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30_悔恨

――これはいつもの夢だ。


 目の前で流れゆく情景を前に、翼はそう思った。


 子どものころから繰り返し見るこの悪夢は、死に目を看取れなかった父の末路とは別のものだった。


 これは実際に翼が起こした悔恨であり、翼の手のひらに、あまりにも生々しい感触を蘇らせる。


 目の前で苦悶の声を上げる女性は、こちらへ恐ろしいものを見るかのような眼差しを向けている。

 その怯えきった瞳に、かつての穏やかさはどこにもなかった。


 木刀を握りしめる手には、相手を仕留めてしまった感触が残っている。


 セーブの利かなかった一撃は、彼女の身体だけでなく、二人の関係にも致命的な亀裂を走らせた。


――ごめんなさい。


 どれだけ繰り返しても、もう意味はないとわかっている。


 それでも翼は、この夢の終わりには、いつも必ず謝ってしまうのだった。


 二度と、あの頃のように微笑んでくれることはないと知りながら。





――く……つ…さく…!…つばさ…ん!


 かすれた声が、必死さを滲ませながら聞こえてくる。


 その響きに導かれるように、重たく沈んでいた瞼がわずかに開いた。


 直後、全身を駆け巡る鋭い痛みに、喉の奥から呻き声が漏れる。

 反射的に瞼を閉じ、再び闇の中へと沈み込む。


「翼くん!」


 今度はその声をはっきりと聞き取り、ハッと声の主の顔を見る。


 仰向けに倒れる自分のすぐ傍に座り、心配そうに覗き込んでくる心桜の姿が瞳に映る。


「心桜、さん?」

「ごめんなさい、起こしてしまって……うなされてたので、気になって」

「う、ううん。気にしないで」

「……体調は大丈夫ですか?」


 問いかけにすぐ答えることができず、翼は戸惑いのまま、ゆっくりと上体を起こす。


 視界に入るのは、見慣れた天井と家具。

 自宅のリビングに敷かれた、トレーニング用マットの中央にいることを認識する。


 自分がマットの上で寝ていたと把握できるが、それにしてもなぜ心桜がここにいて、自分が寝ていたのか、その記憶が定かではない。

 

 そんな混乱気味の翼を見てか、心桜が状況を説明する。


「今は模擬戦が終わって少し経ったところです。翼くんは……痛みで気を失っていました」

「……そうか」


 殊更心配そうに告げる心桜を見て、翼の記憶が徐々に繋がっていく。


 たしか先週、熱で意識が朦朧としていたときに、心桜に模擬戦を見られてしまった。

 そして今日は、彼女の方から「立ち会わせてほしい」と申し出があったような気がする。


 あんなものを見せられて心配しないわけがないので、その引け目の分押し込まれてしまい、結局模擬戦を最後まで見られたのだろう。


 そして模擬戦の最後には翼が気を失い、彼女が寄り添っていたと考えられる。


「また格好悪いとこ見せちゃったな」


 照れ隠しのように笑ってみせると、心桜がそっと視線を向けてきた。

 その瞳には、心から案じるような色が浮かんでいる。


「今日から三人を相手されていたので……仕方ないですよ」

「そうか……でも、これじゃダメだ」


 翼は、ぎゅっと拳を握りしめた。


 先週までは二人を相手にし、それを退けたことから三人になったということはわかる。


 プロ相手に連携を取られたうえで凶器を使われ、且つ護衛対象が背後にいる状態で三人相手など、赤子同然のように捻りつぶされたのだろう。


 やはりまだまだ翼の理想にはほど遠い。


 そうやって視線を落とした自分の身体に、違和感を覚える。


 そこかしこに絆創膏やガーゼなど、治療の跡が見受けられる。

 普段は自分で治療をしていたはずなので、これを小宮家の人間がやったとは考えにくい。


 となれば思い当たるのは、今傍にいる彼女しかいなかった。


「……これは、心桜さんが?」

「す、すみません。勝手に体を見たり触ったりして」

「それはいいけど……」


 少し頬を彩る心桜相手に、感謝より先にどうしても申し訳なさが募る。


 模擬戦で使われているダミーナイフは、刺された痛覚を再現するためにかなりの高温で熱してある。


 もちろん刺された箇所は火傷し、その傷跡は見るに堪えない。

 刺された直後であれば、人体から肉の焼かれる悪臭を発し、普通であれば吐き気を催すような惨状だ。


 それを心桜に鮮明に見せてしまったことを理解し、思わず翼は頭を下げる。


「……醜くて、酷い悪臭だったよな。ごめん」

「……ええ。努力の跡だとしても、こればかりはさすがに褒められはしません。即刻やめていただきたいです」


 怒るというよりも、心配の色を顔いっぱいに浮かべて翼を見る心桜。


 とはいえ翼としては模擬戦をやめることはできないので、彼女の顔を見れず返答に詰まる。


 うまく言葉を紡げずにいる翼に向けて、心桜が声を落として問いかける。


「なぜ、ここまでするのですか?」

「ここまで? いや、全然足りてないよ」

「……すでに拷問じみていると思いますが」

「なら尚更だな。おれはまだまだ弱いってだけだよ」


 あまりにも当然のように言い切る翼に、心桜はふぅとため息をつく。


 そして少し間を置いてから、今度は別の問いを投げかけた。


「この模擬戦はあなたが望んだと聞きましたが……いつからですか?」

「ああ。初めての襲撃があって、その後すぐにお願いした」


 初めて襲撃された時、一歩間違えれば死んでいたと言えるだろう。

 三人を相手し、うち一人は経験者であったため、一撃を急所に食らうところまで追い込まれた。

 もしあの手に別のナイフが握られていたら?

 もしメリケンサックなど、別の凶器があったら?


 そうだった場合、翼はもうここにはいなかったかもしれない。


 そう考えれば火傷で気を失うぐらい安いものだと翼は思う。


「……あの時は確かに、危なかったですね」

「そう。だから三人……いや四人だな。車で襲ってくる人数の最大数、それも経験者相手でも、戦えるようにしないといけない」


 真剣な表情で言い切る翼。

 その瞳は過去を踏まえて、これから待ち受けるであろうさらなる窮地を、まっすぐに見据えていた。


 しかしそんな彼を見て、心桜は思わず口をつぐみ、少し間を置いてから静かに尋ねる。


「そんなことが可能なのですか?」

「……できる、できないじゃない。――やるしかない」


 そういってより強く拳を握る翼。


 現実的に可能かどうかで問われれば、あまりにも無謀だとしか言いようがない。

 それでも実際にそういったケースが考えうる以上、四の五の言ってる場合じゃないと思う。


 それに、リミッターさえ外れれば、プロ二人相手でも通用することはわかっている。


 であればより極限まで自分を追い込めば、歴代の小宮家の中でも極めて優秀とされた翼の父親のように、真価を発揮することができるかもしれない――とさらに決意を固くした。


 そんな彼を見て心桜は、はぁ……と再び大きく溜息をついて、静かな怒気を秘めたまなざしを向ける。


「あなたもあなたですが、こんな無茶を許している上司も上司です」

「…………」

「できないことで甚振り続けるのは間違っています。そんなものはもう訓練とは言えません」

「……おれが望んだことだから」

「それであなたが壊れてしまっても?」


 その口調には、明らかに翼の上司である313に向けられた憤りが込められている。


 もはや心桜は、彼女への嫌悪の色を隠そうともしていなかった。


「あの人は……本気であなたを壊そうとしていますよ」

「それも仕方のないことだよ」


 それはもう織り込み済みだと、困ったように笑う翼。


 そのあまりの潔さに、心桜は続けて問いかける。


「あの上司の方とは何かあるんですか?」

「ある、けど……」

「できれば教えてください」

「なんで?」

「……いつか、あの人に手をあげそうです……今日だって何度、怒りに我を忘れそうになったことか」

「そ、それはやめてほしいかな」


 心桜の怒りを感じ取り、思わず慌てたように翼が言葉を挟む。


 しかし終始上司を庇い続ける翼を見てか、心桜は眉をひそめて疑念をぶつけてくる。


「こんな酷い事をされているのに、どうして庇うんですか?」

「……おれが、全部悪いから」


 そのひとことに込められたものを、心桜はすぐには理解できなかった。


 伝わらないまま終わってもいいのだろうが、ここまで来て隠すと彼女が本気で模擬戦に介入しかねないと感じた翼は、重い口を開いた。


「あの人はおれが両親を亡くしてから、ずっと世話してくれた人なんだよ」


 父親の殉死を受けて、絶望にふさぎ込む幼い子供がいた。


 そんな泣き続ける翼に手を差し伸べたのは、同じく小宮家の護衛として働く一人の若い女性だった。


「本当になんでも教えてくれたし、いつも励ましてくれた……いつのまにか、姉のように慕ってた気がする」


 肉親はもう当主の祖父しかおらず関係も良くはなく、頼れる人は誰もいなかった環境で、彼女だけが唯一の希望だった。


 仕事の邪魔になると分かっていても、いつも彼女のあとをついて回った。

 それでも彼女は嫌な顔ひとつせず、いつも変わらずそばにいてくれた。

 孤独を嘆く翼へそうやって笑ってくれた、受け入れてくれた……数年もの間、そんなふうに共に過ごした日々を思い出す。


 しかし、その関係はある日を境に終わりを迎える。


「でも、おれはあの人を壊してしまったんだ」

「……壊した?」

「そう。成長期に入って、力加減を間違えて重症にしてしまった。前線に復帰できず後方支援しかできないくらいに」


 それは、いつものように剣を交えていた時のことだった。

 子どものころから、何度も彼女に挑んでは返り討ちにされていた。

 あの頃は肉体的に非力だったためいくら本気でぶつかっても、プロの彼女には到底敵わないとそう思っていた。


 けれどいつしか翼は成長期を迎え、身体だけが先に大きくなっていった。

 体の変化に心は追いついていないまま、子供の無邪気さが牙をむく。


 そして、いつも通りのつもりで振ったその一撃が、すべてを壊してしまう。


「それからずっと今の感じだよ。……でも、全部おれが悪いから」


 あの日を境に、関係はもう戻らなかった。


 彼女は距離を置き、目も合わせようとしなくなった。


 避けられ、疎まれ、憎まれているとしか思えない彼女の態度に、まだ子供だった翼の心は荒んだ。


 自分は誰も救えないんだと、そう思い込んで、あらゆる悪意に食ってかかる日々を過ごす。


 そうやって問題ばかりを起こしては、周囲との溝をさらに深めていった。


「きっと恨まれてる。世話になった人に、こんな仕打ちをしたんだから当然だけどね」

「…………」

「だからあの人に壊されても……元々はおれがやったことだから。怒らないでほしい」


 そういって心桜に深々と頭を下げる翼。


 彼女に壊されるのは、あのとき自分が彼女を壊した報いだ。

 そう思えば、それはむしろ“ふさわしい罰”にも思えた。

 なにより、手加減なしで模擬戦に付き合ってくれるという点では、ありがたいとも言える。

 

 彼女の事件以降、翼の肉体はさらに成長し日々の研鑽も怠らず、確実に成長しているはず。

 しかし、彼女を壊してしまった罪悪感からか、無意識にセーブがかかってしまい、本来の力を出せていない気がしてならない。


 心桜を守るには、もう迷っている暇などないし、一刻も早く覚悟を固めなければならない。

 すでに襲撃が起こり、命の危機すらあったため、『相手を壊してしまう』などそんなことを言ってる場合ではない。


 いつまでも心が弱いまま、あの日から成長できていない自分に、心底失望する。


――本当におれは、ひとに見放されても仕方のない人間だ。


 翼は頭を下げた状態で自らの唇を噛む。


 父親の生きる理由になれず死なせ、姉と慕う世話になった人を壊し、今なお甘えで主人を危険に晒す自分を、許す気になど到底なれなかった。


 そんな悔恨を翼は口には出さなかったが、彼の様子から察したのか心桜がそっと話しかけてくる。


「あなたたちの事情はよく分かりました」


 その声に促されるように、翼は顔を上げた。

 視線の先には、いつものようにまっすぐな眼差しを向ける心桜の姿があった。


「でも、彼女は本当にあなたを恨んでいるのでしょうか?」

「……え?」

「確かに冷徹で残酷な手段をとっています。恨むだけの理由も納得できます。ですが、翼くんのコードの由来を話していた時……彼女の表情が読めませんでした」


 その話は身に覚えがないので、おそらく熱で朦朧としていた時の出来事なのだろう。


 彼女が自分には見られない所で、別の顔をしているなんて思ってもみなかったので、心桜の思いがけない言葉に翼は戸惑う。


 そんな彼を見て、心桜は少し考えるように目を伏せた。


「きっと彼女にも考えがあるはず。なので今日は黙って見守っていたのですが……やはりまだ結論を急ぐべきじゃなさそうですね」


 それはそれとして好きにはなれませんが、と心桜は呟いて苦い表情を見せる。


 翼が返答に困っていると、話題を切り替えるように心桜がいつもの調子で尋ねてくる。


「この後はどうされているのですか?」

「ああ、とりあえず汗を流して、ご飯を食べて……勉強かな」

「なるほど、いつもの感じなんですね。ではわたしもこちらにいていいですか?」

「……え?」


 あまりにも自然な提案に、翼は思わず固まってしまう。


 今日は休日であり学校のある日と違って、特にお互い示し合わせて何かをするわけでもない。


 普段拘束している自覚があったからこそ、休日ぐらいは自由にしてもらいたいと思っていた翼だったが、心桜の不意の申し出に思わず否定から入る。


「で、でもさ、休日までご飯を作ってもらったり、勉強を教えてもらうなんてさすがに悪いよ」

「そうですか。ただもうご飯は準備してありますので今更ですよ?」

「えぇ……」


 まるで翼の行動パターンをすべて読んでいたかのような用意周到さで、先回りして逃げ道を塞いでくる心桜に、翼は肩を落とす。


 そんな彼に追い打ちをかけるように、心桜がお風呂の方向を指さす。


「さあ、お風呂にいってらっしゃい」

「わ、わかったよ……」


 まるで子どもをあやすような柔らかい声音でそう言われ、翼は観念したように立ち上がった。


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