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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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勇者の戦の舞台外

魔物の子 リリア

作者: 柳川兎月

 彼女、リリアの話をする。

 リリア、というのは美しい名前だが、美しいがゆえにこの国ではありえない名だ。

 子を美しい名で呼ぶと魔物にさらわれる。

 そういう俗信のあるこの国で、この上なく美しい軍神リリアと同じ名は、彼女が魔物にさらわれてもよいという証だった。

 事実、彼女は魔物の子だ。

 比喩ではなく、魔物に育てられた子どもだったのだ。


 リリアは、魔物との戦争の最前線となった廃墟で「保護」された。報告書によると、あの戦線はひどい激戦だったそうだ。添えられた死者のリストは多すぎて覚えていない。

 当時、地上には血汗と死臭が立ち込め、空には小型の魔獣どもの羽音とそれを切り裂く銃声が鳴り響いた。のどかな村だったであろう戦場は、文字通りの地獄と化していた。

 

 長期化する戦場に、帝国はその重い腰を上げた。派兵された勇者と呼ばれる青年の率いる帝国兵は、すぐさまボスと呼ばれる敵将を打ち取った。

 将を失った烏合の衆と、帝国の加勢を得た軍隊では勝負の結果は火を見るよりも明らかだった。魔物たちは帝国の攻勢に恐れをなし、死傷者をその場に残して撤退した。

 勇者たちはすぐさま次の戦場へと派兵されていき、大量の死骸に埋もれた村の後処理は百姓上がりの現地兵が中心に務めることとなった。

 

 敵か味方かも分からない肉の塊となった死者たちを弔い、瀕死の者たちには最期の慈悲を与えてゆく。

 うんざりするような作業の中、「おい!」と一人が声を上げた。

 彼の指す方向には巨大な大型の魔物が息絶えていた。その下に、何か小さな塊が押しつぶされるようにして身動きをとれずにもがいている。

 翼の折れた小型の魔物だと考えた兵士達は息の根を確実に止めるために包囲網を敷いて銃を構えた。銃口が狙いを定めていることを確認して慎重に魔物を持ち上げる。小さな影が姿を現した。

 射手が引き金を引く直前、しかし、慌てて逸らされた銃口はタンッと中空にのろしを上げた。3人がかりで押し上げた魔物の醜悪な腐肉の下から躍り出たその生き物は、どう見ても人間の幼い少女であった。


 発見当初、彼女は錯乱状態で、銃を構えた大人たちを見ると飛びかかって攻撃しようとしたらしい。幼い少女と思えないほどの迫力だったが、幸か不幸か、疲弊しきっていた彼女は大人の力で簡単に取り押さえられた。それでも暴れに暴れ、相手の手に噛みつこうとしたところで鎮静剤を打たれて倒れたそうだ。

 そのまま砦に連れ帰ったはよいものの、扱いに困った砦の責任者は、ひとまず彼女を捕虜用の檻に隔離して近隣の有識者に応援を要請した。そして白羽の矢が立ったのが、偶然隣町に滞在していた遍歴医の私である。


 彼女と初めて出会ったときの印象は、野生の獣、だった。

 混乱状態であることを差し引いても、行動があまりに獣じみている。

 まず、彼女は言葉を話すことができなかった。檻の中で威嚇するようにうなり声をあげながら、私が一歩近づくごとにじりじりと後退していく。

 どうにか治療しようとしたが、激しく抵抗され、腕を嚙まれかけてすぐに引く羽目になった。結局、再び鎮静剤を打ち、眠ったすきに外傷の治療を行った。

 このような状態では日常生活のすべてが困難だ。檻の中の彼女は食器を知らず、香辛料を嫌い、布団の上で用を足し、床の上で眠った。寒さを感じているはずなのに、上着を着せようとしてもうなり声をあげて威嚇する。

 価値基準も行動原理もまるで意味不明だった。人間の少女ではなく、それはまさに懐かない野生生物だった。


 だがそれでも徐々に慣れるように、檻から無暗にうなり声の聞こえる頻度は減っていった。幾度様子を見に行っても薄暗い檻の隅の同じ場所で膝を抱え、静かにこちらを伺う瞳だけが爛々と輝いている。

 私たちの方も徐々に徐々に彼女がいる日常に慣れていった。

 意外にも、まず彼女に好意的になったのは通いで手伝いに来る兵士の妻たちだった。気に入らない料理を投げ捨てる様子にうんざりするだろうと思ったが、さすがは歴戦の母たちで、叱りこそすれ、そのような子供の癇癪はいちいち気に留めていないという風だった。女たちは檻の中にいる幼い少女を憐れに思い、代わる代わる飯を差し入れて見守った。戦火で失った子を重ね合わせた者も多かったのだろう。

 少女の方も飯とミルクの香りをまとった女たちには若干気を許しているようだった。

 空腹に耐えかねた少女がつぶした芋のスープをおそるおそる舐めたときには、女たち皆で手をたたいて喜んだ。


 対照的に、力仕事のあと連日うなり声におこされ、女たちの帰った後には交代での少女の世話という労働の増えた男たちはうんざりしていた。

 その日も、2人の兵士が檻の前で当番の清掃をしながら愚痴を言っていた。

「あ~あ、毎日毎日、死体集めとがれき撤去。帰ってきたらこんな獣娘の世話。なんか面白いことねえかな。」

「しかたないだろ、戦なんだから。俺たちみたいなのは勇者様が早く魔物を一掃してくれることを祈るのみだ。」

「ああ〜俺も力があったらな~!リリア様〜!か弱き我々にも御慈悲を〜!魔王を一瞬で倒せる力をください~!」

「バカ言うなよ。強くなりたいなら真面目に訓練でもするんだな。」

「ガウ」

 呆れた兵士の声に重ねるように、檻の中からも応答があった。2人は顔を見合わせた。

「もしかして、返事をしたのか?」

「言葉はわからないはずだぞ。……そうだよな?」

 檻の中に問いかけるもやはり返答はない。だが、いつもと違い、こちらを見上げる瞳は知性を持ち、何か用か?とでも言っているように見えた。

「……名前か?」

 兵士は檻に近づくと、彼女に向かってそっと呼びかけた。

「……リリア?」

「ガウッ」

 応答があった。あまりにも非人間的な吠え声ではあるが、単語に対して明確に反応している。つまり、これが彼女の名前だ。2人は目を丸くし、そしてすぐに顔を曇らせた。

「そうか、リリア……お前は捨て子だったんだな。」

 この国では15歳を迎える誕生日に正式な名前を授ける。それまでは悪いものに見つからぬようにと、動物の名前などで呼ばれるのだ。例えば今彼女に呼びかけた兵士の幼名はトカゲ、もうひとりの調子者はハリネズミだった。女神の名前を使って子を呼ぶのは、厄介払いしたいときだけだ。


 名前が判明してから、リリアの様子は明確に変化した。いや、変化したのはお互いかもしれない。

 まず、会話が生まれた。もちろんリリアは言葉が話せない。しかし、リリア、と呼び掛けて飯を置く。身振り手振りを交えながらお前の食べ物だと伝える。すると、その場で落ち着いて食べ始める。

 嫌いなものが入っていても顔をしかめて残しはするが、投げ捨てることはなくなった。うなり声をあげることも格段に減り、噛みつこうとすることはなくなった。

 そうなれば、もう閉じ込めておく必要もない。

 檻の扉からは鍵が取り外された。

 とはいえ男所帯の砦では他に用意できる場所もないため、鍵のない檻はそのまま寝室兼、子供部屋となった。自由になったリリアは、昼間は調理場の隅で女たちの仕事ぶりを眺めたり、馬小屋や鶏小屋で動物と昼寝をするようになった。

 リリアは砦の人間となったのだ。


 それから数日が過ぎ、簡素な造りの砦ではいよいよ寒さが厳しくなってきた。

 リリアは相変わらず上着を嫌がり、薄い麻の服だけを着ている。医者としてさすがにこれ以上そのままにさせるわけにはいかない。暖炉に火は燃えているが、それでも凍えて死んでしまう。

 リリア本人も寒さは間違いなく感じているはずで、近頃は火の周りから動こうとしない。しかし、上着に対しては近頃あまり聞くことのなくなった、あのうなり声をあげてまで嫌がるのだ。

 無理やり着せても脱いでしまうのでは意味がない。女衆ならうまくやるかもしれないが、一番冷え込む夜に彼女たちは帰ってしまう。なんとかリリアの意志で上着を着せる事が出来ないか考えていたとき、ふと、一部の香辛料をやけに嫌ったことを思い出した。

 このあたりでは上着といえば獣皮を用いたなめし革を使う。慣れてしまって気にしたことはないが、たしか東部へ診察に行ったとき、かわった匂いがすると言われたことがあった。リリアは匂いに敏感な質なのではないだろうか。

 ものは試し、と荷の奥底にしまいこんでいた、東部製の上着を引っ張り出した。こちらのものとは違って、木綿に綿を入れて作られている。革よりも水に弱いが、乾けばとてもあたたかい。治療費代わりに受け取ったはいいが、着る機会がなくてそのままになっていた。

 

 木綿の上着をわたすと、リリアは何も言わずにそれを受け取り、広げてひっくり返し匂いを嗅いだり触れたりした。警戒しているようだが、なめし革のときと違って威嚇はしていない。ひとまずは胸をなでおろした。

 やがてリリアは手を止めると、こちらを見上げてカチリと両手の爪を打ち付けて鳴らした。意図がわからず、そのまま眺めていると、リリアはわざと見せるようにしながら渡した上着を着込んだ。そしてこちらの目をじっと見つめ、聞かせるように再びカチリ、と爪を鳴らしてみせた。

 しばらく考えこみ、気づいた私は大きく目を見張った。この爪を打ち付ける行為は感謝、もしくは肯定、その類いの合図に違いない。つまり、これはリリアの「言葉」だ。

 これまでの振舞いからも薄々感じてはいたが、落ち着いて共に生活するようになってみると、リリアの振る舞いには獣的な行いとともに社会生活の気配が見て取れる。リリアは、こことは遥かにかけ離れた理解しがたい文化圏ではあるが、どこかで人間的に育てられた子どもなのだ。

 どのような経緯があってこのような年齢で魔物の群れへ紛れることになったのか。リリアというこの国の女神の名を持つのは捨て子だった以上の意味があるのか。いったいどこで育てられていたのか。

 疑問は尽きないが、少なくとも彼女には恩を受けた者への礼を教えるきちんとした「親」がいた。それが分かったことだけでも救われたような心地がした。

 

 どこの文化か全くわからない以上、リリアの「言葉」を私が完全に習得することは難しい。だが、こちらのことをリリアに覚えてもらうことはできる、と確信した。まずは、知らないことに興味を持ってもらうことから始めようと考えた。

 リリアの文化には、こちらでは当たり前のもので全く存在しないものがいくつかある。代表的なものは食器だ。リリアは食事をすべて手づかみで食べていた。欲求に直結した食べ物には興味を持ちやすいのではないだろうか。


 リリアを食堂に連れていき、私と向かい合うように座らせた。目の前には皿に盛られた旨そうなプリンとスプーンが用意されている。料理場に頼み、崩れやすいこの菓子を用意してもらった。安易かもしれないが、子ども心を釣るには菓子を使うのが一番だと思う。

 最初、スプーンを見たことのないリリアは、手づかみでそれを食べようとしたが、結果は失敗に終わった。握った瞬間やわらかいプリンはホロホロと崩れて彼女の手から零れ落ちてしまったのだ。

 意外なことに口で迎えに行ったり皿ごと持ち上げるという発想は、リリアの文化に存在しないようだった。リリアは不機嫌そうに自らの手をなめ、その味に驚愕した。べたべたになったプリンの残骸を両手で掬い上げてほおばった彼女の顔は、初めて年相応の少女に見えた。

 食べづらそうにぺろぺろと手を舐めるリリアの前で、私は自分のプリンをスプーンですくってきれいに食べて見せた。変わった形のオブジェをプリンに突き刺しては口へ運ぶのを、じっと見ていたリリアは、唐突に右手をこちらに突き出した。よこせ、という意味だろうか。

 スプーンはリリアの手元にも用意してあるのだが、人が使っているものが面白く見えるのかもしれない。ナプキンで拭って渡してやると、ちょっと回してみたり眺めてみたりした後、皿に残った残骸たちを手で集めてそれに乗せた。

 これが、リリアが初めて食器を使って食事した経験である。


 興味をもった幼い子どもの学習能力というのは、目を見張るものがある。その気になったリリアは、食器の使い方をあっという間に習得した。今や崩れやすいプリンは彼女の好物だった。

 

 ある日の夕食時のこと事件は起きた。

 最近では、仕事終わりの腹をすかせた兵士たちの作る行列に、小さな影が加わるのが見慣れた光景だ。

 先頭へ来たリリアに、配膳係はいつものように料理をよそって渡そうとした。

「はい、リリア。あんたのごはんだよ。」

 しかし、いつものようにすぐに受け取らない。

 リリアは少し悩むようにしてから、配膳係の持つ皿を指さして、たどたどしく口を開いた。

 「……こっちはリリアのごはん」

 それを聞いた周りは一瞬で静まり、次の瞬間には一気に笑い声が広がった。

「リリア!ついに言葉を覚えたのか!」

「そう!リリアのごはんだよ。しっかり食べな。」

 右手で皿を受け取ったリリアは嬉しそうに左手でカチカチと爪を鳴らして、取り落とす前に慌てて左手も皿にそえなおした。それから満面の笑顔を浮かべて座席に凱旋したのだった。

 その事件を皮切りに、リリアは言葉をみるみるうちに吸収していった。

 

 ある日、廊下を歩いているとリリアが料理場の女と話をしている声が聞こえてきた。

「鶏の赤ちゃんが生まれてね。黄色くてびっくりした。」

「そうよね、お母さんは白いのに不思議よね。」

「それでね!リリア……わたし?俺?僕?」

「女の子は、わたし」

「わたし、が全員に名前を付けてもいいって!」

「あら!じゃあ、がんばってお名前いっぱい考えなきゃね!」

 素朴な会話はほほえましく感じる。何とはなしにそのまま聞き続けた。

「……それでね、わたしの名前は、お母さんが付けたんだよ」

「リリア……もしかして、捨てられた時のことを覚えているの?」

「ううん?捨てられてないよ?」

「でも、魔物の群れのなかで見つかったんでしょう?お母さんはどうしたの?」

「お母さんも魔物だったんだよ。もう死んじゃったけれど。」

 とっさに話を遮るように声をかけた。

「リリア、検査の時間だからこっちにおいで。」

「先生!」

 リリアは料理場の女に手を振り、こちらにかけてくると、私の手につかまった。料理場の女は特に不自然に思ったようでもなく、笑顔で手を振り返した。


 幼い少女が魔物の群れに紛れていた理由が分かった。リリアは魔物によって育てられた子どもだったのだ。いや、そのこと自体は別によい。驚くべきことではあるが、全くありえない話ではないと思う。問題はそこではない。先ほどリリアは、リリアという名前を魔物がつけたと言った。それならばその魔物は……いや、リリアの親、とそう呼ぶべきだろう……リリアの親は、リリアが人間であることをきちんと分かっていたのだ。

 私は笑顔でリリアの手を引きながら、内心で非常に焦っていた。

 ごく稀に狼や熊が人間の子供を育てることがある。そのメカニズムはよく分かってはいないし、作り話なのではないかと言われていることも多いが、とにかくそのような獣に育てられた子どもは社会性を持っていない。狼として、熊として育った彼らは人間の文明を学ぶ機会がないからだ。彼らには人間に発語できる名前も存在しない。

 しかし、リリアはそうではない。初めから人間の名前を持っていた。ルールさえ覚えれば社会生活にもすぐに馴染んだ。

 仮に魔物が獣と同じような思考で、自身の産んだ子と誤認して育てたのならばありえないことだ。


 「やあ、リリア。お茶菓子は好きかい?」

 私は、リリアをつれて砦の責任者の部屋を訪ねた。彼はこの砦を取り仕切るのはここで唯一の貴族である切れ者の指揮官で、信頼のできる男だった。私にリリアについての要請を出した当人でもある。

 「リリア、私と指揮官さんにお母さんの話を聞かせてくれないか?」

 リリアはきょとんとした後、いいよとうなずいた。

「『旅の途中で親をなくしたのか、捨てられたのか。森の中に取り残された赤子の辿る末路は決まっている。そのまま獣の餌になるか、魔獣の餌になるか。けれど、私は変わり者だからね。見つけた人間の赤子を抱き上げて、連れて帰って世話をしたのだ。お前は、魔獣の乳と魔樹の果実を与えて育てた。』そう、お母さんは言ってた。」

 指揮官と私の前でリリアは歳に似合わない懐かしそうな表情をすると、思い出と親から聞いたという出自を語っていった。

 

 リリアの育て親は村の端にある一軒家の老いた魔物だった。彼女は長いかぎづめと大きな翼をもつ、大きなフクロウのような、少し違うような外見をしていた。人間のようによく回る舌は持たないが、かぎ爪の音と鳴き声の組み合わせで会話をすることができ、リリアとは毎日沢山の話をしてくれた。いつも魔物の言葉で話したが、リリアという名前だけはわざわざ人間の発音を鳴き声で表現して呼んでいた。人間の名前を付けたのだと話してくれたことがある。

 

 魔物は美しい名前を子どもにつける。その名前が子どもに力をあたえてくれるように。リリアの親は、彼女が人間にも魔物にも屈せずに生きていけるようにと、敵国の言葉で娘を祝福した。

 言葉も分からぬ敵国の女神の名をどうやって調べたのかは分からない。あるいはリリアという響きだけを知っていたのかもしれない。何しろ戦場で死にかけた兵士が最も多く口に出し、最期の祈りを捧げるのは軍神リリアであるのだから。

 だが、人間を育てるなど他の仲間の目には狂気的な行いにうつったことだろう。実際、リリアの親は他の魔物から距離を置かれていたらしい。


 リリアの親が亡くなったのはちょうどこの村の戦が激化したころだった。とはいえ、戦に巻き込まれたというわけではなく、はやり病にやられたのだという。魔物は人間ほど簡単に病で死んだりしないが、老齢な大フクロウの魔力はもうあまり残っていなかった。彼女は魔術で自身の病を払うことを諦め、代わりに娘へ最期の守りの術を施した。リリアは致死の病にかかることなく、代わりに親を失った。


 親を失った後、リリアは何の身寄りもなく一人で野に放り出されたのか、というと存外そういうことにはならなかった。大フクロウの葬儀が終わった頃、いかつい魔獣が繋がれた軍部の馬車がリリアを迎えに来た。

 魔物によって人間が育てられていることは国の知る暗黙の事実だったということだ。狂気的な行いをしていても生活できていたという時点でリリアの親はある程度の力のある魔物だが、まさか国が絡むほどの者だとは思わなかった。

 監督者不在で野放しにするわけにもいかないため引き取ったものの、軍部は人間を持て余した。

 魔物の国で育てるにも、人間の国に返すにも難がある。

 そのうち、兵力として起用するのはどうか、という話が出た。魔物の国では人間の文化で知られていないことが多い。人間の放つ重火器や魔法弾、剣術などの多彩な攻撃のうち、なにが道具に起因する力でなにが人間の持つ能力に起因する力かはあまり分析されていなかった。

 軍部もリリアがまだ幼いことは把握していた。しかし、人間の軍には幼い少年兵がいることがあるという。であれば、幼くとも人間ならば軍に投入すれば狂気的な力を発揮することができるのかもしれない。そういう発想に至ったということだ。

 非道だと思うが、逆の視点に立てば、分からなくもない発想だ。つまり、人間が凶暴な小型の魔物を使役して戦闘に出すのと同じことである。

 かくして、リリアは人間との戦の最前線に送り込まれた。普通なら幼い少女が戦場で生き残れるはずがない。だが、老フクロウが命の最期にかけた強力な守りの術は、病のみならず戦場の銃弾からすら娘を守り切ったのだった。


「人間を敵だと思っていたのか。それならば当初の態度も納得がいく。敵に眠らされて捕獲されるなど、さぞ怖かっただろう。」

「布団に用を足した時はどうしようかと思ったけれど。あれもリリアなりの抗議だったんだな。」

「えっと、あれは、嫌がらせじゃなくて。」

 リリアの顔が羞恥でさっと赤くなった。

「その……魔物のトイレは藁を山にしてあって、しばらくして汚れたら藁ごと掃除するんだけど。それで、トイレがないなって思って。あそこで一番藁みたいに柔らかいところは布団だったから……」

 私は指揮官と顔を見合わせた。獣のようだと思っていたリリアの行いについてそんな理由があるとは思わなかった。

「なぜ香辛料が投げつけるほど嫌いなんだ?」

「香辛料からは毒の匂いがする。熟れすぎて毒になるくらい魔力を貯めた魔樹の実は香辛料と同じような匂いになる。食べ物から毒の匂いがしたから、殺されるのかもしれないと思った。」

「魔物たちは食器を使って食事をしないのか?」

「お母さんは手がないから食器のことを思いつかなかったと思う。手を使うやりかたは、村の人を見て覚えたけど、外で食器は使ってなかった。もしかしたら家でスープを食べる時は使っていたのかもしれない。」

「革の匂いが苦手なのか?」

「匂い、というより生き物の皮だけを取っておくのが気持ち悪いなって思った。」

 話を聞いてみれば、リリアは初めから知っているルールに従って文化的に生活していたのだった。獣のように思えたのは、単に私たちの知識が浅かっただけのことだった。

 

 いや、知識が浅いどころではない。魔物の文明については今までの常識では考えられないことだらけだった。軍勢ならばボス個体が統率をとっていること、一部の魔物は武器を操り連携攻撃をする知恵があることは知られている。だが、まさか非戦闘員が村を形成しているとは。ごく一部の魔物が権力を持ち、軍を組織し、またごく一部の魔物を村八分にしているとは。


 ……それでは、人間と同じではないか。


 指揮官は即座に厳重な箝口令をしいた。曰く、リリアの出自を決して話してはならない、と。

 民衆は、これから娘が生きていく上で魔物と共にあったなどという汚れた過去などない方がよかろう、とすんなりと納得した。

 この話はそう簡単なことではない。常識にてらせば、魔物というのは人とは全くちがう災害のようなもの。圧倒的な悪。戦の正義は絶対的に我々にあるのだ。この各地で繰り広げられる戦はこの大前提のもとで行われている。仮にそうではないと知られれば。

 人間と同じレベルの文明が魔物の国にあるのならば、上の立場の人間がそれを知らぬはずがない。だというのに、私達は、そのことに今まで思い至りもしなかった。つまり、この情報は意図的に隠されているのだ。

 民衆は長い戦に辟易している。諸侯連中も平和な世ならば帝国などお構いなしにそれぞれの思惑で動くはずだ。団結しているのは共通した魔物という絶対的な敵がいるから。敵が必ずしも敵ではないと知られれば。徴兵のボイコット、裏切り、勝手な和平交渉……いや、最悪大規模な反乱が起きかねない。ゆえに、魔物は言葉の通じない絶対悪でなければならない。

 起こり得るリスクを考えれば、帝国にとってたった一握りの命はあまりにも軽い。

 背中に嫌な汗が伝うのを感じた。幸い、この危険な情報を最後まで得たのは、私と、指揮官のみだった。仮にリリアがすでに誰かに話してしまっていたとしても、農民の身分でリスクにまで気づけるものはそう多くはない。また、そのように頭の回る者は箝口令の意味にも気づくことできるだろう。

 私達は、この人の良い百姓たちの命も守らねばならなかったのだ。

 

 春の訪れを知らせる白い花が山にちらほら見え始めた頃、村は大まかに片付いた。戦の傷跡は村中にいくらでも残っているが、少なくとも死臭はぬぐわれた。これ以降は住民たちが実際に暮らしていくなかで修繕されていくだろう。つまり、この砦も解散し、兵士たちは農作業に戻る時期が来たということである。

 そしてそれは、リリアにとってこの後の身の振り方を考えなければならない時期でもあった。

 指揮官はリリアと、立会人として私を部屋に呼んだ。

 「リリア。君はこれからどうするかを選ばなければならない。私の娘として生きるか、平民として生きるか。もしくは……魔物の世界に戻るのか。」

「……魔物の世界に戻ってもいいの?」

 指揮官は一度咳払いをすると、真剣な顔でリリアの目を見た。

「事実として、君はどうしようもなく人間だ。私には勧めることはできない。だが、同時に止めることもできない。君が本当に望むのなら、そうするといい。……だが、いいか?その場合は絶対にこの砦での出来事を言ってはいけない。これは君を守るためでもある。」

 リリアは困ったように視線をさまよわせ、なんども口ごもってから声を出した。

 「魔物の世界に戻ったら、お母さんのお墓にいける。でも……」

 リリアはこちらにすがるような目を向けた。

「先生、どうしよう。」

 思わず顔が曇った。指揮官も私も、こんなに幼い肩には重すぎる決断を迫っているのは分かっている。すでにリリアはこの世界における重要人物なのだ。まず、リリアに監視がつかないという道はない。なぜなら魔物の軍部に戻っても、指揮官の娘となっても、また平民になったとしても、彼女の持つ知識は戦を揺るがしかねない。

 これは、人間と魔物どちらの敵になるかという質問だ。そしてリリアは幼いながらも、自分でそれを理解している。

 私はリリアの前に膝をついて目を合わせた。

「……本当のところ、人間と魔物に違いなんてないんだ。それは君を見ていれば分かる。君は間違いなく魔物である親御さんに大切に育てられた娘だ。そして、人間であるこの砦の人々にも愛されていた。どこでどう生きることになったとしても、胸を張ってそう思っていい。それだけは忘れないでくれ。」


 リリアがうつむいて一言も発しなくなってからかなりの時間がたった。日を改めた方がよいのでは?指揮官にそう言おうとした時、彼女は意を決したように顔を上げて、私の目をまっすぐに見た。

「先生は、魔物を治せる?」

「魔物を?」

 リリアはひとつうなずいた。

「わたしは、魔物も人間も治す医者になる。」

「……それは、どちらかを選ぶよりもずっと厳しい道だ。」

 私は思わず眉をひそめた。どちらも助けると言えば美しいが、どちらから見ても敵になるということでもある。人間からも魔物からも避けられながら異端者として生きていくことになる道だ。

 「大丈夫。お母さんだって、わたしを育ててくれた。」

 そして、異端の道は彼女の親と同じ道でもあった。

 幼い少女の目は決意にあふれていた。このような目をした者を止める方法を、私は知らない。

 最後の悪あがきのように、私は首を横に振った。

「だが、魔物の治療方法を教えることはできない。魔物と人間では体の構造も何もかもが違うから、私にもどうすればいいか分からないし、おそらく、今それができる者は魔物にも人間にもいない。」

 リリアの瞳は力を失わなかった。

 私はため息をついた。

 「……君が諦めないのなら、人間の治療を学んだ後に君自身の力で調べて学ぶことはできるかもしれない。それでいいなら、ついてきなさい。」


 月日は流れ、幾度も季節は巡り、その間私とリリアは人を治しながら国中を旅した。

 今のところ、やはり魔物を診る他の医者に巡り合ったことはないが、魔物の流す血が人間とさして変わらないものでできていることは分かった。

 今年、リリアは15歳の誕生日を迎える。新しい正式な名前を名乗り、大人としての一歩を踏み出す記念すべき歳だ。

 子どもには辛い遍歴医の旅の中で、泣き言も言わずに見習い医としての研鑽を積んだ彼女は本当に成長した。近頃は私の診療の助手を務めることすらある。

 師であり親代わりとして、授ける名前はずっと昔から決めてある。リリア。私はこれからも、この名を呼び続ける。彼女の故郷の風習に則った美しい名前へ敬意を評して。

お読みいただきありがとうございました。

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