20話 振り返れば夕焼け
沈みかけた丸い太陽に照らされオレンジに染まる坂道を、僕は登っている。
隣にはたまごお姉さんが買い物袋を抱えていた。
「持とうか?」
「大丈夫。乾物が戻っちゃうでしょう?」
「確かに……」僕は伸ばしたシャビシャビの手を引っ込めた。
「お姉さんは最近どう?本屋をやるのが夢って言ってたよね。叶った?」
お姉さんは首を振った。
「主人が仕事をさせてくれなくて。夢を追うのは辞めたわ」
「そっか」
「貴方も、平仮名オンリーは辞めてしまったのね」
「……うん。もう必要ないんだ。僕はね……いや、いいや」
「なあに?知りたいわ」
相変わらずお姉さんはいたずらっぽい。だけど、昔はあった甘えるような色は失われていた。
「僕はお姉さんのために漢字やカタカナを捨てたんだ。お姉さんがお嫁に行ってからも、お姉さんに恥じない自分でいるために平仮名オンリーで喋り続けた」
お姉さんの視線は優しく、それでいて力強かった。何も言わずにただ軽い相槌を打つだけ。それだけでいてくれた。
「でもね、僕はもうダメなんだ。後戻りできないところまで来てしまった。今更平仮名オンリーを続けたところで、既にシャビシャビになってしまった身体が乾くことはない」
深呼吸しても、心は軽くならない。それでも次の言葉を紡ぐには必要だった。
「本当はね。お姉さんに会わせる顔なんて持ち合わせていないんだ、僕は」
この坂を登りきったら、きっともう本当に、二度とお姉さんとは会えない。そんな確信が僕の心にあった。
この時間が終わらなければいいのに。できることなら過去に戻って、もっともっと早く平仮名オンリーで喋りたい。
毎日、お姉さんの顔を見ながら茶碗に入りたい。僕にはお姉さんが特別で、お姉さんには僕が特別。そんな食生活を送りたかった。
でも、そんなことはできない。
坂を登りきってしまった。
「死に様。貴方はどんなのがいい?」
立ち止まってお姉さんが言った。
「え?」
「生まれてしまった事実は変わらない。でもそれを終わらせること、終わらせ方を選ぶことはできる」
お姉さんの手が僕の頬に触れた。
「過去が変わらなくても、未来をどうするかは今生きてる貴方が決めるのよ。シャビシャビから戻れなくても、前を向けば道はいくつにも別れてる」
「お姉さん……」
「やりたいことをやりなさい。貴方を好きだった誰かさんの道が貴方の道と交わることはないけれど、ガードレールの向こうから、貴方を見守っているわ。貴方を、誇りに思っているから」
━━僕は坂を下った。
あざます
次回は明日16日です




