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Causal flood LacusAgri  作者: 山羊原 唱
9/18

七話 現象毒

〝フレイア〟から数歩歩くと、ソーマは地面に膝をついた。

 腹部の鈍痛が吐き気に変わってきた。


 スラを地面にそっと降ろし、森の入口を見つめる。

(…暗い。懐中電灯を持ってくるべきだったな‥‥。でも潜水艇に戻ってローレンスたちと鉢合わせるのはまずい。この暗さで、子供一人で住処に帰れるとも思えない…。ここで待っていればスウィフト隊員が迎えに来るだろうか?)

 こらえきれず、ソーマはスラに背を向けて嘔吐した。

 涙が滲むほど咳き込むソーマに、スラはなぜか彼の右肩をぎゅっと握った。

「大丈夫。少し待ってくれ。行ける所まで洞窟に向かうから…だから…」

 急かしているのだろうと思ったソーマは息を荒げながらその小さな手に触れる。


「ちあう。ちあうよっ。こわいよ!」

 「怖い」から離れようと引っぱっている力だと気づき、ソーマはハッと〝フレイア〟の入口に目をやった。

 入口から、軍人の拳銃を持ったローレンスが出てきていた。

 ソーマは吐き気を忘れ、スラを抱えた。そのまま気力で立ち上がる。


 しかし、走り出す前にローレンスから敵意の込められた銃弾を足や背中に受け、ソーマはスラを抱えたまま倒れた。


「ぐぅ…ッ、ふゔ…」

 呻き声と一緒に口と鼻から血が線を描いて流れた。

 ソーマは口に溜まった血を乱暴に吐き捨て、ローレンスに「フェイジャースレサーチャーが人を撃つなんてな」とせいいっぱい強がった。

 反対に、ローレンスは怯えたように体中震わせていた。

「お前こそ…お前こそ、なにをやっているんだ?軍人を殺したのはお前か?その子供のために、優秀な‥‥都市や俺達に必要な軍人を殺したのか?お前だってフェイジャースレサーチャーだろ⁉」

 拳銃を構え直す。

 ローレンスは震える手に力が入らないのか、中々照準が定まらない。


 フェイジャースレサーチャーが罪人を庇っている。 

 資源不足のFageを救う、この重大な任務を放棄している。


 それらの現実が受け入れられず、ソーマの行動に、いっそ恐怖さえ感じていた。

「わかるだろ⁉今、俺達が誰を、なにを守らなくてはいけないのか‼」

 ローレンス自身、ソーマを撃ちたくないのか銃口がどんどん下を向いていく。


 混迷の争いを収束させた偉大な〝MSS〟の価値観で考えれば、ソーマの行いが裏切りに見えて許さずにはいられなかった。

「なぜ大陸は沈没都市より劣っている⁉それは生き残るべき人間を犠牲にして価値のないものを優先するからだ‼まさに‼スウィフト隊員の行いそのものだ‼お前は…‼お前のやっていることはそれに加担しているんだぞ‼」


 捲し立てて、息が足りなくなってようやくローレンスの怒号は終わった。

 苦しさに負けて顔と銃口が完全に地面に向いたローレンスだが、ソーマから嘲笑のようなものが聞こえて視線を上げた。

 ソーマは、ローレンスの醜い姿がスラに見えないよう体を動かさず、顔を少しだけローレンスへ向けた。

「〝MSS〟はもう動いていない」

 傷口から命が流れるような感覚の中、ソーマの声音は静かだった。

「〝MSS〟のおかげで、本来起きるはずだった紛争もなくなった。沈没都市では自殺する人間もいない。安楽死は自殺にカウントされないからな」

 ソーマの言わんとしていることが分からず、ローレンスは目元に皺を刻んだ。


 ソーマはスラが苦しくないよう気を付けながら、地面にうずくまった。

「…〝MSS〟は確かに必要だった。でも俺は、〝MSS〟がなくても変わらないものにこそ、価値があると思ってる。フェイジャースレサーチャーになる前から、俺は自分にそう答えているんだ」

 殺される覚悟を決め、ソーマは目を閉じた。


 どうか、この身体が死に切る前にスウィフト隊員がこの子を助けに来ますようにと、祈って。


 ローレンスは考えを改めないソーマに失望する。

 銃口がソーマの頭に強く当てられた。

「…どうして、どうして、ソーマ…」

 嗚咽に紛れて、仲間への失望を言葉にならない言葉で繰り返す。



 ローレンスが発砲する前に、ソーマは限界だった意識を手放した。

 そのため、ローレンスの悲鳴も、ソーマには届かなかった。

「お前‼ミュウ、あさ――ァァアッッ、ぎッ!ゥああッ」

 ローレンスの声も、肉体も、石ころと同じ大きさになるまで粉々になっていく。

 紙飛行機に似た凶器が、闇夜から何機も飛来し、ローレンスを貫き、弾け飛んだ肉片をも砕いた。

 怒りと憎しみの飛来物は、ローレンスという人間の形が全くなくなったところでようやく止んだ。


 森の入口から姿を現したミュウは虫の息になっているソーマに近づき、彼の身体を少しどかしてスラを引っ張りだした。

「遅れてごめんなさい。スラ。怖かったね」

 母の優しく温かい声に、スラはハッとして顔を上げた。

 そっくりな琥珀色の瞳が見つめ合うと、スラの方がじわじわと顔を歪ませた。

「おかぁ、さん。おかぁさん。おかぁさぁん…」

 掠れた声で母を何度も呼んだ。ミュウは胸に縋りつく娘に「よくがんばったね」と沢山声を聴かせてやる。

 スラの頭に頬を寄せながら、ミュウは〝フレイア〟の入口を睨みつけた。

 もう一人、男が様子を見ている。

 姿を現すかと思ったが、その男は〝フレイア〟の奥へ気配を消し、〝フレイア〟を起動させた。

 〝フレイア〟から移動用のタイヤが出て来ると、海に向かって走り出した。


 あっという間に闇夜に消えた潜水艇にミュウは目を丸くさせる。

(あらら。気が動転して逃げちゃったのかしら。今の周期で沖に出なければいいけれど)

 今は異常気象が緩む周期ではない。

 しかし止める義理などなく、ミュウはスラを抱えて立ち上がり…虫の息となっているソーマを見下ろした。



 二日目の朝。

 日差しを感じた体が、自然とソーマを眠りから引き上げた。

 仰向けのまま、ソーマはゆっくりと周囲を見渡す。

 岩肌に囲まれ、青々とした草原に、大小の池が点在し、ふき抜けとなった天井からは木漏れ日が差し込まれている。

 体は疲れ切っているがゆっくり上半身を起こすことができた。適当に着せられた上着をめくる。

 軍人に殴られた腹部はひどい色になっていたが、ローレンスから受けた負傷はなにかで縫われていた。


「…これも、貴方の持つ武器の力か?」

 声を掠らせて、ソーマは傍らに座って様子を窺っている女性に尋ねる。


 第一調査隊の顔ぶれを、第二調査隊は知っている。

 だから、その女性がミュウ・朝香・スウィフトであることはすぐに分かった。


 彼女の琥珀色の瞳は警戒心に満ちている。ミュウはそのままソーマをじっくり観察する。

「出産時にも縫合はしてみて、実用的だったから君にも試してみたの。致命傷の大怪我は初めてだったんだけど、有効みたいね」

「…ここは…?」

「報告書の洞窟よ。こんな場所があるなんて、本当に美しいわよね、この島。さて、君は第一調査隊について()()知っているのかしら」

 そう言って、ミュウは紙パックのリンゴジュースをソーマに投げ渡した。

 とん!と地面に落ちたそれに、ソーマは苦笑して手を伸ばす。

「答えるよ。でもその前に…あなたの子供、生きているか?」

 ストローを差して、ソーマは曇った表情で尋ねる。

 すると、ミュウは身体を少しずらして、背中に隠していた双子を見せた。

 野外用の折り畳みベッドで疲れ果てて眠る双子がいた。寄り添って眠る猫のようだ。

 ソーマはそれを見て、安堵の息を吐いた。


 そんな彼の様子に、ミュウは少し皮肉気な表情を作った。

「子供を助けようとした理由から、聞いた方がいいかしらね?」

 ソーマ自身、彼女に訊きたいことは沢山あったが、それでは質問の応酬になると思ったので先に答えた。

「それに関しては特別な理由はないよ。子供だったから、としか。…むしろ、子供たちがいなければ、俺はあなたの処刑に手を貸していた。第一調査隊壊滅の元凶があなたなら、正直異論はなかった」

 ソーマはパックにストローを刺し、一口飲んで喉を濡らした。

「俺もあなたの話しを聞きたい。お互い、情報のすり合わせからしないか?」

「建設的ね。それなら話しを戻しましょう。第一調査隊についてはどう聞かされているの?」

「まず、第一調査隊で起きた殺人は皆貴方がやったことになっている。ただ俺たちは、第一調査隊は全滅したと知らされていたんだ。信号が〝イング〟から消えていたから」

 貴方の分も、と彼は追加する。

「どうやって生命信号を停止させたんだ?あれは専用の光を使わないと剥離できないはずだ」

 チップではなく、培養細胞を活用した皮膚シールを調査隊は身体に貼付している。生存確認以外にも健康状態を調べることができるため、この調査期間で剥離する機材は積んでいない。

 

 ミュウもパックにストローを刺してコーヒーを飲む。

 砂糖入りだが表情は苦いものだ。

「恐らくだけれど、今私が都市に戻ったら生命信号は正常に動くはずよ」

「どういうことだ?」

「まず、この島でまともに作動する機械やAIはないってことは気づいている?」

 ミュウの発言に、ソーマは言葉を失う。

 彼のその反応に、ミュウの表情は苦笑に変わる。

 二日で第二調査隊は二人になった。機械の動作不良に気づく依然の問題だ。


 ミュウは第一調査隊で起きた一件を話し、隊員や機械の異常について説明した。

 その異常を〝現象毒〟と名付けて。

 


 聞き終わったソーマは深いため息を零した。

「…つまり、その現象毒はエンドレスシーでAIに、現実では人間に影響を及ぼすことができると。そうか、少し合点はいった」

 ソーマは怒り狂ったローレンスを思い出した。

 彼の理屈は沈没都市の価値観であり、間違ってはいない。

(でもだからって人を殺せる男じゃなかった)

 しかしそれができてしまうほど、ローレンスの根底には〝MSS〟の理念が無味無臭の毒のように溜まっていた。

 針路調査に沿った人生ならば、それが毒であることを知らずに生きる。

 向き合わなかった己の毒性を暴く、それが現象毒ではないのか。


「〝MSS〟によって向き合うことのなかった価値観が浮き彫りになるのが、現象毒じゃないかって、私は思うの」

 ミュウは少し俯いて呟いた。

 同じ推測にいきついている彼女に、ソーマは視線を向けた。

 この三年。ミュウはずっと考えていたのだろう。

 この島の正体や第一調査隊の悲劇について。

「私ね、〝MSS〟の針路調査で母親には向かないって出ているの。確かに間違ってはいなくて、恋人もいて、名誉ある仕事も持って、子供がいなくても充実していた。…でも、母親になる憧れがないって言ったら、嘘になる」

 ミュウは眠る子供たちを見つめている。

「私が現象毒に犯されたところを上げるなら、使命より憧れが勝ったこと、かしら。たとえ悲劇になると分かっていても、私は我が子に会いたかった」


 〝MSS〟は遺伝情報すら信号化する。そこから未来をシミュレーションして、人間に針路を示すのだ。

 ミュウとそのパートナーでは、彼女と並ぶ・もしくは超える人材の育成は見込めない。

 未来にどれだけ資源を残せるか。その定義で計るならば、ミュウ本人が自身の能力の限り役割を全うする方が価値があった。


 大人たちの声に気がついたティヤが「ぅやあ~」と声を上げた。

 ぐずり始めたのでミュウはソーマに一言断り、子供たちの傍へ寄った。


 そんな彼女と子供たちを見つめながら、ソーマは暗い気持ちで視線を落とした。

(…現象毒がAIにまで影響を及ぼすのなら、やはりこの島はエンドレスシーに接続できる。…でもそれなら…そのことを〝MSS〟は知っていたはずだ。停止はラクスアグリ島が海に現れてしばらく後だったんだから)

 怒りか、悔しいのか、気持ちの悪い感情が胸の中でごちゃまぜになる。

(そう。だから…〝MSS〟は現象毒を知っていて、調査に行けと、俺達(人間)に言ったんだ)




 資源不足。

 争い。

 湾岸の沈没。

 そんなご時世で、どこかの金持ち(愚か者)は月にホテルを建てたそうだ。

 それはFage以前の時代が終わるトドメだった。

 

 〝人々の未来を繋げる〟

 そんな理念の基存在するAI〝MSS〟が沈没都市という形で理念を叶え、Fageという新しい時代に繋げた。


 コンピューター間のネットワークより高い処理能力と広範囲に渡る制御能力を得るため、世界中のあらゆる信号を整え、エンドレスシーを作った。

 大陸に存在する、無秩序に…そして差別的に散乱する資源を回収し、それらを「たからもの」だと守れる人間を選別・教育した。

 

 それは平たく言えば成功だった。

 エンドレスシーがある以上、旧式のネットワークしか持たない大陸は電子戦において沈没都市を上回れない。資源回収により沈没都市より優れたテクノロジーも存在しない。

 攻め入ることのできない城が資源を管理することで、〝MSS〟がなかったら本来訪れていただろう争いや病気を防ぎ、人々の未来は確かな糸として繋がった。


 しかし。

 どこまでも理念に忠実な〝MSS〟が、なぜラクスアグリ島の危険性を人間に知らせなかったのか。

 そんな島を置いて、なぜ〝MSS〟は永久停止してしまったのか。


 もうこの世にはいない、敬愛する恩師の声が耳元で聴こえそうだと、ソーマは思った。

 

 

 




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