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Causal flood LacusAgri  作者: 山羊原 唱
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一一話後半 この歌はあの双子が未来へ引き継ぐ

 ティヤの周りにはいつも誰かいる。


 衝動的で、感情的で、短絡的なせいで喧嘩が多いのに、彼にはたくさんの仲間がいた。

 


 内陸の住民の価値観はとても単純で、弱い人間が悪くて強い人間が正しい。

 弱い人間が生き残るためには、人間を辞めるか、強い人間から逃げ続けるかしかない。

 

 それが内陸の常識。

 けれど、ティヤの周りには弱い人間も強い人間もいた。

 彼らと助け合って仕事をこなしては一緒に歌って遊んで、〝分け隔てない〟なんて言葉が現実にあった。


 ティヤには、そうやって人を繋げる才能があるんだろう。

 強くて傲慢な人間と殴り合っては、最終的に内陸での苦労を語り合っていたり。

 弱くて俯いている人間が彼と関われば、俯いてなどいられなくなる。ティヤのおバカっぷりは余波が広いので、弱かろうがなんだろうが立ち上がらないと、と思わせるようだ。

 

 やり方はなんであれ、誰かの中にある、小さな強さをティヤは見つけるのが上手だった。

 彼の周囲は、内陸のほとんどが忘れてしまった小さな強さに溢れていた。

 


 ……だから。ここにいたのが私じゃなくて、彼だったら。

 ソーマの傍にいたのが私じゃなくて、兄さんだったら。

 ソーマがこんなに傷つくことはなかったのだろうか。

 もうしばらく、この人の笑顔を見ていない。

 兄さんだったら、こんな状況でも、喧嘩して、怒られて、それでも最後は笑わせられるのかもしれない。


 私の身体は、心からやりたいと思っていることがなに一つできなかった。

 虚勢もろくに張れない、この役立たずの身体は。

 結局、兄にすがることを選んでしまった。


 

―――――――


 スラは気絶させたソーマの手に、紙切れを握らせた。

 紙には、"以前住んでいた拠点で薬を調達してくる〟と書いておいた。

 その拠点とは、ティヤがいる場所だ。

 きっとソーマは慌ててその拠点へ向かうだろう。

 自分の行いに卑怯だなと嗤笑するが、意志は変わらない。


 一人で泥蛇を倒せたなら、そこで自分も合流できる。

 失敗したのなら、…ティヤが戦いに出て来るだろう。その時、ソーマと彼が合流できるように仕組んだ。

 子供や妻がいる、と記したくせに、結局彼をあてにする自分自身に、スラは自己嫌悪でいっぱいだった。


 最低限の荷物だけ持つと、ジージー、という奇妙な音が聞こえた。

 視線を下ろすと、ソーマの腹あたりに金属球体が左右に揺れて動いている。

「…まさか、イング⁉」

 スラは片膝を地面につけて金属球体を拾い上げた。

 金属球体から懐かしい、よく聞けば色っぽい男性の声が聞こえた。

〈ッッアイッ、アムッマイミィィィイ‼プッハア、やっと息ができた感覚とはまさしくこれ!ようやく逆探知されない信号波が作れました!アッでも短時間です!久しぶりの会話に感涙なのはええ理解できます。しかし端的に。――スラ。一人で行く気ですか?〉

 人間だったら一息で話しきるのは中々難しいだろうが、イング的にはそれでも端的らしい。

 相変わらず賑やかなイングがなんだか胸に沁みて、スラは目尻の涙を指で払った。

「うん。精密兵器を壊されるのは泥蛇にとっても困ることみたい。泥蛇の思考はFageのAIに通ずるところがある。基本は沈没都市に損害が出るような戦い方はしないのよ」

〈だとしても今、戦力が分散するのは得策ではありません。あなたの行動は、他の誰かが泥蛇と戦う時間を、少しばかり回避する程度にしかなりません。たとえ現状が苦しくとも、それを自滅の理由にされないでください。〉

 ソーマと一緒に戦え、と言うイングに、スラは唇を震わせ、首を横に振った。

「…いつまで?私たちは、…ソーマは、いつまでこんなに苦しまなきゃいけないの?はやく終わらせたいのよ」

〈スラ、ご自分の弱さに負けないでください。死ぬことに価値を見出してはいけません。それでは本当に大切な答えを見失ってしまいます。どうか――‥‥〉

 イングの通信は途絶えた。万が一にも探知されないため、あらかじめイング自身が制限時間を設けていたのだろう。そういう揺るがないスイッチの押し方は、実にAIらしい。

 スラはぎゅ、と胸に金属球体を抱き、ソーマの胸にそっと寄せた。

 そしてその場を後にした。



―――――


 さあ、どこを戦場に選ぼうか。


 ラクスアグリ島から生まれたもの同士はなんとなくいる場所が分かる。

 私とティヤも同じで、なんとなく、いる方角を感じることができた。

 残念なことに、私たちは泥蛇の位置を捕捉することはできない。

 でも泥蛇は銀の指輪の位置を感じ取ることができるようだから、こうしてフラフラしていればそのうち向こうからやってくるはず。


 ちら、ちら、と細かな雪が降る。

 気が付けば季節は巡り、一番嫌いな冬がやってきていた。

 このメキシコに沈没都市はないが、いくつか支援を受け入れている地域がある。ここもその一つだ。

 とはいえ、路地裏では性や薬の売人が並び、少し遠くには血に汚れた手を雪で洗う子供なんかもいる。

 かろうじて医療と教育支援を取り入れているだけで、治安の維持には全く手を付けられていないようだ。

 ソーマ曰く、内陸の治安はどこも以前より悪化しているとのことだ。


 

 私は、凍てつく空気を少し吸って、ティヤの歌を口ずさんだ。

 不思議。

 この歌を歌うと、雪が少し暖かく感じる。

 ああ…。そうか。

 この歌を歌うと、思い出が鮮明になるからだ。


 ティヤとたくさん遊んだ。母を取り合って喧嘩をして、その後はソーマの取り合いだった。

 あんまり騒がしいとイングも参加して嵐のようになった。

 愛してる?って聞いたら、愛しているよって返してくれるソーマのことが大好き。

 信頼してるよって言ったら、俺もだよって返してくれるティヤは、私にとって一番の戦友なの。

 

(なんて、幸せな時間だったんだろう)

 反対に、なぜラクスアグリ島の毒性を自分たちだけで背負わなければいけないのかと、憎しみが湧いてくる。

 大体、そういった感情が湧いてくると、歌が終わるのだ。

 私は胸に湧いたそれを吐き出すように、ハーッ、と長く息を吐いた。


「ねえ」


 私はびっくりして視線を下ろした。

 急に少女に話しかけられた。一〇歳くらいだろうか?痩せているので見た目だけでは年齢が判別しにくい。

 少女は敵意はないと示すように三歩距離を空けたままでいる。

「ねえ。それなんの歌?」

 まとまりのない黒髪から覗く黒い瞳は、光を当てたみたいにキラキラしている。

 つい、話したくなったのはきっと、そんな瞳が綺麗だと思ったから。

「〝宝箱のなかみ〟って言うの。私の兄が作った歌なんだ」

 私は背の高い方だから、子供と会話するなら視線を合わせた方が良いかと思って少し屈んだ。…大抵、内陸の子供は服になにかしら武器を仕込んでいる。

 いつでも後ろに下がれるよう注意を払っていると、少女がわっと驚いた。

「兄?歌って作れるの⁉すごーい!プロってこと⁉」

「ううん。曲を作るのが趣味なの」

 油断だと思われないよう表情は朗らかなままにしておくが、素で感心している少女に少し面食らってしまう。少女は地面をぱたぱたと踏みながらすごいを連呼している。

「そんな趣味の人っているんだー!お姉さんは?お姉さんも歌上手だね。歌手なの?」

「そんなに上手だった?嬉しい。でも私も音楽家じゃないの。兄みたいな素敵な曲も作れなくてね。怖い歌なら一つ作ったけど」

「怖い歌⁉なにそれすごい!怖い歌ってどうやって作るの⁉聴いてみたい!」

 心がむき出しになっている少女に私はふっと笑った。

 なんだかティヤと喋っている気分だ。

 ‥‥そういえば、私、久しぶりに笑ったな。

 ああなんだか少しだけ、生きたくなった。


 いいよと答えると、その子は自分の片割れを連れて来ると言った。

 どうやらその子も双子で、…ああ、雪で手を洗っていた子供か。少女の相棒はそこで私を警戒して睨んでいる。

 良い目つきをしている。きっと一緒に戦ってきたんだろうな。

 馴れ馴れしいかもしれないけれど、私たちと重ねずにはいられなかった。

 

 〝宝箱のなかみ〟と。

 ティヤに託した歌を、歌ってあげた。



 心根にこびりついた毒を誰かに聞いてもらうと、どうして少し、身体が軽くなるんだろう。

 もっと早く、誰かに零していたのなら、私はここまで弱くなることはなかったのかな。

 

 ソーマに零したら、彼は悲しい気持ちになってしまうんじゃないか。私といて、幸せに感じてほしいのに、そんな思いをさせると思ったらできなかった。

 ティヤに零したら、彼は仲間より私を優先してくれたかな。…多分、優先されないかもしれない、そんな可能性が怖かったから、できなかった。


 弱くて弱くて。

 できないことばかりで。

 なにもない自分が大嫌いだったけれど‥‥――


 このどこかの誰かも分からない少女が歩み寄ってきてくれたこと、きっとずっと忘れない。

 兄の歌を聴いてくれた。

 私の歌を聴いてくれた。

 キラキラした瞳で、生い立ちを聞いてくれた。

 これから死にに行く気持ちを、零させてくれた。


 歌も生い立ちも、この子たちに役に立つものなんてきっと一つもないんだろうけど、でも。


 聴かせてって言ってくれるくらいには、この子に必要ななにかを、私は持っていたんだろう。

 




 

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