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03_手当てと感謝

「それでは失礼します」


 襲撃後、特に問題なく自宅へ着き、心桜が自宅の扉に手をかけたのを見て、翼が一礼する。

 護衛ということで、部屋は横を借りている。心桜が外出する際は必ずと言っていいほど翼が同行するためだ。


「待ってください」


 自宅を目の前に少し気が抜けた際に、心桜から制止の声がかかった。

 今まで一度もなかった心桜からの声かけに、翼は呆気にとられたように固まる。


「…どうされましたか?」

「お腹、見せてください」

「え?」

「ですから、怪我した所を手当てさせてください。今救急箱を持ってきますから」

「…いえ、お嬢様が気にされることでは」

「わたしを守るために怪我したんでしょう…とにかく待っててください」

 

 心桜はそう言い残しバタンと扉を閉める。

 予想だにしなかった提案に何も言い返せなかった。かといって無下にすることもできず、廊下で立ち尽くしていると、数分もかからず心桜がドアを開けた。


「あなたの家の玄関でいいですか?」

「えっと…はい」

「では入れてください」


 困惑する翼に対して頑なに治療を譲らない心桜。翼は言われるがままドアを開け、1人暮らしには広すぎる玄関に心桜を招き入れる。


「そこに座ってもらえますか」

「はい…」


 言われるがまま玄関に座り、心桜はその横に腰を下して救急箱を開けた。

 強硬な姿勢を貫く心桜に、腹部の殴打で救急箱は必要か?と疑問に思いながら、翼は拳を受けたわき腹の服をめくった。

 自分のミスで起こった怪我を心配されるのはなんだか気まずく目線を上に投げていたが、心桜から反応がない。

 さすがに気まずくなったので心桜を見ると、彼女は眉根を下げていた。


「…怪我はない、みたいですが…」

「殴られただけなので、あっても痣ぐらいですね」

「その、傷が…」


 ああそうかと翼は合点がいった。

 翼は生まれながらにして、小宮家の護衛に特化した訓練が施されている。

 そのため生傷の1つや2つは絶えなかった。でなければ今回のように凶器を持った相手を数人なんて到底できない。必要なものだったと翼も理解している。

 ただ、体中に這っている傷跡は他人からしてみれば痛々しいものだろう。翼の体を案じている心桜の優しさに口元が緩む。


「気にする必要はありませんよ。私が望んだことなので」

「でも…」

「お言葉ですが、護衛の負傷を気にしていたら身が持ちません。我々はやるべきことをやっているだけですので」


 あくまでここは譲らないと言い切る翼の言葉に、心桜はびくりと身を震わせる。

 押し返し過ぎたかと少し申し訳ない気持ちになる翼だが、心桜が何か言いたげな雰囲気なので黙ったまま待つ。


「…その」

「はい」

「ありがとう、ございます。…守ってくれて」


 そう控えめに感謝を告げる心桜に、先ほどのことは気にしていないと分かり、少し胸をなでおろして微笑む。


「いえ、ご無事でなによりです」


 だがその翼の笑顔を見て心桜はより表情を暗くしてしまった。

 どうしたのかと内心動揺する。

 すると心桜は悲痛な表情を浮かべて、すっと翼に頭を下げた。


「…ごめんなさい」

「お、お嬢様?」

「こんなにわたしのために頑張ってくれているのに…わたしは」


 言葉に詰まる心桜を見て、彼女が感情を整理できるようにただ黙って待つ。

 すると覚悟を決めたかのような真っ直ぐな瞳で翼に口を開いた。


「あなたに、説明したいことがあります」

「…はい」

「わたしに幻滅したら、このお仕事は断っていただいて良いので…」


 聞いてくれますか?と問いかけてくる心桜に、翼は首肯する。


「今回わたしが独り立ちを決意したのは…男性に対する恐怖心の克服のため、です」


 迷いながらも告げられた内容に、翼はただ黙って聞いた。

 同時に、なぜここまで無理をして一人暮らしをはじめたのか、なんとなく察した。


「お父様にも話してはいないですが…わたしは男性と1対1になることが怖いです。なので学校では常に大人数でいますが、今後社会に出るにしても、これを克服するのは避けられないことだと思いました」


 そうか、と心桜の今までの行動に対して合点がいく。

 翼と2人きりの時にだけ、何もしなかったのではなく、何もできなかったんだと。


「お父様に言っても、昔の拉致事件で悲しませてしまうので…」


 何度も執拗に拉致で狙われ続け、その恐怖の象徴に男性が重なったのは考えに難くない。

 そうして両親に守られ、女子のいる環境にしか身を置けず、トラウマは残り続けてしまった。親の気持ちも理解できるが、このままではダメだと本人が行動を起こした。


「…この1週間、あなたを蔑ろにする態度をとってしまって…本当にごめんなさい」


 そう再び頭を下げる心桜を見て、胸が熱くなる。

 心桜は今も恐怖を克服できていないだろう、手を見れば微かに震えているように見える。

 翼も男性ではあるが、1週間ただついてくるだけの無害さを多少信用してくれたといったところか。いつか謝るために機会を伺いながら慣らしていたのだろう。

 そして今回の1件で罪悪感と謝意が恐怖心を上回った。

 翼の怪我を心配して居てもたってもいられず、無理矢理踏み込んでくれたと理解できる。


「私は気にしてませんよ。そういうことでしたら、今のままでも問題ありません」

「いえ、護衛として距離をとってくださったのはとてもありがたかったですが…いつまでもこのままなのは申し訳なくて」

「そうですか。多少は慣れましたか?」

「ちょっとまだ、ですが…あなたは比較的…その…」

「…ああ、女っぽく見えるから」

「は、はい。少し楽で、この1週間で安心したと言いますか」

「なら…良かったです」

「ご、ごめんなさい。嬉しくないですよね」

「はは…慣れているので大丈夫ですよ…」


 気遣ってくれた心桜に対して、困ったような表情で笑う翼。

 実際自分の容姿に関しては少しコンプレックスに思っており、揶揄されたこともある。背もそこまで高くなく、童顔といって差支えない、まだ成人男性とは程遠い見た目は、どうしても侮られやすく護衛には不向きだ。

 しかしすぐにどうこうなる話でもないので、微妙な態度をとっていると、「そういえば」と心桜が思い出したかのように話す。


「あと、あなたのことを…あなたのお父様から聞いていましたから。そこまで不安はなかったと言いますか」

「…父さんと、面識が?」

「はい。昔同じようにわたしの護衛をしてもらった時に。いろいろと話してくれました」


 拉致にあってずっと厳重に護衛をつけていた期間だろう。10年近く前辺りかと思われるが、当時の自分がどう言われていたのかは想像つかない。

 そう思っていたら、心桜がその心情を察するかのように、翼に笑いかけた。


「自慢の息子だと仰っていましたよ」

「…そうですか」


 自分でも素っ気ない返事になってしまったことに驚くが、表情を崩さないように笑顔を貼り付ける翼。

 そんな翼を見て、心桜は一瞬表情を変えるが、話題を逸らすように翼の脇腹へ視線を向けた。


「…本当に努力されていますもんね」

「いえ、お嬢様もテストで1位をとられていてすごいですよ」


 翼が思わず口にすると、心桜はきょとんとした顔で目を丸くした。

 話す機会がなかったので伝えていなかったが、翼は自分を下した心桜に敬意と賞賛を告げたかったのだ。

 今の話を聞いて、理不尽に対してただ被害者として生きるのではなく、勉学に励み自分を高めて自ら恐怖に立ち向かうその姿勢を、改めて好ましく思ったというのもある。

 言いたかったことを素直に告げると、心桜は戸惑ったように視線を泳がせ、手元をそわそわといじり始めた。

 

「あ、ありがとうございます。わたしはそれしかやることがなかったから…」

「それでも、あなたの努力は否定されません。実は悔しかったんですよ…私も頑張ってたつもりではあったので」

「…あなたは十分に頑張っていると思いますが」

「そんな私に勝ったお嬢様の努力は、負けた私が否定させませんよ。改めて、おめでとうございます」


 驕らず謙遜する自分の主人に、翼は自然と笑みが浮かんだ。

 この1週間嫌われていないかと気が気ではなかったが、事情は理解したし、この人のためにやれることをやりたいと素直に思えた。

 そんな自分が願ってもいなかった環境をもらえた感謝も笑みに漏れただろう。

 その翼を見た心桜はさっと視線を逸らした。「と、とにかく」と心桜が仕切りなおすかのように落ち着かないそぶりで礼を述べた。


「ちゃんと感謝と謝罪をしたくて…本当にありがとうございました」

「お役に立てて光栄です」


 感謝は十分受け取り、何も気にしないで欲しいと告げるように微笑みかけると、心桜が狼狽したように身を引いて急に立ち上がった。


「で、では…また、明日」

「はい」


 そう短く言い切って、心桜は足早に玄関を出ていった。

 翼と2人きりになるのは、きっと怖かったはずだ。それでも、傷のことが気がかりで、恐る恐る距離を詰めてくれた。

 その優しさを感じ、翼は静かに手を胸に当て、誰もいない玄関に向かって、主人に恵まれた機会に感謝しながら深く頭を下げた。


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