帰り道が遠すぎる
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彼が指さしたのは、荒れ果てた岩だらけの地面。
風がごうごうと、すさまじい音を立てて鳴る中で母が横たわっている。
痩せこけている母は、寝巻きがわりの薄い浴衣一枚しか着ていない。ひどく寒そうだし、あんな場所にいると体が痛いだろう。
驚いた俺は、ドアまで駆け寄った。
「降りるのですか? 降りたらあなたもお母様同様、地獄の住人となりますよ」
添乗員が、俺の背中に声を掛けてくる。
母は何故ここにいるのだ? 地獄に落ちるほど悪いことはしていないはずだ。
「閻魔大王様のお裁きによるものですから、私にはなんとも。ただ、閻魔様の尋問に、馬鹿正直に『息子に悪いことをした』とか答えてしまったんでしょうなあ。正直者はバカを見ると言いますから。本物の悪人は地獄になんぞ落ちません」
添乗員の笑い声が響く。
「そんな!」
俺はドアを開け、外に飛び出した。
「理屈じゃねえんだ、おふくろなんだ」
母のところに駆け寄って抱き起こし、上着を脱いで掛けてやった。母の焦点の合わない目が、少しずつ力を取り戻していく。
ホッとしたのも束の間、俺は母の首に赤い線状の痣を見つけて息を呑んだ。とても痛々しい。
「これは?」
突然、俺たちがいる場所の地面がぱっくり開いて、俺は底無しの闇に落ちて行ってしまう。
「うわあああー」
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「可哀想に。せめてあの世で安らかに」
「親孝行な息子さんだったよねえ」
ここは火葬場だな。
介護に疲れ果てた挙句、母の首を絞めて殺し、その後自殺してしまった俺の簡素な葬儀。
みんな泣いてくれてんじゃん……。
俺の目の前に繰り広げられる光景。それは、地獄に落ちた罪人に、反省させるために見せる映画のようなものである。
「思い出しましたか?」
肩を叩かれ振り向くと、添乗員が、いや地獄の獄卒が立っていた。
「ああ、思い出した」
「あなたは無間地獄で、もう何度同じことを繰り返してるんですかね」
「同じことって言うが、毎回忘れちまうんだから仕方ない。これじゃあ絶望感もないし、反省もない。俺のほうが聞きたいよ。何のために、こんな優しい罰を受けてるんだ?」
「さあ? しかし反省しなければ、あなたはずっとここに留まることになりますが」
「そうか。反省すれば、上の世界に戻れるんだったな」
「でも、地獄ツアーなんて楽しげな記憶にすり替えているようでは、生まれ変わるのはまだしばらくは無理でしょうな」
困った様子の獄卒を見て俺は思った。
地獄なんて、存外生温いもんかもしれねえな。
人間界のほうが、生きてた頃のほうが、余程しんどかったんじゃね? ってな。
「戻らなくてもいい気がしてきたよ」
獄卒は俺の返事が聞き取れなかったようで、
「あなたが人間界に帰れるには、どうしたらいいんでしょうかねえ」
ため息混じりに言った。
地獄に来ても人間界に帰れる、なんてこと知らなかったよ。
今のところ、俺には帰り道はまだまだ遠いようだがね。