28_お弁当
「さあさあ……愛情たっぷりのお弁当タイムですよっ!」
「翼くん、どうぞ」
心桜に手料理をご馳走になった翌日の昼休み。
教室の隅で机をくっつけたその中央に、弁当箱が四つ並んでいた。
今日から教室で昼食を取ることになり、心桜が翼へ、アリアが凛乃へと弁当を差し出している。
「おお……」
さっそく弁当箱の蓋を開けた翼の目に、色とりどりの具材が飛び込んでくる。
食材自体は昨日の晩ご飯と同じものではあるが、今までは真っ白だった自分の弁当と比べて、心桜が作った煌びやかな弁当に感動を隠せない。
まるで視覚に色を取り戻したかのような感嘆ぶりで口に運べば、時間が経って冷めているにもかかわらず、口いっぱいに味が広がった。
「美味しい……ありがとう」
「どういたしまして」
思わず感謝の言葉をこぼした翼に、心桜はどこか照れたように、けれど嬉しそうに微笑む。
そんな二人のやり取りを横目に、凛乃もアリアの手作り弁当に箸を伸ばしていた。
凛乃が一口含んだ瞬間、ほんの少し表情を変え、意外そうな声音でアリアへ告げた。
「美味いな。前より料理上手くなったか?」
「このぉ、褒め上手なんだから~! ふっ、うちの旦那も負けてないぜ」
「……お前は何と戦ってるんだ」
上機嫌なアリアのテンションに、凛乃は呆れたように眉をひそめる。
続けざま、アリアが意味ありげな視線を翼に送るが、翼はなんのことか分からず小首を傾げていた。
せっかくの手作り弁当とあって、翼はひと口ひと口を噛みしめるように、ゆっくりと味わっていた。
他の三人は軽く談笑しつつ箸を動かしていたが、ある程度食べ進めたころで、アリアが翼に問いかけてくる。
「で、昨日はどうだったの?」
アリアが聞いているのは、心桜の作った晩ご飯についてだろう。
勉強会だけだった放課後に、手作りご飯イベントが延長されたことで、どんな変化があったのか気になったと思われる。
その探るような視線を正面から受け止めながら、翼はふっと口元を綻ばせた。
「心桜さんのお陰で勉強も目途が立ったし、晩ご飯もすごく美味しかった。本当によくしてもらって助かったよ」
素直に感想を述べる翼に、アリアもつられて笑顔をこぼす。
そんな翼の言葉を継ぐように、心桜が表情をたわませつつ、穏やかに話し始めた。
「人に料理を振る舞うのは久しぶりでしたが、美味しそうに食べてもらって嬉しかったです。ぜひ続けたいですね」
そう満足げに微笑む心桜に、翼は少し気恥ずかしさを覚える。
久しぶりの美味しい料理に、つい夢中でガツガツと食べていた自覚はある。
だが、それを主人である彼女にじっくり見られていたとなれば、さすがに平然とはしていられない。
とはいえよくしてくれた心桜が嬉しそうなので、こんなことで良ければと今後もちゃんと伝えていこうと翼は思った。
すると他に気付いたことがあったのか、心桜が「それに」と話し続ける。
「鍛錬をしている翼くんを見ていると、わたしももっと頑張らなきゃと思えますね。とてもいい刺激になります」
真っ直ぐな瞳で、まるで称えるように翼を見つめてくる心桜。
その視線と口にした言葉には、お世辞のような飾り気は一切なく、心からの本音だということが伝わってくる。
しかし翼としてはそう褒められても、むしろ心桜のほうがよほど立派だと思っていた。
だからこそ、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返す。
「心桜さんは今でもすごく頑張ってると思うよ。尊敬する」
「うっ……い、今以上に、です」
「もうすでに1位なのに?」
「勉強以外にもいろいろあるんですっ」
ぷいっとそっぽ向いた心桜に、翼は一瞬「いろいろってなんだ?」と思ったが、すぐに深く考えるのをやめた。
女子は女子で大変だろうし、詮索するのも野暮かと思って心桜から視線を外せば、気づけばアリアがじとっと半笑いでこちらを見ていた。
「ふたりって本当にお似あ……似てるよね」
翼と心桜を交互に見比べながら、アリアはそんなふうにしみじみと呟いた。
しかし翼の中でその言葉が引っかかり、つい反射的に言い返してしまう。
「いや、おれは心桜さんほど人に好かれるような素敵な人間じゃないよ」
――その瞬間、心桜の手から箸がカチャリと音を立てて落ちた。
そちらに視線を向けると、心桜は中途半端な表情で固まり、完全にフリーズしている。
さらには話題を提供したアリアまでもが、ぽかんと口を開け、呆気にとられたような顔で固まっていた。
2人によって謎の沈黙に包まれた一帯に、翼は気まずさを覚える。
そんな沈黙を破るように、彼女たちに変わって凛乃が翼に話しかけてきた。
「……お前の場合は自分で人を遠ざけているからだろうが」
「でも、心桜さんは何もしなくてもすごく人気になったけど、おれはずっと独りだったし。今だって避けられてるくらいだから、やっぱり全然違うよ」
入学当初を思い返せば、翼と心桜とではあまりにも格が違うと、翼は何度も思っていた。
カースト差がありすぎて近寄れもせず、自分のことをストーカーまがいだと悩んだ時期があったほどである。
今もなお、名声を集め続ける心桜のまわりには、人が自然と引き寄せられていく。
一方の翼はといえば、入学当初よりも人との距離が広がり、ぼっちに拍車がかかっている有様だ。
やっぱりどう考えても釣り合ってないなぁと思いを馳せているところで、凛乃が深々とため息をついた。
「このど阿呆が……やめだ。馬鹿真面目相手は疲れる」
「小宮くんってめっちゃ頑固なところあるよね~それにドストレートだし。思ったことをすぐ言うのは危ないって」
「……素晴らしい主人に恵まれたことは感謝して然るべきでは?」
「ちょ、ストップストップ! 心桜ちゃん困ってるから!」
なおのこと納得がいかず、さらに言い返しては心桜を持ち上げる翼。
しかし心桜を見たアリアが、慌てたように止めにかかってきた。
彼女の言葉を疑問に思って心桜に目を向ければ、心桜は顔を手で覆い、耳まで真っ赤に染め上がっている。
最近になってようやくわかってきたが、こういうときの心桜は、感情がキャパオーバーになってしまっているらしい。
困らせてしまった、と反省した翼はそっと口をつぐんだ。
(でも何をそんなに恥ずかしがってるんだろう)
心桜は学園一の人気者。
対する翼は教室の隅っこにいるだけの、紛れもないぼっち。
そんな自分にも分け隔てなく接してくれて、しかも完璧すぎるほどの主人像である彼女に感謝するのは、当然のことだと思っていた。
自分にとってはごく当たり前の気持ちを口にしただけなのに、なぜか周囲はやたらと反応してくる。
そんなふうに平然としている翼に、アリアが半目で湿気を多分に含んだ視線を向けてきた。
「今はまだ避けられてるからいいけど……やっぱりこの天然無自覚は外に出しちゃダメだよ……とんでもないことになる」
「……?」
「その『何もわからない』みたいな顔をやめろ。ブン殴るぞ」
凛乃にじろりと睨まれて、翼は「なんで!?」と心の中で突っ込んだ。
分からないものは分からないが、下手に聞けばさらに微妙な態度を取られる気がするので、翼は二人から視線を外す。
すると横から、どこか恨めしそうな声が、翼の耳に刺さった。
「……翼くん、あなたは間違っています。あなたこそ、本当の意味で心優しいひとです」
声の方へ顔を向けると、心桜がキッと強いまなざしをこちらに向けてきている。
ようやく気持ちを持ち直したのが表情から窺えるが、彼女はいつもとは違う気迫をまといながら、淀みなく語り始めた。
「自分が損するとわかっていても、立場が上の人に物申して人を庇うことなんてそう簡単にできるものではありません。わたしだってできないです。それにあなたは体育祭の時、あの方に感謝されていたではありませんか。あなたは本当の意味で人を救える素晴らしい方です。それだけの力も強い意志も知性だってある。それに人を傷つけないために独りになろうとするなんて優しい人じゃないとできむぐぅ」
「心桜ちゃんもストップ! あなた影響力あるんだから、やけくそにならないで!」
怒涛のマシンガントークを始めた心桜に、急いでアリアが手を伸ばし口をふさぐ。
それでもまだ、もごもごと何かを訴えようとしている心桜。
対して翼は顔を真っ赤に染めたまま、視線を彷徨わせることしかできなかった。
ここまで真剣に、そして高く評価されていたことに、もちろん純粋に喜んでいる部分もある。
しかしあまりにも情報量が多すぎて、頭が完全にパンクしており、これ以上は勘弁願いたかった。
さらには凛乃に「なんだこいつら……」と書いてある顔で見られ、居たたまれなさが一層加速する。
そしてなおも止まろうとしない心桜の口を抑えながら、アリアが涙目で凛乃へ嘆いた。
「1人ならともかくこの2人制御するの、さすがのアリアちゃんでも無理だよぉ……助けてよ凛乃ちゃあん……」
「……苦労をかけるな」
「急に優しくして突き放すのやめてぇっ!?」
うわ~ん!と凛乃に勢いよく抱きつくアリアは、そのまま彼女の胸に頭突きをかます。
凛乃はそんなアリアを受け流しつつ、いまだに微妙な空気のまま固まっている翼と、まだ言い足りなそうな様子の心桜に、静かに告げる。
「お前ら勉強するんだろう? 早く食べろ」
「そ、そうでした」
「う、うん」
彼女のもっともすぎる注意に首肯する2人。
なんとも気まずい雰囲気をまといながら、2人ともそろりと食事に戻っていった。
「ほっ、やっとゆっくりできるぅ~。勉強がんばれ~」
ようやく落ち着きを取り戻した翼と心桜を見て、安堵の声を上げるアリア。
しかし凛乃は続けてアリアへ、訝しげな視線とともに鋭く問いを投げる。
「そういえばお前、テストの順位はどうだったんだ?」
「さ、さあ? 勉強なんてしなくても、愛嬌だけで生きていけるのがワタシの良い所です! 凛乃ちゃんもそんなワタシが好きだよね? ね?」
「……お前も勉強しろ」
「い、いやだぁぁ!!」




