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32_コード283

すみません書いてたらできちゃったので投稿します!

「ご馳走様でした。今日も美味しかったよ」

「ありがとうございます。翼くんの顔を見てれば分かりますよ。嬉しいです」


 食後の柔らかな時間のなか、心桜が上品に微笑む。

 その表情に、翼も静かに笑みを返した。


 今は翼の家で晩ご飯を終えたところだ。


 朝は妙な様子だった心桜だが、昼には落ち着きを取り戻していたため、何ごともなかったように日常へ戻っていくものだと思っていた。


 しかし翼が食器を片付けようと立ったところで、正面の心桜が新たな提案を口にする。


「わたし、まだ残っていてもよろしいでしょうか? 勉強しているだけなので、気にしないでもらえたらなと」

「え? まぁ、いいけど……どうして?」

「一昨日の模擬戦でお話を聞いて、わたしももっと頑張りたいなと思ったので」


 そう言って、彼女は気持ちを引き締めるように、食事のためよけてあった教材へと手を伸ばす。


 あの模擬戦で話したこととして思い当たるのは、翼と上司である313との事情のことぐらいしか思いつかない。

 それの何が心桜に響いたのかが、翼にはわからなかった。


 しかし食事以降は特段お互い接触することもなさそうなので、反対もせず心桜から目を離す。


 そうして皿洗いも兼ねて、束の間の休憩を取る。


 ちなみに、皿洗いをめぐっては小さなやりとりがあった。

 心桜が当然のように率先してやろうとしたのだが、それを翼が「これぐらいはやらせてほしい」と押し切ったのだ。


 終始、彼女はどこか不満そうに眉をひそめていたのが印象的だった。

 それでも毎日のように美味しい食事を用意してくれる彼女へ、感謝の気持ちを添えて丁寧に頼むと、しぶしぶながらも引き下がってくれた。


 カウンターキッチンからテーブルを見れば、心桜は端正な顔をノートに向け、まっすぐ勉強に集中している。


 その横顔をふと見やり、皿洗いを巡るやりとりを思い出した翼は、思わず頬がゆるんだ。


(本当に……頑張り屋さんだな)


 何度も胸に抱いた思いだったが、やはり今日もまた、同じく尊敬がこみ上げてくる。


 そんな彼女を労いたく、食器棚からコップを取り出し、ココアをいれはじめた。

 




 日課としているトレーニングをすべてこなし、翼はタオルで額の汗をぬぐう。


 剣術の型を一通り確認し、出力維持のための筋トレを終えれば、時計の針はすでに夜の10時を指していた。


 床に転がっているトレーニングギアを元の位置に戻し、片づけを終えてマットから離れる。


 するとダイニングテーブルに座っている心桜が立ち上がり、声をかけてきた。


「毎日こんな遅くまで続けているんですね。お疲れでしょう」

「いや、慣れたらそんなに大変じゃないよ」

「……謙遜がすぎますよ。もう」


 全くこれだからと心桜は微妙に呆れた声を上げつつ、キッチンまで移動して水を汲み、それを翼に手渡してくる。


 彼女に「ありがとう」と告げて、席に戻った心桜の正面、テーブルを挟んで翼も椅子に腰を下ろした。


「確かにこれだけハードだと勉強する暇なんてないですね。この後はどうするんですか?」

「特に何もしないかな。すぐ眠くなるし」


 実際、23時を過ぎたあたりからは、ぼんやりとしたまま眠りに落ちることがほとんどだ。

 激しい鍛錬で体力を使い切ってしまうのだから、それも無理はないだろう。


 なんてことない様子の翼を見ている心桜は、少し別のことが気になったようで、首をかしげながら問いかけてくる。


「翼くんって、趣味とか何か息抜きはしないのですか?」

「趣味、かぁ……それこそ筋ト」

「護衛以外で、です」


 心桜にぴしゃりと言葉を遮られ、翼は口をつぐむ。


 息抜きと言われれば、その言葉の裏にある、彼女の気遣いに気づく。


 護衛と勉強ばかりの毎日で、確かに根を詰めすぎているとは思う。

 だからこそ、今目の前でそれとなく気遣う心桜の気持ちもわからなくはない。


 とはいえ、趣味らしい趣味など思いつかない。

 ないものはないのだから、仕方がないと頭をかきたくなる気持ちで、翼はうーんと唸った。


 その中でふと、たまに読み返す資料のことが頭をよぎった。


「強いて言うなら、歴史とか偉人の伝記を読むのは好きかも」

「そうなんですか」

「うん。まぁこれも、護衛に関係しちゃうけど」

「……というと?」

「読んでるのは小宮の護衛の人たちと、その護衛対象の要人の記録だったりするからさ」

「そんなものがあるんですね」

「小宮の護衛には通し番号があるから。誰がいつ、どんな任務に就いてたか、全部記録されてるんだ」


 古くから小宮家では、護衛を番号で管理している。

 それは一見すると、まるで囚人のようにも感じられる制度だが、翼にとってはそうではなかった。


 1番から始まり、時代とともに番号が刻まれていく。

 誰が、いつ、どんな人を守り、どんな歴史を守り抜いたのか。

 そのひとりひとりの消えていった人々が、大事なものを守ったのだと証明するかのように、数字は連なっている。


 そんな記録の数々は、幼い頃の翼にとって、まさに心をくすぐる英雄譚だった。


 そうやって翼が思い返していると、心桜が尋ねてくる。


「なるほど。それだけ長い歴史があるということですか」

「うん。おれの前だけでも282人。正式に番号をつける前の人たちも入れたら、それ以上になる」

「そう聞くとすごい人数ですね」


 驚きと戸惑いが入り混じったような表情を浮かべる心桜に、翼は穏やかに続けた。


「それにひとりひとりに物語があってさ。子供の頃からおれもこうなれたらなって思うような人ばかりだった」

「素晴らしい方が、たくさんいらっしゃるんですね」

「……まぁ、現役の人は少ないけどね」


 護衛という性質上、もちろん翼の父親のように、命を落とした者も少なくない。


 283番という番号を背負うということは、それだけの数の護衛たちが、その役目の果てに姿を消していったということでもあった。


 その番号には、小宮家が積み重ねてきた歴史と責任の重みが、否応なく宿っている。


 言葉にはされていないものの、心桜もそのことを感じ取ったのか、どこかためらいがちに尋ねてきた。


「翼くんは283番なんですよね」

「うん」

「でも、あなたの上司はご自身を313番って言ってました。番号って通しじゃないんですか?」


 確かに通し番号であるはずなのに、上下関係が逆転しているのは不自然に思えるだろう。


 心桜が疑問を抱くのはもっともで、それに対して翼自身も特に思う事はなく、その理由を静かに説明した。


「上司は成人してから入社した普通の人だけど、おれは特殊だから」

「特殊?」

「おれは小宮の生まれで、生まれた時に番号がつくんだ」


 小宮家に生まれた者には、生まれた瞬間に通し番号が与えられる。


 そして翼が生まれた時の次の番号が283番だった。


「だから生まれた時から番号のあるおれと、あとから入社した上司とでは番号が逆になってるってだけかな」


 もちろん、通常の護衛たちは出世のスピードによって番号が前後することもある。


 しかし小宮の人間に限っていえば、ほぼ確実に外部から来た者との番号・立場が入れ替わる。


 それは小宮家が驕らぬための戒めであり、優秀とされる所以でもある。

 命に上下はなく、護衛は皆等しく同じ価値であることを示す。

 そして同時に、生まれながらにその番号を背負う者が、ある種の運命を背負うという意味でもあった。


 背景が重いだけに、翼としてはできるだけ軽く話したつもりだった。


 けれどその言葉の奥にある重みを、心桜は敏感に感じ取ったのだろう。

 少しの沈黙ののち、ためらうように、そっと口を開いた。


「もしかして……あなたの名前は、番号が由来だったりしますか?」

「よく気づいたね。うん、小宮の生まれは先に番号が与えられ、それに近しい名前をつける慣習なんだ」


 翼という名前自体は別に珍しいものではない。

 283番に字を当てるなら” (283) ”と、確かに言われれば気づくかもしれない程度ではある。


 ただ経緯は珍しく、名前よりも先にコードが与えられたという事実は、人によっては苦しむ理由になるだろう。

 その名前はどこまでいっても小宮の一部でしかないと言われているようなものだ。


 由来に気付いた聡い心桜が、それを気付かないはずもないので、気遣われる前に翼は「自分でも安直だと思うけどね」と笑いながら答える。


 翼自身はもう何とも思っていない話でしかない。

 とっくの昔に受け入れた、自分の運命であり、その道筋を自分から率先して辿っている。


 けれど心桜の表情は、いつまでも晴れなかった。


「……辛くはないのですか」

「辛い?」

「その、護衛以外の生き方をしたいとか……思わなかったのかなと」


 確かにこの運命にもがいて反抗した祖先は、小宮の記録にも残っている。


 ただ翼は一度たりとも辛いと思ったことはないので、飾らずに正直な思いを口にした。


「さっきの話で、子どものころから小宮の護衛の歴史が好きでさ。命を懸けて誰かを守るって、格好いいなって……憧れてた」


 だからこそ迷いなく、自分もそんな護衛になりたいと願った。


 そして今、これ以上ない主人に仕えることができていることを、翼は心から誇りに思っている。


 そんな風に表情を柔らかくしていると、心桜がそっと微笑んだ。


「だからこんなに護衛を頑張ってるんですね」

「……まあ、子ども心のままって感じだけどね」


 はは、と翼が童心に帰ったかのように笑うと、心桜がきゅっと自分の胸元を押さえた。


 どこかやるせなさそうな、それでいて慈しむかのような彼女の複雑な表情に、翼は戸惑いを隠せない。


 そして、彼女はひと呼吸おいて、意を決したように口を開く。


「翼くん、今度の休日……一緒に遊びにいきましょう」

「えっ、急にどうしたの?」

「たまには他のこともしてみませんか? もしかしたら今とは違う景色が見えるかもしれませんよ」

「……違う景色、か」


 思いもよらない提案に、翼は彼女の言葉を噛み締めた。


 そんな翼の様子を見ながら、心桜はそっと微笑む。

 そのまなざしには、深い感謝とあたたかい信頼が込められていた。


「あなたがわたしを守ってくれるから、わたしはこうして、新しい生活を過ごすことができています」


 翼が小宮に縛られているのと同じように、心桜もまた、かつての拉致被害という過去に囚われていた。


 自由とは言えない日々を過ごしてきた彼女だからこそ、今こうして得られた新たな時間の価値を、誰よりも知っている。


 そんな袋小路から抜け出した心桜は、今度はその先の景色を、翼にも見せたいと思ったのだろう。


 胸元をきゅっと握りしめたまま、彼女は万感の想いを宿した瞳で、「それに」と優しく言葉を継いだ。


「わたしも外のことはあまり知らなくて。だからいろんなこと、初めてのことを……あなたと一緒に思い出を作っていきたいです」


 そう微笑む心桜の眼差しと言葉があまりにも温かくて、つかの間の間、翼は彼女に見惚れてしまった。


 翼に見つめられた心桜は少し照れくさそうにしながらも、そっと「楽しみですね」と呟いて、その先の時間に思いを馳せた。



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