元勇者のTS少女が親友に膝枕されたり頭を撫でられたりする話(短編版)
「ねえ、廉次、これさ」
そう、声が耳に入って来たのは学校が終わり、彼――カナメと二人でダラダラと過ごしているときだった。場所は俺の部屋で、カーテンの隙間から赤い夕陽が差し込んでくるのが少し眩しかった。
「廉次、これなんだけど」
「なんだ?」
聞き慣れたトーンの、でも聞き慣れていない高さの声が俺の名前を呼ぶ。
それに対し少し違和感を覚えつつ目を向けると、金色の塊がこちらに一冊の漫画をこちらに差し出していた。
「これ全然だよ」
「……?」
……全然?
何を言っているのか分からなくて、漫画を見る。それは以前から俺の部屋にあるごく普通の漫画だった。有名な雑誌で連載されている、人気のある少年漫画。
「……」
どういうことかと視線を動かし、漫画を差し出しているカナメを見る。
金色の塊――ベッドに広がった髪の毛がもぞもぞと動き、その真ん中には驚く程に整った顔が鎮座していた。
その表情は不愉快そうに眉をひそめていて、しかし、それでもなお美しいと思う。造りの良さが際立っていた。
彼――いや、彼女は俺の親友だ。
幼少期、まだ幼いころからずっと一緒に過ごしてきた無二の友。家も隣で学校もずっと一緒。これまでの人生の大半を一緒に過ごしてきた。
「聞いてる?これ全然なんだってば」
「……聞いているが……何がだ?」
「これ、五年前に見たのと全然変わってないんだけど?」
「……ああ」
言われて納得する。
そういうことか。しかし……。
「……それは仕方のないことだろう」
別に漫画の展開が五年間停滞しているということではないし、五年間連載が止まっているわけでもない。
「お前のいたという異世界では五年でも、こっちでは三日だからな」
「……むう」
単純に、彼女の言う五年前から、こちらの世界では時間がほとんど経っていないだけなのだから。
◆
今からほんの二週間前、カナメが突然行方不明になった。
一瞬前まで一緒にいたはずだったのに、少し目を逸らして、元に戻したと思ったらあいつは影も形もなくなっていた。連絡しても電波が通じないところにいますと帰って来て。
……最初はカナメの冗談だと思った。
少し趣味が悪いがそういうこともあるか、と。
しかし、あいつは夜になっても帰って来ず、それどころか家にも帰っていなくて。
俺は慌てて家の中、町内、市内と思いつく限りのところを駆けずり回り――
――それから三日後。
カナメはひょっこりと帰って来た。いなくなった時と同じように、唐突に。
……それまでとは違う、女性の体で。
◆
「あーあ、がっかりだよ。進んだ分一気読みするの楽しみにしてたんだけどなー」
「……」
そう言いながら漫画を投げ出して足をじたばたとしている彼女の姿を見る。
かつてとはかけ離れたその姿。男の時と――記憶の中のそれとは全然違う。
……詳しくはまだ聞けていないが、どうやら魔王の呪いとやらでこうなってしまったらしい。
異世界に召喚されて、勇者になって、五年間戦って……。
そして最後に、呪いをかけられてしまったのだと言う。
「……むー」
カナメが駄々をこねるように手を振り回し、どったんばったんという音が部屋の中に響く。ベッドの上で跳ねまわっても、漫画の続きは読めないと思うが……。
しかし、こうしてよくわからない動きをしている姿は慣れ親しんだもので……ああ、やっぱりあいつなんだな、と、そう再認識した。
「……はあ」
しばらくして、カナメの動きが止まった。
そしておもむろに起き上がって、頭を振って乱れていた髪を片手でまとめる。ボサボサになっていた金色の髪があっという間に光沢を帯びた。
……あんなに乱れていたのに、それが一瞬でこうなるのはすごいことなんじゃないか……なんて思う。シャンプーのCMに出られそうな感じ。
「……まあ、いいや。ねえ、それとって」
「ん、ああ」
落ち着いたのか、カナメがチョコの箱を指さしてそう言った。
その指の先にある箱を手に取り、カナメに差し出す。
「……あー」
「……?」
しかし、どういうわけか、カナメが受け取らない。
そして何故か口を半開きにし、自分自身の口を指さしている。
「あー」
「……ああ」
少しして、理解する。これは口に直接入れろと言うことか。
他人の……それも男が触ったチョコとか嫌じゃないんだろうか……なんて思うものの、こいつは昔からそういうことをする奴だった。
「……」
……まあ、いいけれど。
箱の中に手を入れ、球体のチョコを一つ取り出す。
そして彼女の口の中に放り込んだ。
「……ん、ありあとー」
「どういたしまして」
カナメがにっこりと笑う。
満足してくれたなら何よりだ。
ニコニコと笑いながらカナメがベッドに寝転ぶ。
そしてもう一度漫画を手に取った。
「しかしさー、話変わるけど、これ、結構違うよね」
「ん?」
彼女が開いているページをのぞき込む。
それはこの漫画の見せ所とも言える、凄惨な戦場のシーンだった。リアリティがすごいと話題になっていた場面。
「こんなに死体って綺麗じゃないよ。もっと色々飛び出してる」
「……そうなのか」
「うん、それに敵に占領されてた町ってこんなにまともじゃないし。
……普通もっとえげつない感じになってるんじゃないかな」
俺の目からすると十分えげつなく見えるんだが……。
実際に体験した立場からすると違う感想が浮かぶらしい。
……カナメは五年間、いったいどんな場所にいたんだろうか。
まだよくわかっていないが、彼女の言葉の端々からはその過酷さが垣間見えていた。
「あとねー……これもね……」
ページをめくり、違和感について語る度、段々と彼女の声が低くなっていく。
そして表情もだんだんと苦々しいものに変わっていき――
……思い出しているんだろうか。
きっと辛い思い出なんだろう。想像しかできないが、楽しい思い出ではないはずだ。
「……」
手を伸ばし、部屋の隅にある小型の冷蔵庫を開ける。
扉の所に刺さっているペットボトルを取り出して――。
「なあ、飲むか?」
「……え?あ、飲む飲む!」
ころりと表情を変えたカナメがいそいそと起き上がる。そして、中身をあおった。
「――くー!炭酸好きー!やっぱり美味しいよねー」
笑顔を浮かべる姿に安心する。
やっぱり親友には楽しそうにしていて欲しい。
「ならよかった」
「うんうん。ちょっと落ち込んでた気も晴れたし。というかこの漫画あんまりよくないよね。もっと楽しい奴がいい」
……楽しいやつ……ね。あっただろうか。
さっきの様子だとアクション系はあんまりよくないだろうし。
「……ああ、それならこれなんてどうだ?」
一つ、該当するものを思い出して本棚から抜き取る。
それは表紙に何人もの少女が書かれた、他とは少しタッチが違う漫画だった。
「え、これ?……ラブコメかー」
少し前、行方不明になる前にカナメ自身が買ってきたやつだ。
あとで読む――なんて言って俺の部屋に忘れて行ったもの。
「じゃ、これにするかー……よいしょ」
「……ん?」
太ももに突然重みを感じる。
そして同時に花のような匂いが鼻孔をくすぐって――。
「……何してるんだ?」
「ひざまくらー」
視点を下げると、カナメが膝の上に頭をのせていた。
具合を確かめるようにぐりぐりと頭を動かし、ある一点でその動きを止める。
「……ふう」
「いや、ふうじゃなくてな」
突然の奇行に困惑する。
何がしたいんだこいつは。
「どうしたんだ、いきなり」
「……んー……なんとなくこうしたかった。
……だめ?」
大きな目がこちらを見ている。
かつてとは違い、それでも確かに俺の親友である彼女の目が悲しそうに細められた。
「……まあ、いいけどな」
「そう?やったね!」
何が楽しいのか……と思うが、まあいいだろう。
特に辞めさせる理由もないし。突拍子のない行動はいつものことだ。
「どんな感じかなー」
カナメが本を開く。頭は膝に乗せたまま。
この体制で漫画を読むつもりなんだろうか。
「……」
……まあ、いいか。
何度目かにそう思い、俺も手に持っていた小説を開いた。
◆
「ねえ、これ……どうなのかな」
そして次にカナメが声をかけて来たのは、しばしの時間が過ぎた頃だった。
時計の針と紙の音だけが響いていた部屋に異音が混ざる。
「なにがだ?」
「これこれ、みてよ。このシーン」
見ると、それはさっきのラブコメ漫画の一場面で――ヒロインの少女が主人公に頭を撫でられているところだった。
漫画の中で少女が嬉しそうに目を細めている。
「……これが、どうかしたのか?」
「これ、ほんとに気持ちいいのかな」
「……さあ」
考えたこともなかった疑問に首を傾げる。
どうなんだろう。小さい頃は両親に頭を撫でられてたこともあったかもしれないけれど……今となってはほとんど記憶に残ってない。
確か……泣いていたときに撫でてもらったような。
「わからない?」
「ああ」
漫画から目を離し太ももの上の彼女を見る。
悪戯そうな顔をしていた。
「じゃあ、試してみよう」
「……なに?」
カナメの手が俺の手を掴む。
そしてそれを自分の頭に誘導し――乗せた。
「さあ、撫でれ」
「……まあ、いいけどな」
今日は妙に距離が近いな……などと思うが、抵抗するほどの事でもない。
言われるがままに手を動かした。
「……」
まず、手に伝わって来たのは柔らかい髪の感触。
滑らかで引っ掛かりのないそれは、絹の糸のようだ……などと思う。
金色の髪が蛍光灯の光を反射する。
その上に手を滑らせるとキラキラと輝いて、まるでとてつもない宝物を撫でているように感じた。
「……あーこれ。すごいね」
「……そうなのか?」
カナメの声に、遠くに行っていた気が引き戻される。
見ると、カナメはなんだか気持ちよさそうな顔をしていた。目を閉じていて口元がむにゃむにゃと動いている。
……というか、これって本当に気持ちいいのか。
漫画の中の過剰な表現だと思っていたから少し驚く。
「これは……大変なことだよ……他の人にやったらとんでもないことになるよ……」
「……そうなのか」
「嘘じゃないよ?私以外にやったら捕まるよ……わかった?」
……捕まるって……警察に?
まあ確かにセクハラか。
「お前以外にはしないよ」
「……え……う、うん」
「……?」
何故かカナメが顔を赤くする。
そのことを少し不思議に思った。
「……ま、まあ、私は撫でられるのは初めてだけど、頭を撫でた経験はあるけどね!」
「……そうなのか」
突然の言葉に少し驚くが、すぐに納得する。
カナメは俺と違って交友関係も広く、そういったこともあるだろうと思うからだ。
「実はね、私あっちで恋人がいたんだよ」
「……ほう」
「それもお姫様の。超可愛い子でさー」
それはすごい。素直にそう思う。
勇者だったと言っていたし、よくあるゲームみたいな感じだったんだろうか。勇者とお姫様が恋愛関係になるのはありがちな王道だ。
「廉次より先に彼女作ってやったぜ!」
「おめでとう」
「ふふーん!………………まあ、振られたけどね」
「……」
……それは、また。
「魔王にこの姿にされちゃってさ、愛想尽かされちゃった。女性とは付き合えませんって……まあ、仕方ないと思うけどね。王族は子供作んないといけないし」
「……そうか」
それはきついな、と思う。
だって、カナメが悪いわけでもないし、きっとそのお姫様が悪いわけでもないんだろう。
だから、カナメは悲しそうな顔をして仕方ない、と言っている。
怒るのでもなく、恨んでいるのでもなく、ただ悲しい顔をして。
「仕方ないと思うんだけどさ。みーんな態度を変えてさ。それまで慕ってくれてた女の子たちも全員離れていった……その代わりに男が寄ってきたけど」
「……」
何と言ったらいいかわからなくて、全く言葉が浮かんでこない。
こんな時に慰める言葉は俺の中には無くて。
……だから、手を動かしてカナメの頭を撫でることにした。
慰めるように。かつて両親が俺にしてくれたように。
「……でも、君は違ったね」
「……そうか?」
カナメの声のトーンが変わった。
それまでの沈んだものではなく、少しだけ明るいものに。
「前と同じように私の名前を呼んでくれて、前と同じように私に接してくれる。……ねえ、なんで君は変わらなかったの?」
「……さあ」
そう言われても分からない。
というか、自分自身、本当に前と同じなのか分からないからだ。これでもちゃんと困惑している。
金の髪は光が反射して眩しいと思っているし、並んで歩いていると声が下から聞こえてくるのに混乱したりもする。それは声の高さもそうだし、匂いが変わったこともそうだ。
「適当に言わずに答えてよー」
「痛っ……おい、抓らないでくれ」
太ももを抓り上げる手を抑えつつ、考える。
どうやらカナメはどうしてもこの答えが聞きたいらしい。
……しかし、なにも浮かばない。
そもそも、俺は人に接するときにいちいち考えたりはしないのだから。
……だから、その問いの答えを強いて言うならば。
「まあ、お前はお前だからかな」
「……え?」
「何があったとしても、お前は生まれてからずっと俺の親友だった。それは変わらないだろう?」
カナメがカナメだから、俺は今のように接している。
答えになっていない気がするが、俺にとってはそれが全てだった。
「…………う、えっと、その、そ、そうなの」
「ああ」
「そ、そうなんだ……」
「……なんだ?顔が真っ赤だぞ」
先ほどよりさらに、顔が赤くなっている。
一体なんなのだろうか。
「君、それ私以外に言ったら本当に大変なことになるからな!」
「……そうか?」
そんなことを言ったらって……言うシチュエーションがあるんだろうか?
普通、人はそんなに大きく外見が変わったりはしない。
「というかさ!ずっと聞きたかったことがあるんだけどいいかな!」
「……ああ」
なんだかカナメのテンションがおかしなことになっている気がする。
とは言え、質問なら大抵の事には答えるが。
「この世界に帰ってきたとき、なんで私だってわかったの?
こんなに姿が変わってるのに」
「それは……」
「私さ、家に入るかどうか悩んでたんだよ?お父さんとお母さんに拒絶されたらどうしようって……それなのに君は……一目私を見るなり良かった!なんて言って私を抱きしめたよね」
「……う」
それは……ちょっと思い出したくない記憶だった。
言い訳をさせてもらうと、感極まったからだ。行方不明の親友をようやく見つけて、つい衝動的に抱きしめてしまった。
「すまん、むさ苦しい男に抱きしめられて嫌だったか」
「いや、そうじゃなくて……そのことはいいんだよ。私がいなくなってからの三日間、ずっと必死に探し回ってくれたらしいし。そこに文句を言う気は無いの」
そうじゃなくて、と、もう一度カナメが言う。
後ろめたさから逸らしていた目を向けると、カナメは俺を真剣な顔で見ていた。
「なんで、廉次は私が私だってわかったの?」
「………………わからん」
しかし、それは正直に言って自分自身でも分からなかった。
ただ、何故かはわからないけれど、一目見た時に思ったのだ。
「お前だって思った。絶対にカナメだって。
だから抱きしめたんだ」
「……そうなんだ」
カナメが困ったような、でもちょっと嬉しそうな、そんな顔で笑う。
そして、突然体を回転させて、俺の太ももにうつ伏せになった。
「……君さ、いつか詐欺に騙されそうだよね」
「……そうか?」
「そうだよ。だってそんな訳の分からないことを言っているんだから」
そうなんだろうか、と思う。
そうなのかもしれない。確かに訳の分からないことを言っている自覚はあった。
「だからさ……その、仕方ないから私が傍にいて注意してあげるよ」
「……そうか」
それは、その言葉は素直に嬉しいものだった。
だって親友が傍にいてくれるというのだ。嬉しくないはずがない。
だから、俺は。
「ありがとう。お前がいてくれるなら安心だ」
「――」
そう言った。
感謝を表すようにカナメの頭に手をのせて軽く撫でる。
「き、君はさあ……」
「なんだ?」
「そういうの絶対に私以外に言うなよ!絶対だからな!」
「……?……ああ」
言われなくても俺の親友はカナメだけだ。
だから、これからも他の人間には言わないだろう。
「……」
「……」
しばし、沈黙が続く。
撫で続けている手に触れる髪の感触が心地よかった。
「もっと」
「……ん?」
「もっと強く撫でて」
「……ああ」
髪を撫でる力を少しだけ強くする。
うつ伏せのカナメの吐息が太ももに当たって少し熱いと思った。
「……」
ふと、窓の外を見る。
カーテンの隙間から見える外の景色は茜色に染まっていて――。
――そんな穏やかな時間がゆっくりと過ぎていった。
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