彼女の死-II
玄関で靴を脱ぎ、萩原の後ろについて玄関のすぐ横にある螺旋階段を上がると、ドアが開きっぱなしの部屋がある。
萩原はその部屋に俺を招き入れた後に自身も中に入り、扉を閉めた。
意図を汲んだはいいものの、これ以降の行動がわからない。萩原の方を一瞥するが、視線をやや下に向けたままでいて、俺と目を合わせる様子はない。
まるでついさっき知り合って初めて家を訪ねた顔見知りのような気まずさがある。
こんな状態で何をどう切り出そうか……。
一言目を言いあぐねていると、一瞬こちらを見た萩原が「座ってていいから」と一声かけて部屋の外に出ていった。
何となく部屋を見渡しながら、淡緑色のカーペットが敷かれた床に胡座をかく。
これまでだって数え切れないほど訪ねてきた部屋だ。
しかし、妙に居心地の悪さを感じるのは以前とは違って、見える限りとても綺麗に片付けられているからだろう。
床に置きっぱなしになっているものはないし、教科書も科目別に揃えられ棚に立てられている。
部屋を一目見た印象からは「几帳面」、そう言われそうなほど整頓が行き届いていた。
以前はこの部屋に来るたびに「ちょっとは片付けろよお前らしさがすぎる」と半分本気で小突いたりしていたのに。
ずいぶん昔に思えるような記憶を思い返していると、ガチャと部屋のドアが開き、氷の結晶と結露を纏った烏龍茶の缶とボックスティッシュを手にした萩原が戻ってきた。
「ん」
手に持っていたその両方をこちらに差し出され、やっと自分が汗だくだったことを自覚する。
「……悪い。ありがとう。」
やっと捻り出した自分の声はガサガサで、一層頼りなく聞こえる。自分の声じゃないみたいに。
プルタブを開け、ティッシュを何枚かとって汗を拭きながら烏龍茶を飲む。
乾いた喉に冷えた烏龍茶が染み渡り、呼吸も忘れて夢中で飲む。
もう無くなりそうと言うところでなんとか止めた。
そうすると、今度は汗が止まらなくなってくる。お茶を飲んで余計に出てくる汗に、ティッシュは全く追いついていない。
おまけに肌にまとわりついてポロポロと崩れてくる。
気を回してくれたのに、と思いつつ思い通りにならないティッシュと格闘していると、それを見ていた萩原は少しだけ表情を緩め、脱力したように背からベットに倒れ込む。
そして右手の甲を額に当て、一度だけ深呼吸をすると、ポツリポツリ話し始めた。
「部屋、綺麗になっただろ。」
汗を拭く手を止め、頷きながら答える。
「入った瞬間から、らしくないなって思ったよ。」
「だよなぁ。彼女がさ……来たいって言ったから、掃除してたんだ。」
「……そっか。」
「昨日来るはずだったんだ。10時に迎えにいくわって言って……それで。」
「……。」
「でも、ちょっと用事を済ませなきゃいけなくて、何時になるかわからないからやっぱり迎えはいいやって言って、」
「うん。」
「それでそのあと少しして、用事は済んだって連絡が来たから、待ってたんだ。でも、来なかった。」
そこまで話すと萩原は眉根を寄せて険しい顔になっていき、黙り込んでしまった。
俺は萩原が言葉を口にしなくても、その先にある最も残酷な答えは分かっていた。
それでもそれを今ここで萩原の口から聞く必要がある、そうしなければならないという使命感に支配される。
自分の中から響く大きく早くなる心臓の音を聞きながら、逃げ場のない引き金を引く。
「……なんで来なかったの? 」
その言葉を聞くと、萩原は右足のつま先だけをピクッとさせた。
ふぅと一気に息を吐き出すと、額に当てていた右手をおろして起き上がり、俺の目を見て言った。
「死んだからだ……。車に、はねられて……。」
決定的な一言を口にした途端な声を震わせ、両手で顔を覆う。
その指の隙間から、堰き止められなかった哀しい雫が零れ落ちていった。