二話 異変
島に洞窟が見つかった。
トマス、アリシャ、カルロスの三人は洞窟内部を〝イング〟に読み込ませる。
その洞窟で一つ、不可解な事態になった。
「ドローンがバグった?」
帰ってきた三人は、拠点で待機していたシン、ミュウに不可解な事態を報告した。
食堂はミーティングルームとしても使っていて、そこで五人は頭を突き合わせた。
テーブルは〝イング〟が読み取った洞窟の解剖図が映されている。
その解剖図はシミュレーションなので、より精度の高い地図を作るためには実際洞窟内を調べる必要がある。
「洞窟に入れても五mくらいで戻ってきちゃうんだよ。〝イング〟の命令も着信できなかったみたいで。でも今は」
アリシャは小型端末からドローンに指示を出した。
食堂のスキャンを命じられ、一分ほど食堂を飛び回る。そしてテーブルに着陸した。
「ね?今は平気なんだよ。カメラも正常」
指示通りに動くそれを見て、シンは〝イング〟に尋ねた。
「ハロー〝イング〟。ドローンが故障した理由、分かるかい?」
〈ハロー。ドローンのAIに信号を送りましたが返答がありませんでした。〉
「それって、人で言うと無視、みたいな?」
トマスが苦笑を浮かべて尋ねた。他のメンバーも同じ顔をしている。
〈いいえ。それは正確ではありません。…〝聞こえていない〟という状態に近いと思われます。〉
食堂の壁付近にいたカルロスが眉をぴくりと動かした。
「それってラクスアグリ島がエンドレスシーに介入したってことか?」
カルロスの発言に、シンが目を丸くして首を振る。
「そんな馬鹿な。だって島だよ?信号が発生してはいるだろうけど、それを制御できるのは〝MSS〟…今じゃその船員AIしかできないよ」
脳のない植物がAIに影響を与えた、と言っているも同然なカルロスの意見に、その場の研究員はみんなシンに同意した。
〝イング〟も介入という表現は正しくないと発言する。
〈エンドレスシーにあるAIの周りに不規則な波を確認できました。洞窟の磁場だと思われます。この波が私の信号を散らせました。異常気象の信号風とよく似ています。〉
「鎮静信号は作れそうか?」
カルロスの質問に、〝イング〟は少し間を空けて答えた。
〈洞窟から自発的に発生する信号ではなく、外界から信号のあるものが近づくと信号風が発生する〝形状〟をしています。洞窟の形状を手動で変えつつ鎮静信号を与えれば機械は使えるでしょう。〉
「あら大変。ツルハシを持ってくるべきだったわね」
手で掘って形を変える必要がある、と言っている〝イング〟にミュウがそんな冗談を言った。
精密兵器はおろか重機にも信号は発生しているため、その作業は信号を持たないやり方しかない。確かにその通りなのだが、その場にいたメンバーはミュウの冗談に声を出して笑う。
冗談を交えながらも、全員現状に危険度が跳ね上がったことを冷静に捉えていた。
トマスが試料皿をテーブルに置いた。それにはサンプルとして採取した洞窟付近の土が入っている。
「形状だけでなくて洞窟の含有成分にも問題があるかも。合金を粉砕したような粉が確認できた」
「なるほどね。ツルハシもないし、あまりに微量な成分相手じゃ、やっぱり初見で私たちが下見に行かないといけないな」
シンが言うと、カルロスがテーブルに近づき
「大体奥行きが最大で三〇〇m。でかい洞窟だ。風の流れ的にどこか吹き抜けている。防寒防水対策が必須なのは他の洞窟と変わらない。三つくらいポイントを決めて、補給物資を設置してから進んだ方が良い。俺が先行すれば問題ないだろ」
全員軍人に近い体力トレーニングは受けているが、身体能力が最も高いのはカルロスだ。誰も異論はなかった。
その時、シンが「それなら…」とトマスとカルロスを見た。
「最初にポイントを決める時は私たち男性陣で行こう」
特別おかしなことは言っていないが、食堂は一瞬静かになった。
シン以外「なぜ?」と思っているからだ。
一番に抗議したのはアリシャだ。
「ちょっとちょっと。なんでさ?トマスは分かるよ。地質調べる必要があるからさ。んで、鳥がいたらどうすんの?糞は?見つけられるのはあたしかミュウだよ。気象学のシンがなんで行くの?」
「分かっているよ。だから最初の安全確認の時だけさ。私たちが安全かどうか確認できたら、君たちにも参加して欲しい」
トマスやミュウが何か言う前に、アリシャが畳みかける。
「その安全確認をカルロスがやってくれるって言ってるんでしょ?その後をついていくなら同じことだよ」
「でも補給物資を置いて先に進むってことは、荷物も最初は多い。カルロスや私が歩ける範疇でも、女性の君は難しいかもしれないだろ?持てる荷物の量だって違うんだから」
「カルロス、補給に必要な分の荷物ここに持ってきて。そもそもフェイジャースレサーチャーが運べない荷物なんて想定してないでしょ。想定内の荷物を私が運べなかったら納得してあげるよ」
アリシャはきつい口調でカルロスに頼んだ。
そんなアリシャに、シンは「怒らないで」と説得を続ける。
「君に出来ないとは言ってないよ。安全を最大限に考えようって伝えたいんだ。そう感情的にならないで。フェイジャースレサーチャーの称号に傷がつくよ」
その発言にアリシャが立ち上がった。声を張り上げる前に、ミュウがアリシャの腕を掴んで制する。しかしミュウもまたシンに少し厳しい眼差しを向けていた。
「シン。感情的って言うけど、侮辱されれば人は怒るわ。島の開拓はどこも未知よ。今日まで性別で任務を分けてこなかったでしょう。調査しなくてはいけない分野を手分けして行ってきたじゃない」
ミュウまで異を唱えてきたので、シンは困ったようにため息をついた。
「性別で分けない?でもキキの看病は君が主にやっていただろう。それはなぜだい?彼女と同性だからじゃないのか?」
「それは別の話しよ」
「君まで感情的になっているよ。言い返せないことは別の話しだって棚に上げている。ここは沈没都市じゃないんだ。私たちの判断が私たちと世界の命運を握ることになる。安全と責任の重さが分からないのなら君たちの言い分はただの我儘だ」
なにを言っても考えを改めないと肌で感じ、ミュウは一度口を閉じた。アリシャの腕を掴んだままゆっくり立ち上がる。
「‥‥アリシャ。少し外に出ましょう。一緒に」
「私が外に出る理由はない」
アリシャはミュウの提案を断る。頭を冷やすべきは向こうだと。
険悪な空気が食堂を満たした。
三者のやり取りに口を挟まなかったカルロスだったが、のっそりと動いてシンの隣に座った。
「一発ずつ殴り合うってのはどう?それでちゃんちゃんにする?」
カルロスの妙な仲裁に、また食堂が静まり返った。
トマスは額に手を当てている。もはや出る言葉がないようだ。
冗談とは思いつつ、シンは真剣な目つきで首を振った。
「女性を殴れと?」
「そう。で、俺がアリシャの代わりにアンタを本気で殴るんだよ」
「死ぬだろ。私が」
また静寂になると、アリシャが笑いを堪えて震えた。
アリシャが笑ったことで、ミュウとトマスは顔を見合わせ、苦笑を浮かべる。
少し空気が緩んだため、シンも少し頭が冷えたようだ。アリシャに「…ごめん。普通に心配だって言えば良かったね」と頭を下げた。
「いいよ。シンの言い方が気に入らなかったからって、私も噛みつき過ぎたよね。最初に言い方がきつかったのは私だよ」
アリシャはミュウを軽く抱きしめて謝意を伝える。
ミュウの溜飲も下がり、アリシャの肩越しにカルロスに軽く会釈した。
カルロスはいつも通り軽薄な微笑で、ミュウにだけ分かるように小さく頷いた。
この日の夜は一瞬険悪な空気が漂ったが、事なきを得た。
そして一週間が経つ頃、キキが回復した。メンバーが顔をそろえてキキに事情を聞いたが、彼女の申告を信じる方針に決まった。
しかし。
異変は止まらなかった。
―――――-――
「アリシャ、もしかして夜、眠れない?」
ミュウは女性部屋で調査装備を準備しながら、着替えているアリシャに尋ねた。
アリシャは上着を脱ぐ手を止め、「…なんで?」と少しこもった声で聞き返す。
「寝返りが多いみたいだから、眠れないのかなって。キキに相談すれば睡眠導入剤を用意してくれると思うけど」
ミュウがアリシャを振り向く時には、アリシャは隊服にもごもごと頭を通していたので顔が見えなかった。アリシャは空笑いをする。
「ごめんごめん。起こしちゃった?」
「ううん。それは全然。でも…」
「大丈夫。…うん。キキに、相談してみるよ」
すぽっと顔を見せたアリシャはいつも通り快活な表情だった。ミュウは頷いて、「先に外出てるわね」と女性部屋を後にした。
アリシャは扉が閉じた後、不安そうにぽつりと呟いた。
「睡眠導入剤で、なんとかなるのかな」
―――――――――
青い蝶は今日も楽しそうに舞う。
カルロスは〝イング〟と連携している小型端末を洞窟に向けた。
「ハロー。〝イング〟。今日はどうだ?」
〈ハロー。脅威が検出されています。三〇m先の通路が濁流の川に沈んでいます。調査は困難を極めます。〉
洞窟の調査はあれから進んでいなかった。
ミュウは晴天の空を見上げる。
「〝イング〟。洞窟を見つけた日から雨は一度も降っていないわ。どうして浸水する事態が続いているの?」
〈原因を検出しています。〉
「…ずっとそれね」
〈申し訳ありません。〉
ミュウ、カルロス、アリシャ、トマスは互いに見合って困ったように息を吐いた。
ミュウは「決まりね」と諦めの一言を零した。
「一週間経ってもこれなら、洞窟はやはり後回しにしましょう」
トマスとアリシャも頷く。
「じゃ、今日はここからもう少し北西を攻めて行こう」
トマスが切り出すと、一同は他の場所の調査へ向かうことにした。
道中、カルロスが呟く。
「様子を見るために、俺が直接その洪水になっている所まで行くって手もあるけどな」
トマスがニヤリと笑って「〝イング〟、カルロスがそう言ってるよ」と〝イング〟を起動させる。
〈推奨しません。風速二〇mを観測する区間があります。風向は浸水している場所です。冷静になってください。〉
「トマス!〝イング〟に訊くなよ!コイツ、俺にだけ冷静になれって言いやがる。いいか〝イング〟。俺がこの隊で一番冷静だからな。次言ったらいっぱい悪口言うからな。大陸出身舐めるなよ」
「…まあ確かにFageのAIにとって悪意は〝人間が考えつく悪は全て想定されている〟って言われているから、悪口とかは唯一AIに嫌がられる行為だけどさぁ…」
トマスが苦笑を零すと、後ろからミュウが「仕事の邪魔をしすぎると、AIによっては一時停止するって言うくらいよね」と注意をする。
〝イング〟に諭され、喚くカルロスを後ろから見て、ミュウは笑う。いつもだったらそんな光景を一番に笑うはずのアリシャが浮かない顔だったので、ミュウはきょとんとした。前の二人には聞こえないよう小さな声で「やっぱり、具合が悪い?」と尋ねる。
キキの件もあるので、少し声に緊張が混じってしまう。
しかし、アリシャはハッとして首を振った。
「違う違う。体調は良いよ。…でも、最近ちょっと、嫌に思うことがあって」
アリシャの方が小声だ。よほど前の二人に聞かれたくないようだ。
ミュウとアリシャはカルロスとトマスから離れて会話する。
「嫌なことって?」
「…シンだよ。明日調査チームなんだけど。なんか〝女性には〟とか、〝女性だから〟とか、最近多くない?一々鼻につくからさ、正直ちょっとストレスで」
「もしかしてそれが原因で寝れてないの?」
「いやっ‥‥、えっと、それは、また違う理由で…。ま、まあシンのそれは私が黙っていればそれ以上何か言わないし。基本、気遣ってそう言ってるわけで」
「アリシャの思うことは分かるわ。私もあの夜、言い返してしまったし。…とはいえ、都市で二年も訓練期間を過ごしたけど、そうした一面は無かったのに。急にどうしたのかしら…」
「そうなんだよ。なんだったらカルロスの方が無神経なところあったじゃん?」
「‥‥う、うん、まあ」
あの夜の険悪な空気をフォローしてくれた彼をあまり悪く言いたくないが、キキを怒らせた件もあるので肯定してしまう。
前を歩く彼に「…ごめん」と内心謝りつつ、アリシャが零す愚痴を聞いてやった。
――――――――ー
洞窟以外の調査は順調に進んだ。
海洋資源やエネルギー資源なども確認され、調査の収穫としては常に良好な結果だった。
三週目を迎える頃。
第一調査隊の命運を決めた事件が起こった。
「ミュウが、キキを殺したんだ」