17_決着
そうして姫君による徹底マークの下、数日の間翼は特に何もなく日々を過ごした。
今までは独りで立ち向かっていたので、心桜の介入による差に驚きを隠せなかった。
想像以上に心桜の影響力が強く、校内で絶大な人気と支持を受けていることを改めて認識する。
入学してから数ヶ月も経っておらず、さらには相手が3年であってもここまで波及するのかと翼は舌を巻かざるを得ない。
中学生よりは理知の働く高校生といえど、意外とこんなものなのかと少し拍子抜けしつつも、心桜に何か害がいかないかという点は気を張って学校生活を送っていた。
そうやって自分の事には油断していたある日の朝、昇降口で上履きに履き替えようとして違和感を覚える。
ふと中を覗けば、懐かしさと共に昔見た光景が重なった。
典型的なパターンその一、上履きに画鋲を仕込むいやがらせ。
見ればショックを受けるべきなのだろうが、慣れている翼からすればあまりの分かりやすさについ笑ってしまった。
「どうかしましたか?」
すぐに履き替えない翼を見て不審に思ったのか、少し離れた場所にいる心桜に声をかけられる。
「い、いえ、なんでもありません」
そこまで露骨に表情を変えたつもりはないのに、心桜はこちらを訝しむように見てから靴を履き替えて歩き出した。
想像以上に気遣われていて、少しでも隙を見せれば看破されるだろう。
どちらかと言えば先輩たちよりも、心桜にバレないかビクビクしているまである。
ありがたくも恐ろしさを感じる思いだが、これ以上心配をかけたり、彼女を下手に刺激して暴走させたくない。
心桜に気づかれないようにささっと画鋲を取り除いて、上履きに履き替えて彼女の後を追った。
そうやって数日にわたって上履きを狙ったいやがらせは続いた。
しかしそれに関しては別で上履きを持っていればいいだけのことだ。
また翼にも考えがあるので、ある程度は好きにさせておくことにした。
実の所、心桜が察していた通り翼は一通りの嫌がらせに対して慣れ切っているため、それなりにパターンは読めていた。
さすがに勉強時、教科書がなくなれば心桜に気付かれるので、そういった彼女の目に触れる可能性があるものは持って帰っていた。
そうなると必然的に靴しか狙えないが、だんだんエスカレートしていくとは思っている。
しかし向こう側としては、靴しか狙えないことに、かなり業を煮やしているはず。
次のいやがらせもそろそろかと思った矢先、教室内で不穏な空気が立ち込めていることに気付いた。
「ねぇ、小宮くんの噂聞いた?」
「あの暴力沙汰起こしたってやつ?」
ヒソヒソと会話する女子の内容から、また典型的なと翼は心の中で溜息をつく。
翼に対して悪質な噂を流し、孤立を促す。
これによって翼の評判は地に落ち、アリアが調べた時のように悪評が広まってしまう。
今も翼が噂を止める術はないので、対処のしようがないという点では有効打といえるだろう。
しかし翼は元々孤立していたため、どうでもいいと割り切っている。
はじめから独りでいれば、自分に何が起こっても周りに影響が及ばない。
そうやって自分の交友関係を切り捨てている場合は、被害の範囲が小さくて済む。
それに人と関係を設ける事すら普段から避けているので、なんなら好都合まである。
噂自体もそこまで長く持続するものでもないので、他人の目など気にせずやりすごしていればいいだろうと思っていた。
しかし、今回ばかりは違った。
「どういう噂なんですか?」
鈴を転がすようなその声を聞いて、翼は噂をしていた女子たちの方を見やると、心桜が穏やかな笑みを浮かべながら女子たちに声をかけていた。
「え、街中で暴れているのを見たって……」
「おかしいですね。彼はわたしの護衛で手が離せないはずなのですが」
「そ、そうだよね。あくまで噂、だもんね」
「他にも何かあればすぐに言ってくださいね」
「ま、真崎さんに?」
「はい」
それはさすがに気まずすぎると顔を引きつらせる女子たち。
一連のやり取りは翼にも聞こえており呆気に取られていると、そんな翼の視線に気づいたのか、心桜が翼の方へにこっと分かりやすく微笑んだ。
(こ、こわい……)
すぐさまそう思うほど、あれは何かしらの不興を買った笑みだと寒気がする。
おそらく翼に対してではないだろうが、この嫌がらせについて『これ以上は許さない』との意思表示を教室内に示している。
翼と同じように、ひきつった表情を浮かべるクラスメイトがそこかしこで見受けられた。
そうやって翼に対して変な話が流れようものなら、カースト最上位の『学園の姫君』が正論で叩きのめし、噂が広がらないように握りつぶす。
といった感じで教室内が封殺されてしまっているため、翼の予想に反して先輩たちの目論見は失敗した。
(これなら、意外と早く動くかもしれないな)
ある程度泳がせておくつもりだった翼としては、思わぬ進展に予想していた日程感を見直す。
向こう側としては、こうなると唯一成功している靴を狙うぐらいしかやることがなくなるはずだ。
勉学も至って真面目で、実直な翼は教員からの評判もあり、元々周囲との関係が希薄なので付け入る隙がなく、そもそも腕っぷしでは敵わない。
そう、翼は今までも正面から叩き伏せてきたのだ。
その上で今回は心桜の予想外のフォローもあった。
怒らせたらまずいと誰でもわかる心桜に歯向かうものはおらず、アリアや凛乃は良いタイミングで離れていたので、翼以外が被害に遭う事もなかった。
その上で、靴という穴をわざと作ってあるのは、罠にはめるため。
そろそろ上履きは替えを使っていることがバレて、別に狙いを変えるはずだと経験則から予想する。
そうして次に狙われるのは、替えの用意しにくい外履きだろう。
しかし外履きであれば上履きと違って狙うタイミングは限られている。
さらに言えば外履きは汚れにくいので、やるならストレス発散もかねて徹底的に壊しにかかるはずだ。
より限定的に、より過激に手段が変わっていくタイミング。
その瞬間を翼は狙った。
「写真を撮らせてもらいました。これで証拠になりますね」
ある日の昼休憩に翼が昇降口を張っていると、男子3人が翼の外履きを手にして持って行った。
心桜には『お腹を壊してトイレに籠る』などで言い訳しながら、数日間だけやり過ごしてこの時を待っていた。
そのまま人気のない空き部屋に入ったと思えば、しばらく出てこなかったので、翼がスマホを片手に中に入って写真を撮る。
1人の男の手にはナイフと、それで切り刻んだであろう翼の外靴があった。
翼が言ったようにいじめの証拠と聞けば、3人のうちの2人が焦った顔になる。
しかしナイフを持つ男はとぼけた表情を浮かべた。
「はぁ? 写真程度なら誤魔化せるだろ」
「おれの外履きを切っている場面が写っていてもですか?」
「写真じゃこれがお前のとはわかんねぇだろうが」
「ではナイフはどういうつもりで?」
「たまたま持ってただけだ。これぐらいなら注意ですむ程度なんだよ」
「苦しい言い訳ですね」
そうやって軽く言い返せば、小馬鹿にした顔で先輩が自身の勝利を確信したように翼を嘲笑う。
「はっ、動画でも撮ってりゃよかったのにな馬鹿が」
「今のが虚言だと?」
「見りゃわかんだろ。教員なんざ余裕でだませんだよ」
「そうですか」
最後まで言い切った男を見て、翼は薄く笑みを浮かべる。
そして答え合わせをするかのように、スマホの画面を変えて男に見せびらかした。
「ちなみにですが、今のは全て録音させてもらいました」
「……は?」
「写真ならと油断すると思ってましたよ」
そうやってスマホを振って男を挑発する翼。
動画だとここまで言わなかったはずなので、あえて分かりやすくシャッター音を鳴らした。
それとは別に音声を録音して、気持ちよく相手に喋らせて決定的な証拠を得てしまえばこっちのものだ。
「この録音であなたたちの証拠になりえますが、何か反論はありますか?」
「……そのスマホをよこせ」
形勢逆転を悟った先輩が手にしていたナイフを翼に向ける。
証拠を隠滅するために脅してスマホを奪取しようという判断は、なかなか鋭いなと翼は思った。
しかしそれに対して残り2人が彼についてこれず止めにかかる。
「お、おい! それはやべえよ!」
「うるせえ! お前らもこのままだとタダじゃ済まねぇぞ! さっさと囲め!」
鬼気迫る勢いに押されて言われるがまま位置を移動する2人。
状況としては、背後に2人と前にナイフを構えた1人が翼を囲んでいる形だ。
危機的とも言える場の雰囲気にのまれるように、目の前の男が切羽詰まった声で脅してくる。
「大人しくしとけ……でなきゃ殺すぞ」
「物騒ですね」
その男に対して翼は、淡白に返事をした。
翼の余裕に思考が燃え上がった先輩を見て、翼はスマホを彼めがけて弧を描くようにゆっくりと投げた。
「は?」
奪おうと思っていたスマホが手放されたことにより、男の目線が翼から逸れて、自分に向かってくるスマホに集中する。
その瞬間、翼はその男に距離を詰めて、彼が持っていたナイフの刃を握った。
「お、お前!?」
男は何をされたか理解した瞬間、『信じられない』という表情で全身の動きが止まる。
彼の思考が空白となっているその隙に、翼はその男の鳩尾に膝をぶち込んだ。
「お゛えっ……!!」
急所に一撃を受けて、声にならない声を上げてもがき苦しむ先輩。
そんな彼を見下ろしながら、翼は自分が投げたスマホを探した。
落ちていたスマホを見つけてぱぱっと拾い、起動していた録音を止める。
これで揉みあいになって録音が止まったことにできるだろう。
翼側も下手に発言はしていないし、動画ではないので一連の流れはどうとでも説明できる。
そして録音とは別に、『相手の指紋』と『自分の血』がついたナイフ、というあまりにもセンシティブで決定的な証拠も確保できた。
ここまで揃えばトドメまで追い込むことができ、この男にもう先はない。
翼はナイフの刃の部分を持ちながら、残った後方の2人に向き直って、最後の確認をする。
「それで、あなたたちはどうしますか?」
ナイフで切れて出血している手をものともせず、翼が2人に笑いかければ、彼らはそんな翼に怯んで声すら出せないでいた。
「では、おふたりはこの人を止めていたと口添えしておきますね」
そう言って2人の間を抜けようとすれば、翼に温情をかけられたことによってか、彼らは手を出してこなかった。
全て狙い通りに事が進み一息ついた翼は、掌から流れる血をハンカチで拭いながら、血のついたナイフを手に職員室へと歩いていった。