第5章ー14
とは言え、連合国軍の消耗もかなりに達しているのも否定できない事実だった。
実際、高木惣吉少将の耳には、現在の日本軍の実情が、それなりに入ってくるのだが。
「陸軍内では、台湾語がそれなりの会話が弾む有様らしい。陸軍の欧州に赴く新兵、補充兵の内、一部の部隊では過半数が台湾出身者と言う有様でな、欧州に赴く新兵同士、相手が船の中で台湾語で独り言を呟いているのが聞こえて、お前もか、という感じで親しくなったりとか、他にも思わず、半ば口癖の台湾語が出たりとかでな。部隊内で、半ば自然と台湾出身者同士が仲良くなる例が多発してる」
陸軍の山下奉文将軍は嘆くようにいったのが、高木少将の耳には未だに遺っている。
更に言うなら、日本軍の将兵が昨秋からこの春に掛けて、凍傷等に苦しんだのは、台湾出身者がそれなりにいたためなのも否定できない話だった。
それこそ氷が張ったのを産まれてから見たことが無いとか、雪が降るのを初めて実見したという兵に対して、凍傷対策を徹底させるのには限度があった。
そうしたことからすれば、台湾出身者を中国本土で戦わせた方がいいという見方もあったが。
台湾出身者を中国本土で戦わせるか、欧州で戦わせるか、となると、日本軍としては、感情的には欧州にと言うことになる。
台湾出身者といっても、それこそ清朝がいわゆる鄭氏政権を滅ぼす以前から住んでいる古い家系の者もいれば、下関条約後、日本の統治下に入った後、様々な伝手で大陸から住むようになった極めて新しい家系の者もいる等、それぞれではあるが、それこそ中国人同士で、同胞相撃たせる戦場をわざわざ選ばなくとも、ということから、日本軍は台湾出身者を基本的には欧州に送り込んでいた。
(なお、米国の場合は、特にこだわらず、中国系市民を中国戦線に送り込んでいた。
いや、むしろ米国への忠誠や蒋介石政権への支持を示すために、むしろ中国系市民の将兵に対して、中国戦線での勤務の志願を暗に推奨していた。
これには、中国系市民の間の共産中国シンパをあぶり出すという意図もあり、そのために多くの中国系米国市民が中国戦線で死傷することになった)
第二次世界大戦の損耗は、こうした問題を日本軍に引き起こしていた。
それでも、日本軍はモスクワへの攻勢を行おうとしていたのであり、似たような問題(国民の多くが死傷して、補充兵を集めるのに苦労している)を引き起こしながら、他の連合国軍も、ソ連での最終攻勢を展開しようとしていた。
なお、連合国軍が対ソ欧州戦に突入して以来、占領してきた地域の治安維持等のために、ロシア諸民族解放委員会の下、投降してきたソ連軍の将兵等を基幹とするいわゆる警察軍を編成する動きもあったが。
この1943年春時点では、編制途上にあるというのが、実際の所だった。
何しろ、投降してきたソ連軍の将兵の出身地自体が、それこそ色々であるし、更に、後々の事がある。
例えばだが、カザフスタン出身で投降してきた兵士にしてみれば、できればカザフスタンに還った後、祖国カザフスタンのために働きたい、と願うのが当然だった。
また、西ウクライナ出身でありながら、レニングラード攻防戦に投入され、最終的に投降したある兵士にしてみれば、速やかに除隊して、故郷復興のために働きたい、と願うのが半ば当然だった。
そういった個々の兵士の希望を聞き、更にこちらの意図にできれば沿うように、希望を誘導して、ということを、ロシア諸民族解放委員会は行わざるを得なかった。
そして、いわゆる後方の治安維持等のための警察軍編成は、ある地域では人が充分に集まったが、他の地域ではどうにも人が足りない等、様々な問題が多発していたのだ。
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