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Causal flood LacusAgri  作者: 山羊原 唱
2/18

一話 〝背の高い女性〟

Fage.20.

「見慣れたものね」

 小麦色の長い髪をした女性は、指先に止まった青い蝶を見て言う。

 大人の両掌ほどある大型の蝶の羽は、極薄の青いガラスのように向こう側が透けている。


 女性の整った顔立ちは凛々しく、琥珀色の瞳は静かに煌めいている。

 樹高の高い木々から差し込む木漏れ日が彼女を照らし、青い蝶と戯れる姿は絵画に描かれる女性のようだ。


 人を怖がらない蝶だが、ガサっと重い音が聞こえると羽をふんわり動かして木の上へ飛んでいった。


 女性は長い睫毛を一度伏せ、悪戯な笑みを浮かべて振り向いた。

「カルロス、あなたが近づくと逃げちゃうわ」

 軽武装した体格の良い男性はそう言われて軽薄な微笑を浮かべる。

「それ、アリシャとシンにも言われた。天敵知らずの蝶が俺を猛獣だと思ってるって。俺、ゴリラにでも見えてんの?」

「いいえ?ハンサムだと思う。でも小さい生き物は音に敏感よ。…あ、あとこの場合の捕食者は蜘蛛やカマキリの方が正確ね」

 女性は隣に来たカルロスの肩に下げるショットガンのベネリM3を指差した。

 カルロスはぴーん、と思いついて「ミュウ、持ってみて」とベネリを彼女に近づけた。

 女性、ミュウは両手を腰に当てて拒否する。

「もう。軍人が簡単に武器を渡さないでちょうだい」

「身長ならそんな変わらないだろ。違いがあるとしたらベネリだけ」

「…そんなわけないでしょ。色々違うわよ、失礼ね。それに身長だってそっちの方が大きいじゃない」

「二センチね。蝶からしたら誤差だろ。…にしても、最初は感動するくらい幻想的だと思ったが、昆虫の類がこの蝶しかいないってのも気味悪いな」

 駄弁っていたカルロスはこだわりの顎髭を擦り、巨木の群生を見上げる。

 軽薄そうな微笑は彼の特徴だが、今の目つきはどこか慎重だ。

 ミュウも同じ目つきで辺りを見渡す。

「まだ調査中だから断定できないけれど。土の中の微生物と渡り鳥と、新種の蝶。確認できた生命体はそれくらいね」

「それで生態系は成立するのか?」

「結論から言えばね。不可解な点は多いけれど」

「異常気象に囲まれた島のくせに、その気流を抜けたらこんな晴天だもんな。適度に乾燥してて暑すぎず、人間も過ごしやすいよ」

「あら、あなたがここに住んだらたちまち食物連鎖の頂点ね」

 ミュウは少しからかってやる。

 やはりカルロスは軽薄な微笑を浮かべて首を振った。

「王様になれるとしても冗談じゃない。ミュウは住みたいのか?」

「ご冗談を。都市に愛する人を置いてきてるの」

「いいねー。俺にもヒビキが待ってるよ」

「恋人がいたの?」

「そう。日本の。舌触りが良いんだ」

  ミュウはセクハラかと一瞬眉を顰めたが、自分の故郷で有名な酒類に思い当たってガクリと肩を落とした。

「ウイスキーね…」

 からかわれたらやり返す、それが彼の信条らしい。

 カルロスは満足したようで「シンに声かけてくるわー」と手を振り、もう一人の隊員を呼びに行った。


 ススキに似た背の高い茂みに入ると、カルロスは「シン、時間だぜー。拠点に戻ろう」と声をかけた。

 すると茂みの一角がゴサゴサと大きく揺れた。むっくりと誰かが立ち上がる。

 第一調査隊で一番大柄で背の高い男性だ。一見熊のようだが、穏やかな目元と温かみのある表情はぬいぐるみのような愛らしさがある。


 シンはススキを一本手に取ってカルロスに見せた。

「見て。多分あの青い蝶の蛹だ。羽化が近いよ」

 うきうきしながらそんなものを見せられ、カルロスは流れるように後ろのミュウにそれを見せてやる。

「だそうです」

「もっと興味を持ってあげなさいよ。それに良い発見よ」

  ミュウの見解に、シンもこくこくと頷く。

「今は居心地の良い季節だけど、やっぱり冬の時期があるんだよ。今のところ、シミュレーションと現実に齟齬はないね」

 シンとミュウの分野は昆虫ではないが、研究者魂が燃えているのだろう。二人ともカルロスに凄さを伝えようと目つきが怖いくらい真剣だ。

 カルロスは肩をすくめて、「鳥類・昆虫学者のアリシャ氏にプレゼントしてやれよ…」と困ったように眉を下げた。

 シンは「もちろんそのつもり」と蛹のついた植物を大切そうに持った。



 午前中の探索は終了し、三人は拠点に戻った。

 拠点は岸辺から離れた高台の場所。

 三階建ての建物があるが、これはFageを代表する潜水艇だ。

 水陸の移動を可能とするこの潜水艇は、ファイナルヴィークル特殊大型潜水艇〝イング〟と呼ばれる。

 潜水艇の名前でもあり、搭載されるAIでもある。

 信号のネットワークであるエンドレスシーと繋がっているので、レーダー、効率化システム、シミュレーション解析、電波の送受信や発電を可能とする。小さな都市のようなものだ。


 食堂には男性と女性の二人が食事の用意をしていて、帰還した三人を笑顔で迎えた。

 褐色の肌と短い黒髪の女性はビーフシチューを人数分テーブルに並べていたが、シンの持つ「お土産」を見るや否や飛びついた。

「えええ⁉蛹だー!ちょっと、ねえトマス!これ保管してきていい⁉食事の用意放り出していい⁉」

 鳥類・昆虫学者のアリシャは息を乱してもう一人の食事当番に尋ねる。

 パンを焼いていたもう一人の食事当番は、くすくすと笑って頷いた。

「いいよ。三人に手伝ってもらうから。行っておいで」

 火山・地脈・水文学者の小柄なトマスは帰還した三人に目配せした。

 最年少のアリシャにはシンも甘いようで、彼も「そんなに喜んでくれて嬉しいよ」と彼女に蛹がくっついた植物を渡した。

 アリシャは「先食べてていいから‼ありがとう!みんな!愛してる‼」と叫んで研究室へ飛んで行った。

 そんな元気の良い彼女に、ミュウはちらりとカルロスを見て、

「蝶より速く飛んでいくわね」

 と呟く。カルロスは同意を込めて相槌を打った。


 一人分だけ分けられたトレイを見て、カルロスは呟いた。

「キキはまだ回復しないのか」

 少し棘のある言い方に、シンが窘める。

「風邪とは違うんだから。本人にも原因が分からないのにそんな言い方したらまた悪口を言われるよ」

「悪口というか、あれは脅迫だったね。〝お前が怪我したら塩で消毒するぞ〟だっけ?」

 シンに加えてトマスもカルロスにチクリと刺しておく。

 カルロスは怒っているわけではないが、納得できない様子で食事の用意を手伝う。

「もともと、この任務に選ばれる女子に生理はないって聞いていたけど。間違いないよな、ミュウ」

 カルロスはスープの入った器をミュウに渡す。受け取った彼女は非常に困った表情を浮かべた。

「ええ。〝ジーカリニフタ〟の処置は受けているはずよ。実際、その処置を受けてから生理なんて来なかったってキキは言ってたわ」


 自室で休んでいるキキと言う女性は、この隊の医療担当であった。

 彼女はこの島に入った晩、無くなったはずの機能が働き、体調不良を起こしてしまった。

 彼女は生理の除去〝ジーカリニフタ〟を受けていたので、今彼女に起きている現象は異常事態であった。


 Fageにおいて、合法となった革命的な法律がいくつかある。器物損壊の厳罰化が代表的なものなら、画期的な法律と技術は〝ジーカリニフタ〟と言ってもいい。

 成人女性が男性と公平に労働できるための現実的な処置だが、他の大陸の法律や倫理観、宗教的な考え方では嫌悪されるものだ。


 ミュウはスプーンをテーブルに並べながら、キキの分をトレイに取り分ける。

「この島に入って今日で三日。キキの経血量は今朝が一番多かった。回復にはまだかかるわ」

 シンは各隊員の好きなドリンク、コーヒーや紅茶、オレンジジュースなどを準備しながらミュウに尋ねる。

「人体学で学んだ程度だけれど、通常なら時間が経てば回復するんだよね?」

「個人差はあったわね。でも一週間から一〇日くらいで終わるわ。安静にしていれば重体にはならないと思う。だからカルロス、口の利き方には気を付けて。本人が一番つらいんだから」

 それを聞いて、カルロスはハッと目を開いた。

 キキは頼りがいのある紳士的な性格で、責任感も非常に強かった。

 そんな彼女に初端で「なんで生理なんか来んの?任務どうすんの?」などと言ってしまったのはカルロスだ。

「い、いや。別に責めているわけじゃなくて。どこまで具合が悪くなるか分からないし。おかしな事態だから、原因は分かった方がいいわけで…」

 言葉を選びながら弁明するが、カルロス自身言えば言うほど言い訳しているような気持ちになり「‥‥気を付けるって」とシンが用意したドリンクを大人しくテーブルに運んだ。


 ミュウ、シン、トマスはかわいげのあるカルロスに苦笑して顔を見合わす。

 ミュウがキキに食事を運んで帰って来るまで男性陣が待機していると、その間にアリシャも帰って来たので、結局全員で食事となった。

 島に入ってから最初の異変がキキであった。

 しかしそれが原因でチームワークが崩れることはなかった。

 この時は。


―――――-――


 ~ラクスアグリ島 第一調査隊メンバー~

 気象・海洋学者(五〇歳)シン・ゲーパルト・ニコライ

 火山・地脈・水文学者(四五歳)トマス・フスティツィア・ブランカ

 植物・動物学者(三五歳)ミュウ・朝香・スウィフト

 鳥類・昆虫学者(三一歳)アリシャ・コン・エンド

 総合医療(五五歳)キキ・ローテスアイゼン

 護衛(三七歳)カルロス・キューケン・ピット



 Fageーそれは沈んだ湾岸に〝沈没都市(ファルガーン)〟が建設された時代だ。

 沈没都市とはAI〝MSS〟が「人々の未来を繋げる」という理念のもとつくった都市型の船である。

 二年前に〝MSS〟は原因不明の停止に陥ってしまったが、沈没都市の基盤が揺るがないのは、この都市に住む人間がこの理念を守れる優秀な人材に限られているからだ。


 軍人であるカルロスは別だが、他五名はそんな沈没都市の中で最も高い名誉と価値を証明された〝Fageの(フェイジャース)地球研究員(レサーチャー)〟の称号を与えられている。

 〝MSS〟が作った厳しい訓練を突破し、なにもかもが足りないFageの未来を守るためにラクスアグリ島の資源調査に来ていた。


 

―――――――――――ー


「何か歌ってくれないかい?」

 ミュウはキキが食べ終わった食事を下げようとして、彼女の方を向いた。

 ミュウは苦笑する。

「私なんかで良いの?」

「〝イング〟のミュージックフォルダがトマスの趣味で埋まっちまっただろ。全く。あたしは趣味じゃないんだ。君の歌の方が好きだね」

 クスクスと笑って、ミュウは"Welsh Lullaby"というウェールズ民謡を口ずさんだ。古い子守歌だ。


 ミュウは歌いながら明日の探索装備の準備をする。

 歌が終わること、キキが静かに呟いた。

「どうして今になってこんなものが来たのか分からないんだ」

 装備のリュックから手を離し、ミュウはそっと椅子に座った。

 キキがこみ上げる感情を殺している空気が伝わる。

「医者のあたしがそんなこと言うなんて、情けないだろう。でも、だからこそ分からないんだ。〝ジーカリニフタ〟を受ければ、子宮の機能はもう二度と戻らない。前例すらないんだ」

 ミュウはキキの表情をじっと注意深く見つめ、そして彼女の手に自分の手を重ねた。

「分かってるわ。あなたに起きている事態はあなたのせいじゃない」

「報告書の虚偽は疑っていないのかい?」

「あなたがそんな人じゃないことくらい、みんな分かってる。だから誰も本部に連絡しないのよ。私たちはあなたを信じてる」

 ミュウの心強い手と言葉に、キキは申し訳なさそうな微笑を浮かべる。

「…世話になるね」


 女性部屋から出たミュウは、細く息を吐いた。

(…そう。キキの意図的なものではない。でもそうなると、〝MSS〟に欠陥があるってことになる。停止しても〝MSS〟の残したシステムに問題はないと断定された。これは今後の沈没都市を揺るがす一端になりかねない)

 食堂へ戻るミュウは、丁度窓のある通路に来て、はたと足を止める。

 当初は幻想的だと感動し、三日目にして見慣れた青い蝶が多く舞っている。

 琥珀色の瞳でその景色を射抜くように見つめる。

「もしくは、この島が原因…」

 無意識に、不確定な可能性を零した。

(もしそうなら、私もアリシャも他人事ではない。なんとか原因を突き止めないと)

 ミュウは止めた足を動かし、食堂へ向かった。



Fage…

 沈没都市「ファルガーン」が建設された時代。

 沈没都市と内陸に分かれており、技術力は内陸を遥かに凌駕する。

MSS…

 沈没都市を建設し、FageのAIの頂点にいるAI。

 しかしラクスアグリ島が出現して間もなく原因不明の停止となる。

エンドレスシー…

 世界中のあらゆる信号をMSSが調整したことでできた信号世界。

 FageのAIはエンドレスシーで役割に応じた船の姿を持っている。



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