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Causal flood LacusAgri  作者: 山羊原 唱
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五話前半 壊滅 


 

 

 ミュウが潜水艇から逃げ出した後、トマスは乱暴にその閉じられた扉を叩いた。

「くそ‼〝イング〟‼火事の危険性を今すぐ検出しろ‼」


 中から開ける術といえば、〝イング〟にこれが誤作動であるということを知らせる方法だけだ。〝イング〟は数秒で医務室の扉を開けた。

 医務室から出たトマスはミュウを追いかけようとしたが、カルロスから帰還信号を受信したと〝イング〟が反応する。

 トマスはミュウがいなくなった通路を食い入るように見つめた。

「…なぜ逃げたんだ?まさか、堕胎したくないのか?」

 トマスはハッとして〝イング〟に呼びかける。

「〝イング〟‼僕の許可と隊員にこれ以上の危険がある場合を除いてスリーピングモードでいろ‼」

〈ハロー。それはあなた方の生命に関わります。推奨しません。〉

「シンたちが帰ってきて真っ先にお前に真偽を聞けば僕が()()()()()になる!止めるべき重罪人を野放しにしてそれはできない‼」

 大声で指示を出しながら、トマスはハサミが刺さったキキに寄り、医療用凍結スブレーを撒いた。彼女の出血は瞬く間に凍結していき、運んでも血痕がつかない状態になった。

 彼女の両足首を診察台のシーツで縛って女性部屋まで引きずる。女性部屋をてきとうに荒らし、キキの遺体を置いた。

 そして急いで医務室に戻り、アルカリ性の漂白剤とタンパク質分解液を使って血を拭き取っていく。

 キキを殺した証拠を消さねば、原因不明の異常を抱えるミュウより先に処刑されるのはトマスだ。

 憑りつかれたように夢中で現場を隠蔽した。

〈ハロー。トマス・フスティツィア・ブランカ隊員。私はご指示通り眠りますが、よろしいでしょうか?〉

「とっとと眠れ‼シンたちが帰って来る前に‼重罪人を取り逃がした僕が責任を取らなければ‼ミュウは怪物を産む気だ!」

 トマスは無我夢中で返した。

〝イング〟は刹那、間を空けて〈ご健闘をお祈り申し上げます。〉と静かに停止した。


―――――――


 潜水艇で待機するトマスもカルロスに話していた。

 一通り聞き終わったカルロスはグラッチを腰に戻した。てっきりその銃口を向けられると思っていたトマスは怯え切った瞳でカルロスに「なぜ銃を…」と零す。

 カルロスは両手を上げて敵意がないことを示す。

「座ってるとグラッチが腿に当たって痛かっただけ」

 あっけらかんと嘘を言う彼に、トマスは怯えることが馬鹿みたいに思えた。はっと息を吐いて知らずに入っていた力を抜く。

 

 その時、カルロスはテーブルの信号の表示を見て立ち上がった。

「ど、どうしたの⁉」

 トマスが驚いて彼に声をかけるが、その頃には彼は食堂を出ていた。


「――アリシャ‼どうした⁉」

 走って戻って来た彼女に、カルロスは潜水艇から降りて駆け寄った。

 シンの信号は洞窟に残されたまま、アリシャだけが帰って来た。

 カルロスの姿を見ると、アリシャは電池が切れたように体から力が抜けた。

 彼女の身体が地面に打たれる前にカルロスが支える。

「アリシャ⁉おい、大丈夫か⁉」

 意識はあるが、錯乱している。

 アリシャはカルロスの腕の中で泣き喚いた。

「おかしいのはこの島だって何度も言ったのに‼だから拘束するようなことはやめようって言ったのに‼私たちが来なければこんなことにならなかったの⁉」

 騒動が気になったトマスも〝イング〟から降りてきた。


 カルロスは落ち着くよう宥めながら、彼女の身体に怪我がないか確認していく。

(顔の腫れ…あとは、多分急いでここに戻ってきたから色々擦りむいてる…致命傷はないな)

 命の危険がないことを確認し、カルロスは「シンはどうした?ミュウは?」とアリシャの背を撫でながら尋ねる。

 アリシャはカルロスにすがるように胸元で手を握る。

「ばれちゃった…。シンに、私がカルロスに相手して欲しいって言ったこと…。カルロスもキキも内緒にしてくれてたのに…。ごめんなさい、ごめんなさい…私は、ここに来れるような人間じゃなかった。…シンが殺されて、私…」

「シンが殺された…?」

 カルロスは目を見張って繰り返した。

 シンの信号は残っている。ロストではない。

 アリシャの思い込みかと考えたカルロスだが、実際に目で見て確認する必要性を感じた。

「アリシャ。君はひとまず医療室で待機してくれ」

 こんな状態の彼女を連れて行けないと判断したが、アリシャがカルロスにしがみついた。

「嫌‼お願い置いて行かないで!カルロスだけは…もうキキもいないのに!カルロスだけが、私…」

「必ず戻って来る。それに、ちゃんとそのほっぺた冷やしておけ。あんたの笑顔がないと、この隊はみんな真面目でつまんないんだ。そのままだと笑った時痛むぜ。な」

 カルロスはアリシャの腫れた頬には当たらないよう、額から耳にかけて撫でてやった。

 あえて軽薄そうに笑ってそうする彼に、アリシャは少し頭が冷えた。涙を拭ってコクリと頷く。


 カルロスは振り向き、トマスに頼んだ。

「トマス。一緒に来てくれ。――精密兵器を持って」

 〝イング〟には二騎、精密兵器が保管されている。

 だがそれは研究員の許可がなくては持ち出せなかった。

 トマスはアリシャの様子に慄きながらも、「あ、ああ。そうしよう」と〝イング〟へ入って行った。

 少しして、手に球体を持ってまた戻って来た。ここにアリシャ一人置いて行くので、もう一騎は彼女のために残している。


 その間にカルロスは装備を点検し整えた。

「それじゃあ行ってくる。アリシャ、手当してやれなくて悪いな」

 〝イング〟の入口で佇むアリシャは暗い顔で首を振る。

「なにも…力になれなくてごめん…。帰ってきてね」

 カルロスは苦笑してアリシャの肩にぽんと手を置き、そして背を向けて先へ進んだ。

 その後をトマスがついていく。


 虚ろな瞳をしたアリシャは一人佇んだ。


―――――――――ー


 日が傾いてきた。

 カルロスとトマスは洞窟の前までやってきた。

 すぐに入らず、カルロスはトマスに振り返る。

「トマス。あんたはここで待機」

「…手厳しいね。これから日が暮れるっていうのに」

 苦い顔をするトマスに、カルロスは薄く口元に笑みを浮かべる。

「だからって、あんたとアリシャを二人にするわけにはいかないだろ?」

「ああ、そうかもね。彼女、僕にまで色目を使うかもしれない。君の時みたいに」

 嘲笑となったトマスに、カルロスは拳一個分まで近寄った。

 口元は笑んでいるが、目元は静かな怒りが抑えられていた。

「人を殺しているあんたよりはマシだぜ?」

「――ッ、あれはミュウが…!」

 カッと頭に血が上ったトマスだが、噛みしめて感情を制御する。

 まだ理性的でいようとするトマスを見て、カルロスは精密兵器を指先でつついた。

「俺が信号を送ったら精密兵器を起動させて洞窟に送り込んでくれ。一時間経っても俺から応答がなければ精密兵器に護衛させて〝イング〟に戻れ。で、本部に報告してくれ。そしたら、多分あんたとアリシャは強制送還の命令が来るはずだから」

「…わかったよ」

 異論のある意見ではなかった。

 トマスが洞窟の入口にある適当な岩に座った。

 カルロスはそれを見届けてから――洞窟へ入った。


――――――――-

 洞窟に入ると、カルロスはすぐにある丸薬を取り出した。

 金平糖のような可愛い丸薬だ。

 ある種の動物の特性を肉体に付与するこの薬を噛み砕き、カルロスは数秒待った。

 サイトハウンド(狩猟犬)が持つ視力と走力が身体に行き渡る。この薬の付与には他にも種類があるが、サイトハウンドが最も肉体へのダメージが優しいものとなっている。

 精密兵器と試合するには、生身の人間相手ではもう話にはならない。

 アセンションというこの丸薬を用いて、都市所属の軍人は精密兵器を強くさせているのだ。


 カルロスは走り出した。

 軽く、速く、風のような一歩で。

(本当に浸水していない)

 足場の悪さはあるが今のカルロスにとって脅威ではない。


 不意に、洞窟の風が女性の歌声を運んだ。

 その声を目指したそこは――


 闇に沈んでいた森林とは違って、この吹き抜けの広場には月明かりが届いている。点在する池が光を反射させて明るいとさえ思ってしまう。

 この場所を独り占めするようなリンゴの木の下、自分の腹を撫でながらミュウが歌っていた。

 よく見れば至る所に青い蝶が羽を休ませている。



 ミュウは歌を止め、ゆっくりとカルロスの方へ瞳を向けた。

 カルロスもまた、ゆっくりとミュウへ近づく。

「…私を殺しに来たの?」

 諦めと微かな敵意を込めて、ミュウが尋ねた。

 カルロスは首を振る。

「話し合いが出来る方に来たつもりだ」

 腕本分二本分の距離を残し、カルロスは腰を下ろした。グラッチとベネリ、軍用ナイフを全て置く。

「シンを殺したのは、あんたか?」

 ミュウは武器を全て置いた彼に驚く。

 だから、しっかり彼と向き合った。

「いいえ」

 ミュウははっきりと首を振った。

「争ったけどね。アリシャがそう言ったの?」

「まぁな。でもかなり錯乱していた。状況の説明はほとんどできない感じでな。シンが殺されて、怖くなって逃げたんだと。それくらい」

 ミュウはカルロスの言葉をひどく慎重に聞いた。

 そして「そう」と返す。

「シンの暴言がひどくてね。…アリシャも、ずっと前からかなり疲弊していたのね。私がシンを刃物で斬りつけて抵抗したら彼女は逃げて行ったの」

「…つまり、シンは…」

「生きてるわ。アリシャが逃げ出した後、その後を追って…。待って。本当に彼が殺されたと…死んでいると思って私に聞いているの?彼は、そっちに帰っていないってこと?」


 シンの所在が噛み合っていないことにお互い気づき、緊張が走る。

 カルロスは小型端末の画面を確認する。

「〝ここ〟にシンの信号が残ってて…、…なに?」

 カルロスは無論、ミュウが嘘をついていることも視野に入れていたが、その根拠は失われていた。


 ミュウが近づき、その画面を見ると自分のものとカルロスのものしか表示されていなかったからだ。

 シンの信号を探しても〝loading…〟と表示されたまま変化がない。


 いつも感情を顔に出さないカルロスが初めて焦った汗を流した。

「研究員の帰るところなんて一つしかない。あっちにはアリシャを一人残してきてる」

 それを聞いたミュウもゾッと血の気を引かせた。

「シンは正気じゃないわ。さっき、シンはアリシャに手を上げたのよ。…その、あなたとの件で」

「アリシャからそれは聞けた。それで手を上げたってことは沈没都市の潔癖な志に障ったんだろ。とはいえ俺の判断ミスだ。トマスもこっちに連れてくれば〝イング〟は安全だと早とちりした」

 さらっと沈没都市への嫌味を吐かれたが、今はそんなことが癪に障るほどミュウも小さな人間ではない。

 ミュウはカルロスの肩を軽く押した。

「行って。私はいつ、つわりが悪く出るか分からない。役に立てないわ。トマスのことは縛っておいてもらえればいいから」

 アリシャを守りに行ってくれと言うミュウに、カルロスは安心したような笑みを浮かべた。

「俺は正気だって信じてくれるか?」

「あなたが私を信じてくれたから」

 互いに正気であると信じて、張りつめた冷たい空気がほんの少し和らぐ。


 そして手早く、カルロスは地面に置いた装備を身に着けていく。

 グラッチを手に取り少し見つめた後、グリップをミュウに向けた。

「…なに?」

 ミュウは意図がつかめず首を傾げる。

 カルロスは不安をほのかに滲ませて答えた。

「ほんとはあんたからも聞きたい事情はあるんだが、それは後でな。今は万が一、誰かに襲われたら武器が必要だろ?ナイフよりは心強いぜ」


 和らいだはずの空気が揺らぐように、ミュウには感じた。

 カルロスは相変わらず、軽薄そうな微笑を浮かべている。


 それは、こんな不安なんて大したことないと思わせてくれるものだ。

 軽薄なのに、みんなが好きな彼の表情だった。

「ミュウは武器なんて持ってないんだから」


 機微な空気は幸運にもカルロスには伝わっていないようだ。

 ミュウは宝物を撫でるように、グラッチを手に収める。


「…ええ。私はなにも持っていないわ」


アセンション

 軍人が精密兵器の対人戦を向上させるために使う丸薬。

 ある種の動物の特性を身体に付与する。

 軍人の適性によって動物の種類が分けられる。

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