37/「いつ求婚なさるんですの?」
台所から戻ってきた女学生たちは揃って企むような笑顔を浮かべていた。
嫌な予感にそっと苦笑いを噛み殺し、何か良いことでもあったのかい、と訊ねる。ことと次第によってはラーフェンにも被害が及ぶのだ、状況くらいは把握したい。
「い~え、大したことでは!
……あー超もどかしいっ、もっと問い詰めたい~ッ! でもここはぐっと我慢だ~!」
「そうよタレイラ、これ以上の手出しは無粋だわ! とはいえ気になるぅ!」
などと両手をバタバタしながらはしゃぐ二人の姿に、ああこれはダメそうだなと察した。
古今東西、女性は他人の色恋沙汰が好きだ。
それは人間のみならず、他の獣や魔神だろうが変わらない、なんなら異界においても万国共通の普遍的事象である。少なくともラーフェンの観測した範囲内においては。
おおかたセディッカは挙動不審をアリヤの復帰に絡めていじられたのだろう。……さぞ機嫌を損ねていそうだし、あとで八つ当たりされそうだな。
「あはは……あっ、ところでラーフェンさんはぁ、恋人いるんですかぁ~?」
「えっ? 僕?」
「あぁっもうタレイラったら! で……でも私も知りたいです、よろしければ聞かせてくださいな……」
己に飛び火すると思っていなかったので、ラーフェンはたじろいだ。いや、彼女たちはこちらの正体や事情を知らないのだし、それくらいは予想してしかるべきだったが。
何にしても、……隣にムルがいるので気まずい。
しかし、きらきらした瞳が四つも並んで見つめてくると、さすがの魔神も無下にはしづらいものがあった。
「えぇ、と……恋人ではないけど……まぁ……それに近い相手はいるかな……」
「! そ、そそそそれって」
「私ではありませんよ」
女学生たちの期待の眼差しに、魔女は静かに否定を返した。いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべて――それがほんのわずかに軋んでいることは、恐らく彼女たちには伝わるまい。
さすがに言いづらくてムルに黙っていたことを、こんな場面で白状する羽目になるとは。
しかも恋愛話に火がついた女子の勢いは止まらない。ラーフェンはそのまま流れで『彼女』との馴れ初めを聞き出されることになった。
もちろんムルとのあれこれは伏せ、かつ彼女たちには伝わらない魔神などの神秘用語も適当なものに置き換えて、だが。
……二度目に眼球を抉り出したあと、傷が癒える前に異界に渡った。もともと獣形の魔神ゆえ、視覚を損なったくらいでは、さほど不自由しない。
とはいえひどく痛むことに変わりはないし、渡界自体が初の試みだ。少なからず無理をしたせいか、異界に降りた直後に気を失ってしまったラーフェンは、迷宮管理人の奥方に保護された。
ありがたく傷が癒えるまで世話になり、結果としてはそのまま居着いたわけだ。
件の相手は管理人夫妻の一人娘。頑張り屋で屈託がなく、なかなか美味い血を持っている。
療養中、母親を手伝う形で看護してくれた彼女と惹かれ合い、今ではお互い悪しからず想い合う関係である……と思っている。
「道端に倒れてた美男子を助けたのがきっかけって、なんか恋愛小説みたい~」
「あなた恋愛小説なんて読むの?」
「意外でもないっしょ、美少年の宝庫だぞ。ファーミーンが軍記物好きなのと理屈は同じ」
「なるほど。
ところでラーフェンさま、お相手にはいつ求婚なさるんですの?」
「え゛っ」
「そーそー、ちゃんと好きだって言わなきゃダメですよ~。両想いっぽいからこのままでいっか~、なんて思ってたら他の人に取られちゃうんですよぉ、ちょっと前のアリヤみたいに!」
「そ、そうだね……」
なぜ魔神ともあろう者が、人間の女学生ごときに恋の指南めいたものを受けているのか……。
相変わらず隣でムルがにこにこ笑っているし、なんとも胃が痛む状況だった。
今日は薬を飲んだだろうか。恋慕からくる悲嘆を和らげる鎮痛剤を。
あんなものに頼らねばならないほど深く煩わせてしまったことを後悔している。恋心そのものを消してやるべきかと、何度も悩んだ。
けれど感情を奪うのは当人の魂を著しく損なってしまい、ひいては世界の均衡にも影響が出ないとも限らないから、ほとんど禁忌といっていい。
それに、ムルにはそれしかない。
献益奴隷と呼ばれていたころの彼女は空っぽだった。理不尽に鞭打たれることを受け入れ、唯一知るのは「己を害する者たちの、罪悪感に対する憐憫」だけ。
だから拾った。あまりにいびつで、哀れだったから。
血の対価として心を与えた。――その結果がこれなのだから、大失敗もいいところだ。
現状、ムルは唯一「恋」に関してだけは、自分のために悲しんだり妬んだりできる。他の何を奪われ虐げられても平気だが、ラーフェンに対してだけはまともな独占欲を抱く。
だから、せめて彼女が他の感情を手に入れるまでは、恋情を取り上げたくない。また空っぽの奴隷に戻ってしまうから。
なんならアリヤにセディッカの世話を頼むのも、間違ってもムルの二の舞にならないように、という意図がないとは言わない。
だから彼女が使い魔に想いを寄せているのには助かった。いろいろと手間が省けたし、何よりムルとの関係をこれ以上拗らせずに済む。
……などと考えていたからか。
「ご無沙汰してますっ」
噂をすれば影。呪術的に言えば思念召喚というのだが、そこでアリヤが顔を出した。
「おっかえり~」
「それは魔女さまの科白でしょ。
お疲れ様、アリヤ。座ってちょうだい。お茶とお菓子を取ってくるわね」
「お菓子!? やったぁ」
「ちゃ~んとアリヤの分取っといたんだよ」
「ありがと~!」
きゃあきゃあと無邪気にはしゃぐ少女たち。
セディッカは煩がっているけれど、癒される光景だとラーフェンは思う。なんの憂いも悲しみにも囚われていない、若い魂たちの澄んだ光が、店内に満ちている。
彼女たちは存在するだけでここを浄化しているのだ。本人たちに自覚はなくても。
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