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34_リミッター

「わたしを狙うことで変わったのなら、わたしを狙ってください」


 その決意が、休日の朝を緊迫した空気で満たす。


 凛とした眼差しで、真剣そのものといった表情を浮かべる心桜。


 気迫をほとばしらせながら翼に訴えかける心桜は、一歩も退かない姿勢を見せている。


「火傷するから絶対にダメだ」


 それに対して翼は、以前のように断固として心桜の意見を跳ね返している。


 しかし彼の頑なな態度に、心桜は目を細めるようにして視線を鋭くし、自らの意思を貫こうと姿勢を崩さない。


 睨み合うように二人の視線が交錯する。

 翼はその瞳の奥に揺るがぬ覚悟を感じながらも、なおも譲れないとばかりに、強く視線を押し返した。


「あなたは散々、怪我しているじゃないですか」

「おれは関係ない。護衛と主人じゃ違う」

「違いません。同じ人間です」

「そういう問題じゃないだろう」

「同じ人間なら、受ける痛みは変わりません」

「変わるよ。初めから傷だらけのおれと、心桜さんとでは辛さが全然違う」

「あなただって痛いのには変わりないでしょう」

「おれは慣れてるからそこまで辛くない」

「慣れている人なら傷つけばいいと? そんなことは到底受け入れられません」

「それでもわかってほしい。火傷で傷が残るなんて、女子には重すぎる」

「傷跡よりも、あなたが傷つくのを黙って見ているだけの方が嫌です」

「心桜さんが痛い思いをする必要なんかない」

「わたしの任務であなたが痛い思いをするなら、わたしにも関係があります」

「これはおれが望んだことだから」

「ならわたしだって……あなたの辛いことを分けてほしいです」


 二人の言葉は尽きず、口論は激しさを増す一方だ。


 いつまでも交わらない平行線のまま、互いに相手を分からず屋だと感じて主張を取り下げない。


「……で、どうするんだ?」


 そんな二人を横から見ていた、翼の上司である313が辟易としたように問いかける。


 腕を組んで早くしろと不快感を隠さない彼女へ、翼はわずかに眉をひそめながら答える。


「……心桜さんに帰ってもらうしかないでしょう」

「できもしないことを言うな。こちらも暇じゃない」


 彼女の一蹴に、部屋の空気がさらに張り詰める。


 今日は定期的に行われる模擬戦の日である。

 場所はいつものように翼の自宅だが、まだ訓練が始まる前から、場は不穏な空気に包まれていた。


 翼の相手をするはずの、武装した三人の男も所在なさげにこちらを見ている。


 その三人相手にただ甚振られ続ける翼を見かねてか、心桜が自らを標的とすることを名乗りあげたのが事の発端だった。


 しかしそんなことは到底容認できないと、翼は断固として拒否し、意見を曲げようとしない心桜と翼とがぶつかっており訓練はまだ始まってもいなかった。


 そんな二人にいつまでも待たされ続ける313が苦言を呈すのも無理はない。


 ただその313の言葉が引っかかったのか、心桜が一歩前に出るようにして声を上げた。


「なら、なおさらわたしを狙えば早く終わるのでは? あなたは『護衛対象がいると違う』といっていたではありませんか」


 そう313へ訴えかける心桜は、どこか確信をもった瞳で彼女を射すくめていた。


「わたしが危険に晒されれば、翼くんの力が引き出せる……違いますか?」


 その言葉の裏には、あの日の光景が根拠としてある。


 武装した二人を相手にしてなお、翼が異常な力で圧倒したあの時の模擬戦には、心桜が初めて立ち会った事と313の証言が記憶に残っている。


 それを思い返しながら、心桜はわずかに間を置き、「というより」と静かに続けた。


「あなたは、どうしたら翼くんがああなるのか、わかっているはずです」

「……厄介なお方だ」


 313が低く呟くように返す。

 その声音には、苛立ちとも諦めとも取れる色が混じっていた。


 それでも心桜は怯まず、より意思を強固にして静かに彼女へ詰め寄る。


「教えてください」

「なぜでしょうか?」

「わたしがひとつの条件なら、知っておけば役に立つはずです」


 真っ直ぐに言葉を返す心桜に、313は深く重たいため息をついた。


 しばらく心桜を見据えていた彼女は、ひと呼吸おいて口を開く――かと思いきや、言葉を飲み込むように、再び黙り込む。


 そのまま数秒が流れたのち、313は何かを決断したように、鋭い視線を翼へと向ける。


「283、席を外せ」

「いえ、お嬢様に話す必要はないのでは」

「命令だ。外せ」

「……それは越権行為です」

「何かあった際の責任は私がとる。黙って命令に従え」


 続けて彼女は、こちらの様子を窺っていた男三人に向かって「お前たちも今日は先に帰れ」と告げる。


 事態を察した三人は、無言のまま退出していく。

 それで今日の模擬戦は流れたと受けいれるしかなくなったのか、翼が納得のいかない表情のまま寝室へと向かった。


 扉が静かに閉まるのを見届けてから、心桜は改めて313に向き直る。


「どうして翼くんを外したのですか?」

「条件は283に知られてはならない。そう先代から言われていますので」

「先代?」

「283の父親です。ここから先は、他言無用を誓っていただきます」


 その視線に込められた忠告を感じ取った心桜は、まっすぐ頷いた。


 はい、と答えた心桜を見届けると、313は静かに近くのテーブルへと歩み寄る。


 そのまま椅子に腰を下ろし、指先を組むようにしてしばし黙考した後、ようやく口を開いた。


「……これは長い歴史を持つ小宮家が、代々研究してきた結実です。その目的は”生理的リミッター”の解除にあります」

「生理的、リミッター……?」

「火事場の馬鹿力、という現象を聞いたことはあるでしょう」


 その問いに、心桜はこくりと頷いた。


 火事の際に信じられないほどの力が発揮される――そんな現象を象徴することわざであり、実際にそうした状況に遭わなくても、広く一般的に知られている言葉だった。


 心桜が首肯したのを確認した313は、淡々と、しかし重々しく語り始める。


「本来人間は誰でも、自らを壊すほどの力を持っています。例えば数トンある車両を1人で持ち上げたなどの事例は数多く存在している。こういった筋力向上に加え、さらには痛覚鈍化、集中力及び反応速度の飛躍的な向上……戦闘において、これほど都合のいい現象は他にない。だからこそ各所で研究が進められ、軍の内部でも活用が模索されています」


 それは一見、超常的とも思える現象だ。

 しかしその力は、誰の内側にも秘められた、れっきとした人間の潜在能力でもある。


 ――もしその力を意図的に、自在に引き出せるようになったら?


 そう考える者が現れるのも当然のことであり、数々の組織が研究を重ねているのが実情であった。


「しかしこれを実用するのは極めて難しく、脳内ホルモンを基軸に論理は確立されていますが、肝心の発現方法については……公的には一切明かされていません」


 そこで313は一瞬言葉を切り、わずかに声を落とした。


「……しかし先代――283の父親は、その再現に部分的ながら成功しています」


 そうしてついに触れられる、“翼の父”の存在。


 現実にその力を体現した護衛として、この場に重く刻まれる存在だった。


「それによって先代は、歴代でも突出して優秀と言われ、国内のみならず海外の重鎮の警護まで任されました。これを身に付けることでの効果の程は、計り知れないと言えるでしょう」

「……でも、翼くんのお父様は」

「護衛にとっての“優秀”とは、要人を守ることです。であるならばその末路が……決して幸福とは限らないのも、また事実です」


 その言葉に込められた感情は、わずかに揺れているように思えた。

 淡々とした口調の裏に、隠された何かがある。


 そう心桜が確信に至るが、313は気を取り直すように口調を整えた。


「さらに生理的限界を超えるということは、自らの身体を壊すことに繋がりかねない。そうすれば自ずと終わりに近づいてしまう。こんなことを起こしうる条件は、非人道的な手段を用いるため表には出せません」


 313はそこで言葉を切ると、じっと心桜の瞳を見据える。


「……それでも聞きますか?」


 そう問いかけてくる彼女に、心桜は一切の迷いなく静かに「はい」と答える。


 彼女の迷いのない瞳を313はしばし見つめたのち、重々しく息を吐き、ゆっくりと片手を持ち上げる。

 まるで儀式の始まりのように、指を一本ずつ折りながら語り始めた。


「まず、肉体的に極限状態であること。瀕死の状態であれば発現の可能性が上がります。しかし他の事例からこうでない場合でも発現するケースが多数あり、根本的には脳内ホルモンが起因する現象のため一概には言えません」


 その言葉を聞いた瞬間、心桜の脳裏に、あの時の翼の様子が思い起こされる。


 高熱にうなされ、意識もおぼつかないはずの中、それでも立ち上がろうとする翼の姿がまざまざと蘇る。


「次に、一度大切な人を失い、それを悔やみ続け……人生に”悔恨”を焼き付けること。そしてその悔恨を――再び呼び起こす。車を持ち上げたケースなどは、身近な誰かを守ろうとした時に起きている、という共通点があります。また先代も奥様を亡くされてから発症したため、こちらはほぼ必要条件と考えられています」


 脳内への強いストレスとして、深層に刻まれたトラウマを抉り返す。


 それはもう誰も失わないようにと命を懸ける覚悟と、決して癒えぬ過去を心に焼き付けた者だけが辿り着ける領域であり――その精神的苦痛は計り知れないといえるだろう。


 思わず顔を歪めた心桜の様子を見ながら、313は静かに続けた。


「最後に、これらの肉体的且つ精神的な苦痛に耐え続け、意識を失わないこと。これらによって生理的リミッターを超える”Acute Stress Response”――日本語では”急性ストレス反応”、いわゆる火事場の馬鹿力を、リスクはあるものの引き起こす現象を確認しています」

「……リスク?」

「生理的リミッターとは人間が自らを壊さないように課せられた安全装置です。それを超えれば当然、脱臼や筋繊維の断裂等を負うこともあります。そもそも条件が揃う時点でリスクがあり、再現が困難を極めるのですが……283は幼少期から、それを自らの身をもって研究した先代の手ほどきを受けているため、完全な再現の可能性を秘めています」


 その言葉に、心桜は唇を噛みしめた。

 それが事実だと、彼女自身も目の当たりにしたため知っている。


 模擬戦でのあの瞬間。

 高熱と激痛に追い込まれながら、誰にも止められない力を発揮した翼の姿を再び思い返す。


 追い詰められ、極限状態に立たされ、大切な人の喪失というトラウマが再現されるように、心桜が狙われた――その時、彼は限界を超えた力を発揮した。


 それはまさに、護衛としては究極ともいえる、決して倒れず容赦なく敵を殲滅する、心なき兵器だった。


「先代は自らを被験者として突き詰め、その条件である苦痛への耐性……さらには過去の悔恨を283に仕込みました。実際に発現に至った283の一端を、お嬢様もご覧になられたでしょう」

「……はい。わたしが来る前から……」

「もちろん継続して行われており、狙われる標的は私が担っていました」


 短く、切り捨てるような313の言葉。

 だがその裏にある背景は、あまりにも重い。


 標的となるものは、翼にとって喪いたくないと思うような人でなければならない。


 つまり、翼はいまだに313のことを大切に思っている。


 それが心桜には痛いほどわかった。

 しかしその思いを利用するような訓練が、その313によって当然のように行われてきたという事実。

 さらには今なお313に拒絶され続けている翼の胸中は窺い知れない。


 全てを知っているわけでもない心桜ですら、想像するだけで胸が締めつけられた。


「……こんなの、あまりにひどい」

「これは283が自ら望んだことであり、小宮家の悲願でもあります。お嬢様が何を言われたところで止まるものではありません」


 その声音は、乾いた風のように冷たく、感情の起伏すら感じさせなかった。


 しかし、そのあまりにも平坦すぎる声音は、努めて何かを隠しているようにも感じられた。


 その表情に心桜はふと、以前彼女の感情がまったく読めなかった時のことを思い出す。


 あのときも今と同じ顔をしていた気がする。


 心桜は疑問を胸に、息を整えるように静かに問いかけた。


「……なぜ、わたしに話してくれたのですか」

「脳内のストレス反応が肝要なため、私では危機感が弱く、私よりも本物の護衛対象であるお嬢様であればより確実とは思います。これを真崎が許すとは思えませんが、本人の希望なら可能性はあるかと」


 より真に迫るため心桜すらも駒として見ていると彼女は告げた。


 しかし肝心の翼が首を縦に振らないだろう。

 これは心桜を守るための訓練であるため、心桜を傷つけては小宮の名折れだ。


 それは313も立場上同じであるはずなのに、心桜としては違和感を隠せない。


 まるで心桜よりも翼を優先しているような印象を拭えないのだ。


「あなたは……翼くんを、どうしたいのですか?」


 その問いに313はわずかに表情を曇らせた。


 しかしそれを押し隠すようにして目を伏せ、静かに言った。


「……それに答える義理はありません」


 そう言い放ち、彼女は翼を呼び戻すために立ち上がり、心桜の横を通り過ぎた。



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