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おどんを煮る

 世の中にはおどん、なる食べ物がある。おでんでもうどんでもなく、おどん。蓋を開けてみれば、おでんとうどんを一緒に煮込むだけの簡単な料理なのだが、これがなかなか結構、イケるのだ。特に今日のような金曜日の夜ならば。


「皆くたばれ。くたばれ」


 私はぶつぶつとそう繰り返しながら、帰途に就いた。仕事が思ったより建て込み、定時を思いきり過ぎての帰宅となったのだ。胃はぎすぎすするし、足元はふらつくしめまいがする。食欲もあまりないが、腹が減っているのは確かだった。家に食材はあるが、作る気力すらない。ふらつく足取りで駅前のコンビニに入った。途端に出汁の香りが鼻をくすぐった。


おでん、始めました。


 優しいキャッチコピーが私をいざない、気が付けばレジに立って「おでんの具あるだけ全種類ください。三つずつ、汁多めで」と呪文のように唱えていた。魔法のように大きな二つの容器に入ったおでんが出てきて、私は普段なら絶対に出さない金額をクレジットカードで支払う。後悔するのはカードの引き落とし日でいい。


「…家に日本酒と絹豆腐と、冷凍うどんがあったなあ」


 決めた、日本酒で一杯やりながらおでんを食べよう。冷凍うどんも一緒に煮込み、おどんを作るのだ。明日は残ったおでんと絹豆腐を煮込んで、とうめしを作ろう。幸いにも明日は土曜日だ。

 それにしても。


「なんでおでんの具を三つずつ買ったんだっけ…?」


 わからない。気が付いたら購入していたのだ。たぶん、明日の朝ごはんとお昼ご飯の分だろう。私は暢気にそう考えてアパートの階段をのぼり、自分の部屋のドアを開けた。


「おお、遅かったではないか!」


 弾けるような声を聴いて、おでんの入っているビニール袋を取り落とさなかった私を、誰か褒めてほしい。

 アストロ王国の王太子、イサークを名乗る黒髪の美少年が、その妻の美少女、リディアと一緒にワクワクした顔で私を待ち構えていた。相変わらずの寝間着姿で、その傍らにはあの重厚な黒い扉がちゃんとある。部屋へと続く開けっ放しのドアをちらりと見ると、居間兼寝室の床には本が何冊か散らばっていて、どうやら私が帰ってくるまでの間、私の蔵書を読んで時間をつぶしていたらしい。


「お二人ともいつ頃いらっしゃったんです…?」

「うむ!二時間ほど前だ!」

「お帰りが遅かったので、何かあったのかしらと心配しておりましたのよ、わたくし達」


リディアがそうおっとりと言う。イサークは私の手からおでんの入っているビニール袋を奪い取り、中を覗き込んだ。


「これは何だ?シチューか?」

「おでんです」

「オデン!変わった名前だな!これはどうやって食べるものなのだ?」

「煮て食べます。……あの扉、今日も出現したんですね?」

「うむ。余とリディアが見ている目の前でゆっくりゆっくりと現れてな。召使どもを下がらせておいてよかった」


 あの扉が現れるのは金曜日限定らしい。私は何があっても金曜日に人を家に招くのはやめようと決心した。私は冷凍庫を開け、中に冷凍うどんが三つあるのを確認すると、両手鍋をガスコンロにかけ、イサークからおでんを奪い返した。容器の中身と凍ったままの冷凍うどんを鍋に入れ、コンロに火をつけてじわじわと温め始める。

出汁の少々しょっぱいが良い香りが室内に漂い始める。


「何を読んでいたんです?」

「うむ、あの絵がいっぱい書いてある本はよくわからなかったが、おもしろかった」

「漫画ですか」


 そう言いながらもちらりと視線をそらしたイサークを、私は少々いぶかしく思ったが、おどんが煮え始めたのでそちらの方に意識を戻した。私は戸棚からファストフードのおまけで付いてきたスタッキングボウルと、普段味噌汁を飲むのに使うお椀と、ラーメン用のどんぶりを取り出しておどんを三等分に分けた。

 そして、イサークとリディアに椀とフォークを渡す。


「すまぬな」

「まあ、ありがとうございます」


私は日本酒の瓶を取り出し、グラスに注いでからぐっとやった。リディアが一口すすってから目を輝かせる。


「まあ、このスープ、ちょっとしょっぱいですけど複雑な味わいがしますわね!この丸くてちょっと変わった食感のお野菜は何なんですの?柔らかくて噛むと汁がじわっと溢れてきますのね…こちらのふわふわした白いものも、食感がとても面白いですわ」

「大根とふわふわはんぺんですね」

「余は断然、この茶色くて丸いものだな。魚のすり身を使っておるのか?」

「それはさつま揚げですね」

「この、黄土色の袋に入った白いものは何なんですの?味はないけど柔らくて伸びますのね…こんなもの食べたことありませんわ」

「餅入り巾着です、私が好きなんですよ」

「この白くて細長いものはなんなのだ?食べられる紐とは驚いたな」

「うどんです」


 どうやら今日も異世界料理はこの二人に好評のようだった。イサークがじっと日本酒の瓶を物欲しそうに見つめているので、私は慌てて冷蔵庫にしまい込んだ。未成年に飲酒をさせるわけにはいかない。おどんはあっという間に二人の胃袋へ消え、鍋は見事に空っぽになった。


「今宵も素晴らしい馳走であった。これは礼だ。我が国の金貨だ」

「いや、そんな、いただくわけには」

「何を言う。取っておけ」


 押し付けられた数枚の金貨はずっしりと重く、金がかなりの割合で含まれているのは間違いないであろうと思われた。この前の装身具と合わせて、どうやってしまっておこうか私が悩んでいると、イサークとリディアはドアを開け、私に手を振りながら帰っていった。


「ふー…明日の昼、どうしようかなあ」


 ガス栓を閉め、私は居間に入り、床に散らばっている本を本棚へ戻した。と、そこで違和感に気づいた。


「……?無い?」



私の大学時代の愛読書、ハードカバー版『フランス革命史~その発生と経緯~』全三冊と、『自給自足の本』が本棚から消えていた。




フランス革命史の本は架空の本です。『自給自足の本』は実在するので、興味がおありの方は是非読んでみてください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 美味しそう……。 おどん、やってみよう。
[一言] 待ってました
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