01_学園の姫君
「死にたくなかったらそこの女を差し出せ」
「……お嬢様、下がっていてください」
端正な顔に恐怖の色を浮かべる少女――真崎家の令嬢である心桜を庇うように、小宮翼が一歩前へ出る。
まさか高校入学早々から本分である『護衛』をするとは翼自身も思っていなかった。
だが心桜に煙たがられつつも、傍にいて功を奏したと翼は一息ついた。
――ついにこの時が来たか、と。
真崎 心桜は幼少期に拉致被害にあい、娘を溺愛する親によって多額の金品が渡ってしまった過去がある。
一度標的として有効と示されてしまった過去が、狙われ続ける要因になってしまっていた。
ゆえに箱入り娘として大事に大事に育てられてきたが、そんな日々に嫌気がさしたのか、心桜本人の強い希望によって高校からは1人暮らしという”自由”を得た。
と思ったら身辺の安全のために『護衛』を1人つけることが親の絶対条件ということで――そこで白羽の矢が立ったのが翼だ。
代々要人の警護を生業としていた小宮家の長男であり訓練済み。
さらに高校へ同行できるという事で適任という運びになった。
しかし折角自由を求めたのに、傍付きを強制された心桜は面白くなさそうに、琥珀色の瞳を細めていたのを、初めて顔を合わせたときに印象づいている。
それは高校入学、登校初日の朝も変わらなかった。
「おはようございます、お嬢様」
「……おはようございます」
マンションのドアの前にて、翼が会釈をしつつ挨拶を告げると、少し間を持たせながらも挨拶を返した心桜。
しかしそこはさすがの令嬢であるのか、表情は大きく崩さずに家に鍵をかけ、白茶色の髪を肩口で揺らしながら翼を見やった。
「……?」
「本日は雨の予定はありません」
「……そうですか」
翼が持っていた黒い傘を見て疑問に思ったのだろう、眉間を寄せながら空を眺めたので、翼は雨の心配はないと告げる。
ならなんで持ってるの、と心桜は訝しげな視線を一瞬だけ翼に向けるが、翼にそれ以上構いたくないのかすぐに視線をそらす。
「お荷物をお預かりします」
「結構です」
心桜の鞄を持とうと手を伸ばすが避けられる。
そしてこちらを見向きもせず、エレベーターへ向けそそくさと歩き始めた。
と、まぁしっかりと態度で意思を表明してくれていることは分かる。
護衛を煩わしいと思うのはよくある事なので、その意を汲むように、翼は彼女の数歩離れた斜め後ろからついていく。
厳重なセキュリティのマンションのエントランスを抜け、そうして道を歩いていけば――いたるところで好奇の視線を集めていることを、翼はひしひしと感じた。
それもそのはず、大企業の令嬢である真崎心桜は、翼から見ても手放しに眉目秀麗と言わざるを得ない少女であるからだ。
異国の血が混ざっているという話の、白茶色の髪は肩口にかかるぐらいで切りそろえられていて、大きな瞳は琥珀と比喩されるように宝石のような美しさがある。
グレーのボレロ制服から伸びる華奢な脚は、白タイツで覆われていて隠されているのに眩しく感じる。
胸元の白いリボンと合わせてか、左側の髪を白いリボンでまとめつつ短い三つ編みで束ねているのが、制服と相まってより清純さを際立たせていた。
(……気を抜けないな)
見られることには慣れきっている、と心桜はなんの素振りもなく普通にしている。
それだけ好奇の視線に触れてきたことが分かるが、翼としては視線が多すぎていつ何が起こっても不思議ではないと危うさを感じる。
目立つ、眉目麗しい少女を守る任務について、護衛としてはいろいろと思うところがあるのは致し方ないだろう。
そういった意味でも心桜の態度はもっともであるし、まずは信頼を得なければならない。
だからこそより一層、護衛として励もうと気合を入れなおした結果――
あっという間に時間は過ぎて一週間が経った。
たった一週間。
その短い期間だけで、心桜は圧倒的な地位を確立した。
実力試しのテストで1位を叩き出し、大勢に囲まれても柔和な微笑みを浮かべ見るものを凌駕する。
本物の令嬢なので当たり前だが、気品と格が違う、と誰しもが心桜を祭り上げる。
本人の意思なんてお構いなしに人が集まっていく様に、カリスマ性をひしひしと感じる。
容姿端麗、頭脳明晰、温厚篤実と非の打ち所が何1つない。
そうして学年だけでなく学校全体に鮮烈な印象を与え、名声が一人歩きしていった心桜についた渾名は、『学園の姫君』と大層なものにまでなってしまった。
なんでも持ち前の気品に加えて護衛がついているから、ということらしい。
元々地元で圧倒的な人気があったとされる、『御簾の双花』と呼ばれていた美少女2人を差し置いての名声だ。
癖のない、万人が好感を抱く心桜個人が特別扱いされている証左だろう。
ここまでたったの一週間。
心桜が動けばクラスが動く。なんなら他クラスも他学年も心桜を見に集まってくる。
華々しい高校生活が約束されたといっていい。
だからこそ翼は思った。
「おれ、このままだとただのストーカー……」
人が絶えない心桜の周りと相反して、翼の周りには誰もいない。いたこともない。
護衛任務に張り切り散らかして気を張りまくった結果、護衛対象以外の人間関係すべてを捨てていた翼は、当然入学スタートダッシュを失敗。
それ以降は挽回することなどできるはずもないし、しようともしなかったので自業自得だが、華々しい姫君との差にやはり気後れはする。
望んだことだから独りなのはまぁいい、と翼は頭の隅に追いやるが、目下最大の問題は心桜に避けられていることだ。
入学式の朝からずっと断固とした距離を感じる。仕方がないと受け入れたが変わるそぶりもなく、ただ心桜の背後をついて回るだけの毎日。
誰しもがお近づきになりたいと思われている美少女なだけに、学校での格差は非常に居たたまれない。
朝も帰りも終始無言なのはさすがに思うところがある。
あれだけ他者に好感を抱かれやすい心桜が、翼には一切何もしない。
(まぁ、仕方ないか……)
心桜と対照的にいろんな意味でうまくいかなかったと翼は陰鬱とした気分になるが、今更悔いても仕方がない。
学校での地位の差が絶対的なものでも、護衛は護衛。やるべきことははっきりしていると自分を鼓舞した。
そうしてひとまず翼がやることは勉強。
夜には鍛錬の時間を確保したいため、学校にいる間に全部済ませたい。
鍛錬後に勉強するのはきつい上、もう勉強する理由もなくなったので優先度は低い。
一応護衛対象に同行するため、どんな高校にも入れるよう勉強していた。
そのためテストでも2位と上位ではあるが、その護衛対象の心桜に負けたため、それも地味に気後れする要因の1つではある。
さすがに勉学全てを疎かにする気にはなれなかった。
と、授業時間も休憩時間も机にかじりつき、そうやってせっせと勉学に励めば意外と1日は早く終わる。
「じゃあ心桜ちゃん、また明日!」
「はい、また明日」
放課後になっても人に囲まれている心桜から、そう帰り支度の挨拶が耳に入りそっとまとめていた荷物を持って立ち上がる。
そしてそれとなく距離を取りつつ、傘を持って、校門を抜けたときに心桜の数歩後ろを歩く。
そこからはただ無言。
心桜もわざわざ振り返らない。
(……やっぱりこれは)
とまたしょげそうになり、思わずため息が零れた。
すると、心桜がチラッと翼をうかがい目が合うが、すぐに逸らされる。
露骨に不快感を示されないだけマシではあるが、前途多難な護衛生活に先が思いやられてしまう。
そうやって重い足取りのまま、今後の身の振り方をああでもないこうでもないと考え続ける。
人の多い通学路を抜け、2人きりで道を歩いていく。
閑静な通りには2人の息遣いだけが響いている。
――その静寂を破るように、1台の車が2人の横についた。