五話後半 壊滅
「おい…。嘘だろ」
カルロスは思わず洞窟の入口で立ち尽くした。
トマスがいないのだ。
小型端末には以前、〝ここ〟にいると示されているのに。
カルロスは嫌気が差して小型端末を投げ捨てた。
時間が惜しい。アセンションが効いている間に〝イング〟に着くため走り出す。
(エンドレスシーで風が起こるからドローンの動作不良の理屈は理解できる。でも点滅の送受信は、エンドレスシー内ではAIが目視でできる簡単な作業だ)
FageのAIはエンドレスシーにて多種多様な船の形をしている。
用途に応じて一つのAIが持つ船の数も違うが、「故障」と表現される場合、それら船に傷がつく・沈むなどして起こる。
そうなれば警報の作動や補助機能が働くはずであった。
そういったアクションがないということは――。
(〝MSS〟に近いAIの一つである〝イング〟より、ラクスアグリ島の方が勝っているってことになる。…ラクスアグリ島が意図的にそうしているなら、今まで本部報告したAIの異常も、もしかしたら届いていない可能性がある)
あくまでこのラクスアグリ島がエンドレスシーに介入できる、という前提の推測だが。
ドローンの不具合が生じた時から嫌な予感がしていた。
(でもそれなら、この島はエンドレスシーに姿を持っているってことだ)
そこでは果たして島の姿か。
それともAIと同じく何かしらの船か。
はたまた、別のなにかか。
動物に匹敵するその足で、カルロスは〝イング〟が見える所までやってきた。
そして一度、足を止める。
〝イング〟に入る必要はなかった。
すでに死体となったアリシャをシンが抱え、泣きながら謝罪を叫んでいたからだ。
カルロスは苦い顔をしたが、シンの身体に藪を払うための鉈が刺さっていることに気づき、走り出した。
「シン‼おい!」
むせび泣くシンの肩を掴み、カルロスは止血を試みる。
「おい、シン!アリシャから手を離せ!アリシャがいたらお前の身体を手当できない‼」
アリシャとの間に割って入り、カルロスはシンの頬を叩いた。
その衝撃でシンははたりと泣き止み、両手で両目を覆った。
「僕が近づいたら、アリシャが鉈を取り出して…。彼女は叫んで取り乱していて…」
カルロスはアリシャの方を振り向いた。
彼女の首に手跡が残されていた。首の不安定さを見るに折れている。
アリシャの鉈が先か、シンの絞首が先か。
真相はどうあれ、結果的に相打ちになってしまった。
「ちがうんだ…僕は、殺そうとしたんじゃない…。彼女を止めようとして……こんな場所から、都市に…帰して、あげ…たくて…」
「シン…」
ようやく体が死に気が付いたようだった。
もとよりむせび泣く力なんてなかったはずなのに。
シンの体がカルロスにもたれかかった。カルロスは避けず、そのままシンのうわ言を彼の最期まで聞いてやった。
―――――――――
カルロスが洞窟を離れてしばらく。
座って休んでいたミュウは天を仰ぎ、乾いたため息をついた。
「…洞窟の入口なんて一つとは限らないものね」
―――ゴッッ‼と、岩の切れ間が破壊された。
砂埃や岩の塵が舞い、そこから炎のように揺らぐ赤茶色の人型が徐々に姿を見せた。
精密兵器だ。別の入口から阻む岩壁を破壊してきたのだろう。
精密兵器の後ろにはトマスがいた。
「カルロスがいない。…君が殺したの?」
彼はミュウを睨みつけながら尋ねた。
彼女はカルロスから預かったグラッチを地面に置いて立ち上がる。
炎のように揺らぐ精密兵器の体に、ミュウは辟易した。
他の機械は動作不良を起こしたのに、精密兵器は正常に動くらしい。
「カルロスは〝イング〟に戻ったわよ」
ミュウとトマスの睨み合いに、青い蝶たちは息を殺して草むらに潜んだ。
「本当かどうか怪しいな。――ミュウ、これが最後の確認だ。堕胎する気はある?」
「いいえ」
こんなにはっきり否と答えると思っていなかったトマスは面食らった。次いでごみくずを見るような目でミュウを睨む。
「尊い命だとは思うよ。でもね、沈没都市じゃ真っ先に大陸に還される命だ。だってこの重大な任務に、どうしたって支障を来すんだから。そのまま放置していたら、どんどん君は使い物にならなくなる。無事に産んだら?その方が厄介だ。子供の分の資源なんて〝イング〟にはない。…作るとしたらそうだね。僕ら誰かの分を減らせばいい。だから、僕は諦めてくれって言っているんだ」
ミュウは正気を装うトマスを許さなかった。
(キキを殺しておいて)
だから、とびきり妖艶な表情で、彼を挑発した。
「それならありがとう、トマス。あなたが減らしてくれたわね」
キキの分を。
「任務違反だ‼精密兵器、ミュウ・朝香・スウィフトを処刑しろ‼」
激昂したトマスは精密兵器に叫んだ。
精密兵器はすでにミュウの妊娠の事実を〝イング〟から受け取っている。
未来的に見て、トマスとミュウ、どちらが資源を守る選択をしているか――故に精密兵器はミュウを罪人として認定した。
精密兵器は滑るようにミュウとの距離を殺していく。
逃げることも適わぬその速さと激流の刃は――
蜜の化石が割れたような光とともに散った。
金細工の紙飛行機が飛来し、精密兵器の刃と足を削り取った。それはいくつも飛び交い、精密兵器を後退させる。
精密兵器は木の根のような鞭を形成し、その数をねじ伏せようとする。
しかし対人戦でもなければ、エンドレスシーとも関係ない武器相手に遅れを取る。
間もなくして、対戦車ライフルでも破壊できない頭部の小さな核が破壊された。
トマスは呆然とした。
そんな彼に、ミュウは無情にも金細工の紙飛行機の矛先を向ける。
星空のような、キラキラとした無数の矛先である。
「トマス。私もこれが最後よ。――私に近づいたら殺すわ」
「ミュウ…君は、本当にどうかしているよ」
つい、トマスは言い零しながらつま先を前に出してしまった。
その瞬間、彼の頬を掠めて金細工の紙飛行機が飛来した。
後ろの岩壁に深く突き刺さる。
トマスは覚束ない足で数歩後退すると、ふら、とミュウに背を向け来た道に姿を消した。
「――――そのまま両膝を地面につけろ。スウィフト隊員」
アセンションをさらに服用して、急いで戻ってきたのだろう。
少々息が荒いカルロスは、入口で膝をつけ、ミュウに銃口を向けていた。
彼女の周囲には精密兵器と戦った金細工の紙飛行機はまだ浮遊している。
地面には核を破壊された精密兵器も残されていて。
――ミュウが正体不明の武器を使ったことは明白だった。
彼の目は護衛のものではない。
粛清対象として睨まれているミュウは悲しそうに目を逸らした。
「…最初に戻ったわね。私を殺すつもり?」
「確認したいことがある。――胎児を守るつもりか?」
是と答えれば撃つ。
カルロスの意図はミュウにも伝わっている。
だから彼女は粘った。
「やめて。あなたと争いたくない。…トマスが行ったわ。追いかけたらどう?」
「それじゃ問題を先延ばしにしているだけだ。…ミュウ。無理だって分かるだろ。あんたの子供はすでに資源を食い潰している。産んだところで親諸共都市の制裁対象だ。大陸なら生きる場所はあるかもな。でもあそこはあんたの生きる場所じゃない」
表情はなるべく動かさず、しかしカルロスはできる範囲でミュウへの誠意を伝える。
「子供は諦めろ。あんたにどれだけ尊い理由や感情があろうと、現実的じゃない。諦めてさえくれたら、――今まで通り沈没都市の価値観を守ってくれるのなら…俺もコレを下げられる」
沈没都市の価値観…つまりミュウ自身の命を選んでくれと、カルロスは言っていた。
ミュウはぎゅ、と奥歯を噛み、頷かなかった。
「カルロス。私はそれでも答えが変わらない」
浮遊する金細工の紙飛行機を、カルロスはベネリを使って次々撃ち落としていった。
精密兵器と違ってエンドレスシーを必要とせず、過去のデータから動く体でもない。
カルロスの動きを止めようとする飛来すらアセンションの薬と持ち前の反射神経で避けていく。
不思議と、Fage最強の兵器より生身の人間の方が正体不明の武器と勝負できていた。
撃ち落とされても、金細工の紙飛行機は機動力を取り戻してカルロスに向かうが、どれも致命傷を狙っていない。それが徐々にミュウとの距離を詰めていく隙となる。
しかしそんな隙を囮にしたタイミングで、土に潜っていた金細工の紙飛行機がカルロスのベネリに直撃した。
火花が散るほどの衝突に手から離れるも、カルロスは身を転がして地面に落ちていたグラッチを手に取った。
照準はミュウの頭部。
小麦色の長い髪に隠れた彼女の表情は見えない。
例え彼女が泣いていたとしても。刻み込まれた沈没都市の価値観がカルロスに引き金を引かせる。
パアァアン‼
とカルロスの手元で銃が暴発した。
暴発の破片がカルロスの手や腕、顔を傷つけていく。
それだけでは終わらず、カルロスの両肩に光が落ちた。
金細工の紙飛行機が彼の両肩を貫いたのだ。
一瞬で両腕が使い物にならなくなり、カルロスは地面に膝をつけて痛みに顔を歪める。
カルロスの荒い呼吸が洞窟内に響く。
耳を澄ませれば彼の肩から流れ落ちる大粒の血の雫も聞こえた。
ミュウが彼にかける言葉はない。
ただ、これ以上続けるなら死ぬのはカルロスだと。
状況が説明していた。
「…ハッ…、銃なんて、要らなかったんだな」
カルロスは割れたグラッチに視線を移す。重さや引き金の感触に違和感はなかった。となればあの金糸を使って事前に仕込んでいたのだ。
アセンションの薬も体に負荷がかかる。内側も外側も彼の体を痛めつける中、カルロスは皮肉をぶつけた。
「グラッチに細工するだけして置いておきやがって…。ああ、でも軍人的には、悪くないせこさだと思うぜ。まぁツメが甘いがな」
ミュウは忘れていた。
彼は、やられたらやり返すタチなのだと。
ハッと気づいた時はすでに、彼は足だけでミュウとの距離を詰めていた。
口に、ピンの抜けた手榴弾を咥えて。
爆発音は、少しくぐもって聞こえた。
ミュウは咄嗟に自分を金糸で包み、繭の中にいた。
どれだけ爆発から身を守れるか分からなかったため、目を瞑って耐えていた。
しかし思っていたほど…音の震えも繭には伝わらず。
ミュウは知らず止めていた息を吐き出し、繭を解いた。
すっかり日は昇っていて。
原種のリンゴの木は暖かい日に照らされて。
息を潜めていた青い蝶たちが朝だと吹き抜けから飛び立っていく。
バケツいっぱいに絵具をぶちまけたような血痕さえなければ、それは本当に美しい、寓話の一ページみたいであった。
――――――――――――
洞窟からやっと外に出られたトマスは、その出口が絶壁だと思わず足を滑らせた。
真っ逆さまに海へ落ち、打ち付ける波にもがきながら上を目指そうとした。
つい、動きを止めてしまった。
日の出が差し込んだ海中の景色に驚愕したから。
宝島を気取ったこの島の〝底〟。
見慣れたものもあれば、一体あれはなんだったのか分からない塊まで…。
島の本当の姿を誰かに伝えることはできず、そのまま彼は光の届かない海底へ沈んでしまった。
こうして第一調査隊は、入島一ヶ月を迎える前に全滅したとされた。