『グッドバイ』論・・・toeの音楽の或る側面
『グッドバイ』論・・・toeの音楽の或る側面
㈠
このままにして良いのだろうか、ここから去っていいのだろうか。『グッドバイ』を聴いていると、この曲を初めて聴いた時を思い出す。もう随分と昔だ。そのPVに惹かれ、兎に角、この曲を聴かないまま、立ち去っては行けない様な、不思議な感覚に襲われた。toeの『グッドバイ』の話である。
自己が自己で在り続けることは、簡単な様で、難しい。人間は、過去と決別している様で、実は、過去の自分と決別している。何かが自然的に遡及することはなく、また、未来に進むこともなく、ただ在る今の自分を見つめていると、『グッドバイ』を聴くことで、感傷から、救抜に移行する。
㈡
toeは、様々な曲を世に出しているし、それぞれの個性が混じり合って、所謂感傷美を創造していると、聴き手の自分は思う。中でも、ドラムの卓越した技法は、聴き手の内的衝動を喚起するかの様である。自分はしかし、toeの曲で、どれが一番感動するか、と聞かれたら『グッドバイ』を挙げるだろう。
過去が戻ることはない様に、未来が足早に襲ってくることもない。絶望という感傷に耐えながら、息を吹き返す現象現出を待つまでもなく、思いが遠方へと投げ出される時、『グッドバイ』は、強烈に脳髄に響くのである。しかしそれは、別れ、というよりは、新たなる発展を意味していることは、明白であろう。
㈢
芸術には、過去を忘れる為に作られたものと、未来を見る為に作られたものがある。toeの音楽が、そのリズミカルな感覚の中、感情を吐露したかの様なギターの旋律がまるで、未来を予知する様に響いていることに、着目せねばなるまい。
別れは一瞬である。それ故、未来を見る。そう言った観点からも、『グッドバイ』は、未来を見る為に作られた音楽だと言えるだろう。この音楽を聴き、PVを見ていると、心が穏やかになれる。別れを超越した、芸術表現は、我々を日常の次の段階へと、誘ってくれる。