53/「なんか変なんですっ!」
なんとか間に合ったアリヤは、半ば落ちてきた荷物をうまく受け止められた。まとめてセディッカも腕の中に転がり込む。
その瞬間、あれ、と思った。コウモリの倍以上はある布包が、大きさや見た目から想像できないほど軽い……というより、まったく重さを感じない。
きっと魔法の類だろう。たしかにこれなら運んで飛ぶのは苦労しない。
それにしても、セディッカのコウモリ姿を見るのはずいぶん久しぶりだ。なんだか懐かしい。
「セディくん、大丈夫?」
「う……」
目でも回してしまったのか、セディッカはすぐには動かなかったし喋らなかった。あまり動かさないほうがいいだろうかと、アリヤも彼を抱えたままその場で待つ。
そして、ほんの数秒の静寂の後。
突然、堰を切ったようにセディッカがギャァギャァと甲高い声で鳴き出した――叫ぶとか喚いていると表現したほうがいいような切実さで。
同時に腕の中でもぞもぞ動き出したので、アリヤはてっきり嫌がっているのだと思い、すぐさま手を離す。
けれど離れるどころか、逆にしがみついてきた。
というより……頭や身体を擦り付けるみたいな動きだ。それもほとんど体当たりに近い激しさである。
「え、え、え〜っ!? っ……わわ!」
勢いが良すぎてアリヤはよろめいてしまい、その場に尻もちをついてしまった。しかし痛いと思う暇もなくセディッカのスリスリ攻撃は続く。
むしろ座り込んだことで膝がちょうどいい足場になったらしく、ますます擦り付けが激しくなったような。
「セディくん、……セディくんだよね? あの、どうしたの……!?」
困惑するアリヤに気づいているのかいないのか、それすらもわからない。鳴いてばかりで人間の言葉を話してくれないからだ。
思わず別のコウモリである可能性まで考えてしまったけれど、魔法のかかった荷物を提げてこの薬屋に飛んできた時点で、さすがに他個体ということはないだろう。
それにちゃんと蒼碧色の魔力も視える。今は何やら荒ぶってはいるが、優しくて少し寂しげな、セディッカの色だ。
わけがわからなくて、アリヤはしばらくぽかんとしてしまった。
はっきり「嫌いだ」とまで言われたのに。ただでさえ前から避けられていたし、今後はもっとそうなると思っていたのに。
(……ど、どうしよう。
っていうか……正直ちょっと――ううん、かなりかわいい……っ)
少し垂れ目がちな、くりくりの瞳。ぴょこぴょこと揺れる卵形の耳。
膝に乗るほど小さな身体はふさふさした毛に覆われている。
柔らかい皮翼で繋がった前後の脚は、簡単に折れそうなほど華奢だ。もぞもぞ動かされると少しくすぐったい。
今の彼はまごうかたなき小動物、アリヤにとって庇護対象だ。それを本人に言ったら怒られてしまうかもしれないけれど。
とにかく、こんな甘えるような仕草をされて、愛くるしく思うなというほうが無理がある。
胸がきゅううんと震えてしまう。恋とはまた別の種類の、愛おしいという感情がアリヤの中で爆発して、辛抱たまらず抱き締めてしまった。
しかし鳴き声はずっとギィギィと苦しそうだし、ようすがおかしいのは事実。いつまでもこのままにしておくわけにはいかないだろう。
身悶えするセディッカを宥めるように撫でつつ、もう一度声をかけてみる。
「ねえ、本当にどうしたの? 大丈夫? えっと……とりあえず中に入ろっか」
やっぱり返事はなかったが、とりあえず重さのない不思議な荷物を片方の手首に引っ掛けて、コウモリを抱えたまま屋内に戻る。
すると奥の、つまり薬屋へ出る扉がうっすらと開いていた。こちら側は少し薄暗いので、明かりが差し込んでいるのが――そこに薄紫の霞が滲んでいるのが見える。
たぶんアリヤが遅いので不思議に思って、魔女がようすを見にきたようだ。ちょうどよかった。
「魔女さん! セディくんが帰ってきたんですけど、なんか変なんですっ!」
「はい? ……あらまぁ……」
異常事態に気づいたムルが、何ごとかを呟きながらセディッカの頭を優しく撫でた。魔女の指が触れたところから黒い粉のような煙が湧き出て、コウモリの身体が溶けて膨らんでいく――人の形へ。
「えっ、わっ、痛……――!?」
膝の上に乗せたまま変身されたわけだが、急に重くなったセディッカを彼より小柄なアリヤが支えられるはずもない。つまり押し負けて倒れた少女の上に、人の姿になった彼が覆い被さる形になってしまった。
一応セディッカも床に手を衝いてはいたが、それにしたって。
――ち……近い……っ!
体温とか、匂いとか、手足の感触とか。
顔にかかるちょっと熱い吐息とか。
非日常的で濃密な情報が一挙に押し寄せてきて、アリヤは軽い混乱状態になり、声も上げられずに硬直する。
幸い(?)、セディッカは我に返ったようにすぐさま飛び退いた。浅黒い頬を一目でわかるほど真っ赤に染めて。
人に変身したのを忘れたみたいに、四つ足で床を這いながら大慌てでアリヤから距離を取る。まるで走ってきた直後みたいに肩を弾ませて、消え入りそうな声で、ごめん、と呟いたのが聞こえた。
この場で一人だけ落ち着いている魔女は、戸棚から何かの瓶を出している。そして居間の隅に置かれた水甕から一杯汲んで、そこに瓶の中身を垂らしてかき混ぜたものを、使い魔に差し出した。
セディッカはすがりつくようにして茶器を受け取り、焦燥もあらわにその薬をあおる。
とりあえずアリヤも身体を起こす。まだちょっと顔が熱いから、こっちもたぶん赤くなっているんだろう。
「落ち着きましたか? アリヤさんも、どこか打ったりしていませんか?」
使い魔と見習い少女は揃って無言で頷いたあと、そろりとお互いを見た。
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