の裏には、どこか本心からの心配の意もにじんでいた。
昨日翼から聞いた『告白の練習』という、ぶっとんだ事をした2人の動向が気になるのだろう。
アリアの大げさな言いように、心桜は顔を赤くしながら、慌てて両手をぶんぶんと振った。
「そ、そんなことは……ないと思います、けどっ」
「わからないよ? 小宮くん、意外と大胆だったりするじゃん」
「大胆というか……そういう時は必ず、わたしのためを思っての善意でしかないので」
ぽつりと、心桜は俯きがちに呟く。
その声には、まるで自分に言い聞かせるような響きがあって、どこか迷いも見え隠れしている。
そんな心桜の横顔を見て、アリアはそれ以上追及せず、ふっと肩をすくめた。
「そうなんだよな~。もっとわがまま言ってもいいと思うんだけどな~」
「わがまま……確かに。だから息抜きできればと思ったんですけどね」
「息抜きねぇ。心桜ちゃんと家で二人っきりとか、普通男子は何かするのにね」
「そ、そうですか?」
「据え膳食わぬは男の恥、なんて言うじゃん? いや正直、心桜ちゃん相手なら……女子でも手出すかもねぇ?」
そう言って、舌なめずりしながらにやりと笑うアリア。
心桜はびくっと肩を震わせて、真っ赤になってさらに下を向いた。
その反応が可愛らしくて、アリアは楽しげに笑いながら、凛乃へ振り返る。
「まぁ冗談はさておき。凛乃ちゃんも小宮くんの鍛錬気になってたよね? せっかくだし行こうよ」
楽しげにそう提案するアリアに、異論はないようで凛乃も静かにうなずく。
「分かった。テストも近いしな。ちょうどいい機会だ」
彼女が言うようにすぐそこに迫る7月と合わせて、期末テストも着々と近づいている。
勉強も兼ねてのお泊りと凛乃が言えば、心桜もすぐにうなずいた。
「そうですね。一緒に勉強しましょう」
「うっ……ま、まぁ、ついでにね? お泊りメインでね?」
完全に気乗りしていないアリアへ、凛乃がじとっとした目を向ける。
その視線に気づいても、アリアは努めて平然とした顔のまま、「ほんじゃそういうことで!」と言い残して逃げるように席へ戻った。




