九、持論だが、酒場はファンタジーに欠かせない。
僕の好きなものを詰め込んだ世界。
願望と欲望と、そういうものばかりを詰め込んだ世界。
「どう?」
僕はとなりを歩く姫に尋ねた。
姫は興味深そうに辺りを見回していた。やはり姫は現実世界の格好のままで物語の中に入り込んでいた。
「紙とペン持ってくればよかった」
マンガ描きらしい発言だ。
いくら当時の僕の書き方を真似たとはいえ、クオリティを同じレベルに落とすのはやっぱり気が引けた。
好きなものを詰め込んだけれど、好きなだけ描写もしたしゴテゴテの設定も詰め込んだ。街中の描写に関しても、冗長だと指摘されるだろう書き方で、細部にまでこだわった。
それを見て読者がワクワクしてくれるというのは、実に作者冥利に尽きる。
「この物語はどんな話なの?」
姫が目を輝かせた。
「簡単に言ってしまえば、RPGみたいな物語だよ。主人公には特別な力があって、勇者に選ばれるんだ。それで魔王討伐の旅に出る」
「ベタですなー」
「案外、ベタなのも嫌いじゃないんだ」
僕は言って姫をエスコートする。
狭い通りの両側に五、六階建ての建物が隙間なく並ぶ。東西に延びる通りは朝と夕にはしっかり陽差しが差し込むが、それ以外は、建物上部だけが太陽の恩恵を得られるような格差のはっきりとした街だった。
一階は店が並んでいる。
どこもかしこも間口は狭く、通りを五歩も進めば次の店の入り口にたどり着いているような感じだ。
「それで、私に見てほしいものとか言ってたけど、それはいずこに?」
「もう少し先にある。この通りの真ん中くらいに酒場があるんだ。主人公はそこに旅の仲間を選びに行くんだ」
「某ゲームみたい。さすがにこれはマズイんじゃ……」
姫は冷やかすように笑った。
「世に出す物語じゃないんだから、これくらいいいだろ」
「そうか。それもそうだ。キヨ太がキヨ太のためだけに書いた物語だものね。それにしてもキヨ太は異世界ファンタジーに酒場を出すの好きだよね」
「え? むしろ出ない方が珍しくないか」
「えー。そんなことないよ」
「いや、酒場は物語を進めやすいんだよ。噂話を仕入れたりとか、酔っ払い相手に主人公の強さを描いたりとか」
「あと、ほろ酔いのエッチなお姉さんとか出したり?」
「そうそう――って、おい。僕はそういうのは書かないよ。姫がいつも書き足すんだろ」
「だって欲しいじゃん。エッチなお姉さんキャラ」
「残念ながら、今回出てくるのは姫の好みとはかけ離れた子だよ」
「……キヨ太の好み?」
「どうだろう」
違うとは言わなかった。
僕は酒場の扉を開けた。
ざわっと、店内の空気が強張った。皆の視線が僕に集まる。僕はこの世界では『勇者』だった。
ちなみに彼らには姫の姿は見えていないようだ。「誰とも視線が合わない」と姫が僕に耳打ちした。
店内には、早い時間から飲んだくれているどうしようもないやつらが集まっていた。その中にまぎれてちらほらと冒険者らしき風貌の者たちが見える。
僕は作者だから、誰が仲間になるか知っている。しかし登場人物たちはまだ知らないわけだから、『勇者』に対してアピールをしてくるわけだ。
「勇者で無双するところでも見せたいの?」
姫が言った。
僕は酒場の客たちを品定めするように見回すフリをしながら、姫の問いかけに答えた。
「違う。お目当てはあそこだよ」
不自然に、店の真ん中の席が空いていた。
僕と姫はそこに座った。
姫は落ち着かない様子で店内を見渡す。
「姫の仮説が正しかったかの答え合わせだ」
僕は正面を見るようにうながした。
そこにはいつの間にか例の黒髪の女の子がいた。まるで初めからそこにいたかのように、僕らとテーブルを囲んでいた。
僕が昔の僕になりきって書いた物語には、やっぱり彼女が現れた。
姫の顔をのぞくと、何とも言えない複雑な表情をしていた。
「キヨ太はこっちの方がいいんでしょ?」
楽しそうだったもんね、と言う当人の顔は楽しいという言葉とはかけ離れた顔色になっている。
そんな顔をしながら姫は笑った。
目の前の少女の無邪気な笑い方と対照的な、淋しい笑顔だった。
「朝は、ごめん。私さ、完全にヤキモチ焼いてた」
姫は言ってから店内を見回した。
その視線の動きを追って、僕も同じものを見ようとする。
「ベタな設定で、これでもかって自分の嗜好注ぎ込んで。我が道を行くっていうか、好きを貫くっていうか、そういう昔のキヨ太の作風も好きだよ。だけどさあ、今キヨ太が『そっちの方が好き』って言ったらどうしようって、」
姫は言葉の途中でくしゃっと顔を歪めた。感情が漏れ出しそうになるのを必死に堪えているようだった。
「ひどい顔になってるよ」
「うるさい。ばかキヨ太。誰のせいだと思ってるんだ」
姫は下唇を突き出した。ワガママが通らなくて拗ねる子どものような仕草。小さな子どもならかわいらしく見えるものも、高校生ともなると憎たらしさの方が勝っている。
「こういうときは『せっかくのカワイイ顔が台無しだよ』とか言うもんでしょ」
「姫、そういうこと言う男嫌いでしょ」
「……嫌いじゃない。大っ嫌い」
「だろ? 姫の好みは僕がいちばん知っているはずだから」
「おねえちゃんの方が知ってるよ」
「そこは譲れないな。だって、ずっと一緒にやってきたんだよ? お互いの好みも、譲れないものも、言い合ってきたじゃないか」
「でも、キヨ太が大事にしたかったのはこっちだったんでしょ」
姫がまっすぐ前を見た。
僕らのやりとりを聞いていたのか、ただ眺めていたのか、認識すらしていないのか。少女はニコニコと笑顔をたたえたままそこに座っている。
きっと僕の物語を待っているのだ。
僕が語る心地よいだけの話を、待ちわびているのだ。
「確かに僕はこの世界が好きだよ。僕の原点みたいなものだから。久しぶりに書いてみて楽しかったし、彼女と話すのも楽しかった。だけどそれ以上に楽しいものを見つけてしまったんだ。それが、今日もう一度ここに来れたことで確信できた」
姫は堪えきれなくなって泣き出している。
僕は「これからがいいところなのに」と茶化しながら姫の頭を撫でた。撫でてもすぐに跳ね返されるとわかっていてもそうした。
「僕があの子に会いたかったのは、僕の物語を届けたかったからだ。僕一人でつくった物語も面白いけれど、姫と一緒につくった物語はもっとずっとおもしろいんだって、こんなにおもしろいんだって見せたかった。それで『そうだね。おもしろいね』って笑ってほしかったんだ」
僕は「たぶんね」と付け加えた。なんとなく言い切ることができなかったのは今さっき思いついたことだったからだ。もしかしたら明日には違う答えにたどり着いているかもしれない。
だけど、昔の僕が愛したような、好きなものだらけの、ひとりよがりの物語ではもう満足できなくなってしまったということは、それだけは確かだった。
読んでくれた人が喜んで、驚いて、涙して、ときには「どうし主人公をこんなひどい目に合わせるんだ!」って自分のことのように怒ってしまうような、そんな物語を書きたいと思うから、ここみたいな世界ではちょっと味気なく感じてしまうのだ。
何より、この物語の世界には姫の絵とアイディアが足されていない。物足りない。それらはもう僕のつくる物語にはなくてはならないものになっていた。
「あの子はきっと僕自身だ。小さいころ、僕は僕を満足させるために物語をつくっていた。今はもう、違うんだ」
僕は言った。自然と笑顔がこぼれた。
姫はまだ泣いていた。涙を止めようとしながら、僕の言ったことを復唱している。
「今は、もう、ちがう……?」
言葉と言葉の間に、いちいち『ひっく』としゃっくりのような音が割り込む。
「姫と一緒に最高の作品をつくりたいんだ。だから僕は物語をつくっている」
もう一人には戻れないなあ、責任とってもらわないとな、などと大袈裟に言ってみせると、姫は僕にしがみついた。
姫の目から涙がぼろぼろとこぼれる。せっかく止めようと頑張っていたのに、努力を台無しにしてしまったようだ。
「ねえ、姫。僕の言葉を聞いて、この世界を見て、姫はどう思った? 感想をきかせてくれないか」
「私は――」
姫は制服の袖で涙を拭った。
「キヨ太は私といた方がいいよ。今の方がずっとおもしろい物語を書いてるよ。だから私も最高のマンガが描ける。二人だからできる。……あの子みたいにキヨ太の物語を黙って聞くとかはできないけど、でも、一緒につくることならできるから! だから、これからも一緒にやろう! ――二人で天下取ろう!」
姫は自分の言葉に感極まってまた豪快に泣き出した。
「『天下』はさすがに、ちょっと大きすぎるだろ。でも、僕も概ね同じ気持ちだ。姫、これからもよろしく。……それにしたって、『天下』って」
呆れたように笑った僕は、ふとあの子の様子をうかがった。
あの子は何も言わなかった。
だけど僕らを見て、とても嬉しそうに笑っていた。




