第5章ー13
そんなある意味、直接の戦争と関りの無い想いを、この時に高木惣吉少将がしたのは、全く理由が無いことではなかった。
それこそ長きにわたる戦争は、戦争と直接には関わりの無いことにまで、影響が及んでいた。
祖国日本を離れて幾歳月、という事情は、個々の兵士レベルにおいて、厭戦感情を広め、余りよろしくない状況を引き起こしていたのだ。
そういった兵士の素行の一端が表れたことから。
(以前にも書いたが)土方歳三の子と聞いているので、父を探して欲しい、という訴えが複数出ており、他にも日本史上の著名人(織田信長とか、徳川家康とか)の子が、何人も現れているのだ。
根も葉もない言いがかりだ、と突っぱねられたら、話はすぐに済むのだが、それなりに話を聞くほど、男が偽名を騙って、相手の女性を騙していた例が圧倒的なようで、日本軍上層部では大問題になっていた。
(もっとも、訴えてきた女性が完全な無垢ばかり、という訳ではない。
それなりに素行が怪しい女性も混じっている。
だからこそ、それこそ21世紀になっても、この問題はしばしば論争を引き起こしているのだ)
それが行きついた果てに、この1943年春時点に至っては、徳川公爵家や土方伯爵家等々から、家の名での正式な申し入れが為される事態にまで至っているし、外国の軍隊でも同様の問題が起きているとのことで、皆、頭を抱えていた。
(口に出すのは、皆が差し控えるが)こういった状況も、連合国軍上層部の厭戦気分を高めていたのだ。
それはともかく、本来のモスクワ方面への侵攻作戦に立ち戻るなら。
「北方軍集団と中央軍集団は、鉄の振り子のようにモスクワを目指すか」
連合国軍最高司令部からの最終作戦案を示された高木惣吉少将は、その作戦案について、そのような感想を最初に抱いた。
それこそ、悪く言えば第一次世界大戦の際に連合国軍がドイツ軍に対して行った最終攻勢を、時代と場所に合わせて焼き直しただけのものともいえた。
だが、効果的な作戦なのも確かな話だった。
既に連合国軍の自家薬籠中のものとなっている縦深攻撃を、北方軍集団と中央軍集団が同時に5か所で展開することにより、ソ連軍の防衛線を、まずは崩壊させるのだ。
そして、連合国軍の主力は、モスクワを目指す。
一部の戦線では、ソ連軍が防衛に成功するかもしれないが、成功した部分に連合国軍が更に注力することで、防衛に成功したソ連軍は却って孤立を余儀なくされてしまう様に、連合国軍は攻勢を展開する。
このような攻勢を、連合国軍が自信を持って発動できるのは、既にバクー油田を始めとするソ連国内の油田の産油量等、ソ連国内の資源生産量が、様々な積極的、消極的サボタージュにより、減少しつつあるという状況が、この1943年春に至って徐々に把握されつつあるのもあった。
ソ連政府の威令は徐々に低下しつつあり、ソ連国内の鉱山や油田、炭田においては、(特にロシア民族以外の間で)祖国ソ連のために尽力する、という精神が失われ、サボタージュが広まりつつあった。
更に国力の差が、完全にソ連と連合国との間で現れつつあるというのもあった。
幾らソ連の国力が大国に相応しいものであり、更にその国土が広大で、ウラル山脈周辺に軍事工場等を移設して、連合国の侵攻に備えていたとはいえども、米英仏日伊等の連合国全ての国力に、ソ連単体では国力が及ぶ訳が無かった。
そのために、相討ちではソ連の敗北で、ソ連としては2倍以上の損害を、連合国に本来は与える必要があったのだが、そんなことが出来る訳が無かった。
そして、国土の奥深くに連合国軍を誘い込み、消耗させるという作戦も上手く行っていないという現実が現れつつあったのだ。
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