三話 沼底の水位は上がる
その日の開拓チームはカルロス、シン、アリシャだった。
相変わらずのシンにアリシャは怒りを抑え、カルロスがさりげなく仲裁する、そんな時間ではあった。
「すぐに戻ろう」
調査の途中であったが、シンが空を見上げて言った。
「ひどい雨になりそうだ」
言われて、カルロスとアリシャも空を見上げる。雲はあるがまだ晴天ではある。しかし気象学はシンの専門だ。
アリシャは迅速に研究道具を片付け、カルロスは拠点に帰還信号を送った。
三名が潜水艇の〝イング〟に到着する時には、バケツをひっくり返したような雨になった。
「‥‥?」
外から見た〝イング〟の空気感に、カルロスが足を止めた。
「ちょっと待て。俺が先に入るから、二人はここにいてくれるか」
まさに〝イング〟の出入口を開けようとしていたアリシャとシンはきょとんとカルロスを振り返る。
アリシャがからかうように笑った。
「雨が嫌だからって先に戻ろうとしてる?」
「俺がそんな小粒な人間に見えんのか。この隊で二番を争う巨体だぞ」
「争ってないって。公式にあんたは二番目にでかいよ」
からかいつつも、アリシャは素直にどいてやる。カルロスは言い返しながら、ベネリを背中に回してグラッチをいつでも握れるように右手を近づけた。
出入口は分厚い外装と二重の内装の扉だ。外装がゆっくりと上に向かって外側へ開き、次に内装が内部に収納された。
カルロスは音を立てずに踏み入る。
(…妙に静かだ。誰もいないのか?)
カルロスが〝イング〟に声をかけようとした時。
「助けてくれ‼キキが‼」
聞き慣れた仲間の叫び声に、カルロスも後ろに控えていたアリシャとシンも驚いた。
走ってきたのはトマスだ。そのままカルロスにぶつかるようにして三人のもとへやってきた。
震える彼を支えるように、シンは横からトマスの背中に手を添えた。
「どうした、トマス。キキになにがあった?」
シンがそう尋ねている時、カルロスはトマスの身体を見て目を見張る。
まだ乾ききっていない血液が、彼の服を汚していたからだ。
アリシャはそれを見て、「怪我⁉」と装備の中から救急パックを出した。トマスは首を振る。
「この血は僕のじゃない。女性部屋で、キキが…キキの…」
トマスはそのままずるずると床にしゃがみこんだ。
異常事態と研究員の危険であると判断したカルロスはグラッチを手に取った。
「アリシャ。女子部屋に行く。同行してくれるか?」
補佐にアリシャを選んだカルロスに、シンはぎょっとした。
「私がついていくよ」
シンの申し出を、カルロスは食い気味に断る。
「シンはこのまま出入り口にいてくれ。逃げる必要があるならここには誰かいた方がいい」
「それはアリシャに任せるべきだ。逃げる必要がある場所に女性を行かすべきじゃ――」
シンの胸倉を掴み、カルロスは殺意すら感じるほどの眼光で睨んだ。
「アンタの考え方に合わせてやる。ここにアリシャを置いて、もしこっちに危険が来たらどうすんだ?アリシャとトマスを守れる人員で二手に分けるべきだ」
乱暴な行為だが、カルロスの主張はシンにも納得できるものだった。「…分かった」とカルロスに少し怯えながら承諾する。
文句を言う隙もなかったアリシャは呆気に取られていたが、カルロスが声をかけてきたので、二人は女性部屋へ向かった。
二人の背中をシンが見送っていると、トマスがぼそぼそと何かつぶやいていた。
「トマス?」
シンはトマスに耳を寄せて、彼の言葉を聞き取る。
トマスは何度もこう言った。
「ミュウが、キキを殺したんだ」
女性部屋まで来ると、そこは扉が開きっぱなしだった。
「部屋に入る。通路の警戒を頼めるか?」
カルロスの手信号に、アリシャは頷いた。
彼女に背中を預けて、カルロスは女性部屋に入った。
部屋の隅々に銃口を向けて確認する。
そして銃口を床に降ろした。怪しい人物やそれ以外の気配はなかった。冷たい表情だが、カルロスはほんの少しだけ痛ましい目つきになる。
その視線の先には、喉元にハサミが刺さり、仰向けに死んだキキがいた。
〈カルロス。今大丈夫かい?〉
シンからの通信だ。カルロスは「ああ」と平然とした声音で答える。
〈トマスが言うにはミュウがキキを殺したって言っている。〝イング〟にミュウの生体信号から彼女の居場所を検索してもらった〉
「…どこだって?」
〈例の洞窟だ〉
シンもなるべく声に感情が乗らないように気を遣っている。
その通信はアリシャにも聞こえているので、口元を手で押さえてショックを受けていた。
――――――――
ひとまず、潜水艇の中は安全だと分かったので、カルロス、アリシャ、シン、トマスは食堂へ集まった。
ひどい雨音が食堂にも伝わってくる。暗い天気は食堂の空気を更に重くさせる。
事情を話せるまで落ち着いたトマスの説明はこうだ。
調査情報をまとめていたトマスは小休憩を取るため食堂へ向かう時、キキとミュウの争うような大きな音が聞こえ、トマスは急いで女性部屋へ向かった。
そこで、ミュウはキキに馬乗りになり、包帯などを切るハサミをキキの首に突き刺していた。
トマスに気づいたミュウは深く突き刺さったハサミから手を離し、装備にあるツールナイフを手に取った。
トマスを斬りつけ、ミュウはそのまま逃げ去ったそうだ。
最後まで聞いた後、シンが潜水艇内の治安を監視しているはずの〝イング〟を呼んだ。
応答は一切ない。
重なる異常事態に、シンは額を手で押さえる。
「…本部へ、報告しよう」
手に包帯を巻いたトマスとショックを引きずるアリシャが顔を上げた。二人が何も言えないでいると、カルロスが眉間に皺を刻んで口を挟んだ。
「本部への報告は待てよ」
シンは諫めるように首を振る。
「こんな言い方したくないけど、君に第一調査隊の方針を決める権限はないよ」
「分かってる。でも、まだ片方の主張しか聞いてないだろ。結局、二人の諍いの原因も分かっていない」
「それは…。君…」
シンは気まずそうな顔になり、視線をテーブルに落とした。カルロスの言わんとしていることはアリシャも察した。
そしてトマスも。
トマスは力なく頷く。
「そうだね。僕が嘘をついている可能性だってある。〝イング〟が証明してくれたのなら話は早かったんだけど、キキの救助をしている間〝イング〟の反応は一切なかったよ」
「分化端末システムは生きている。ミュウの信号を検索できるから」
シンが小型端末の画面をテーブルに置いてメンバーに確認させる。
そのまま、シンは開拓できた島のマップをテーブルに映した。
「こんな悪天候で、洞窟の深くに彼女がいるとは思えない。トマスはここで待機してもらうとして、ミュウの捜索には…カルロスが行く?」
先ほどのカルロスの剣幕があったせいか、シンは少し下手に尋ねている。
カルロスはこだわりの顎髭を擦りながら悩ましい表情を浮かべた。
「正直、武装した俺が迎えに行ったら怖がられるんじゃないか?ミュウの事情聴取にアリシャの同席は必要だと思う」
とはいえ、とカルロスはそこで口を閉じる。自身とアリシャでミュウを迎えに行くか、しかし…と悩んでいる。
視線は動かさないが、その疑念はシンに向いていた。
その時、アリシャが装備の荷物を指しながら提案した。
「ちょうど私とシンは島内調査装備整っているし、すぐに出れるでしょ。トマスも怪しいってんなら、プロの警備が見張った方が安心じゃない?」
アリシャの提案が言葉通りの意見なのか、それともカルロスと同じ意図だったのか分からないが、その提案にシンがすんなり承諾した。
「私もそれが良いと思う。私とアリシャは外見からして怖くないからね」
「この隊で一番デカいアンタが言うか?全身鏡から頭がはみ出てるのは誰だよ」
「私と君とミュウだね…」
「今のはからかってないと思うよ…」
こんな時でも信条がぶれないカルロスに、シンとアリシャはつい苦笑を零した。
キキの遺体を死体安置室へ運ぶ頃には、雨が弱くなった。
雲行きを観察し、シンはアリシャと共に潜水艇を出発した。
―――――――――ー
食堂のテーブルに映されるマップにはシンとアリシャ、そしてミュウの信号が小さく点滅している。遠隔から見守れる状態にして、カルロスは二人分のコーヒーを作った。
暗い顔でいるトマスは自分の目の前に置かれた暖かいコーヒーに気が付き、カップにゆっくり触れる。
「…ありがとう」
飲みたい気はあまり無いようで、トマスはしばらく手を暖めていた。
そんな彼をじっと見つめ、カルロスは独り言のように呟いた。
「俺さ、この調査隊に出願するまではスポーツ選手だったんだよね」
突拍子もない話題に、トマスは目を丸くさせて顔を上げた。
「どういうこと?君、ドイツの沈没都市所属の軍人じゃないの?」
「そうだよ。Fageの軍人の仕事って何してるか知ってるか?」
「そりゃ勿論。僕だけじゃない。フェイジャースレサーチャーは皆君たち軍人にお世話になっているから。大陸への支援活動の時は必ず護衛に来てくれるだろ?旧式とはいえ、人口の多い大陸の武装集団を追い払ってくれているのは精密兵器だけじゃなく、君たちのおかげでもある」
精密兵器とは唯一、〝MSS〟が直接設計した戦闘型ロボットだ。
その性能は人間の技術より遥かに勝り、この兵器を上回る兵器は存在していない。
沈没都市にとって価値あるものを守るために使われ、この調査隊にも二騎の精密兵器が積まれている。
そんな精密兵器と職業柄共闘することも多いカルロスは、ヒラッと手を振ってトマスの感謝に応える。
「どういたしまして。でも精密兵器が常に人間の上を行くには秘訣がある。いっそ大陸側が高性能機械を使った戦術なら俺達軍人の仕事も減るんだが、資源回収がある意味、大陸住民の自力を強めたわけだ」
カルロスがなにを話そうとしているのか見当がつかず、トマスは怪訝な顔のままだ。
カルロスは気にせず、コーヒーを飲みながら飄々としている。
「俺、生まれは大陸なんだけど、早いうちから都市の養子になってさ。〝MSS〟の針路調査で軍人の適性が高いってんで選んだわけ。性にも合ってて最初は良い仕事だなって思ったんだよな」
シンとアリシャの信号はゆっくりだが着実に洞窟へ近づいている。
シンが無神経なこと言ってないように、と少しの心配をしながらカルロスは続ける。
「大陸の住民と戦う時は精密兵器の電子戦は必要ない。エンドレスシーでの電子戦ならシミュレーションでAIを鍛えりゃいいんだが、相手は現実の人間相手だからな。生身の俺達が相手せにゃならん。対人戦の向上には力量のある相手と戦うことで精密兵器は強くなるんだ」
「それはつまり、精密兵器と訓練しているってこと?あぁ、それを君はスポーツ選手って例えたんだね?」
「そうそう。精密兵器を強くするための訓練。それが優秀でいる秘訣。何度殺されそうになったかなぁ」
カッカと笑うカルロスはカップを置いて両手を空けた。
「でも報酬がめちゃくちゃ良いんだよ。実は沈没都市内で一、二を争う高給取り」
「…それ、僕に言って大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。この任務で出された御法度には含まれてないから」
それは帰還してから大丈夫かという問題になるのだが、トマスは苦笑して、「聞かなかったことにするね」と言った。
トマスは、雑談が終わるのだと察した。
今まで気が付かなかったが、カルロスの片手にはさりげなくグラッチが握られている。
あくまで、カルロスの雰囲気はいつも通りだ。
「ま、前置きが長くなったが、何が言いたいというと。俺は助けてくれ殺されるって奴の顔を散々見たことある。訓練でも護衛でも。俺にはどうしても、俺達に助けを求めた時のお前の顔がそうは見えなかったんだよ。予定より俺達が早く帰ってきたから超焦って必死だった、みたいな。――思い違いかな?」
精密兵器…
「ジャルグーン」。Fage最強の戦闘ロボット。
〝MSS〟が人を殺してでも守るべきだと判断された価値を守る。
エンドレスシーとも接続できるため電子戦も可能。
普段は金属球体だが、戦闘時は赤茶色の液体を循環させて人型を作る。その液体は人間がつくりだせる素材は全て切断できる
針路調査…
知能・発達・心理・性格の特性など、沈没都市の住民に適しているかのテスト。
その結果が受診者の未来の下書きとなる。
針路調査に従うかは自由意志。
大陸…または内陸。
沈没都市をつくるためにMSSが資源回収したことにより、生活レベルが低下している。
犯罪・病気の蔓延。宗教的・旧来的な考え方が強い。
沈没都市に近い内陸は沈没都市から定期的に支援を受けられる。