第1章ー9
場面が変わり、日本本国での話になります。
そうした会話が、サンクトペテルブルク(及びその近郊)で交わされていた頃、日本でも、速やかにこの世界大戦を終えたい、終わらせたい、という動きが起きていた。
国会の場においても、そういったことが、表立って議場の場で発言されることもあれば、議員同士の半ば密談として交わされることもあった。
従って。
「本当に年内に、この世界大戦が終わって欲しいものです」
「全くですな。年内には、成都、モスクワを陥落させ、世界大戦が終わって欲しい」
「伯父さまが、そう言われるのは、また、空売りで儲けたいからでは」
「第一次世界大戦後、それに昭和金融恐慌後、と2回の暴落相場を空売りで、わしが儲けたのは事実だが、姪にそこまで言われる筋合いはないぞ」
国会議事堂の一角で、同じ貴族院議員ということから、土方勇志伯爵と篠田正は会って話を交わし、そこに土方伯爵の公設秘書として付き添っていた篠田正の姪でもある土方千恵子が、茶々を入れていた。
だが、3人共、余り顔色が良いとは言えない。
土方伯爵にしてみれば、息子と孫が欧州に出征して丸3年になる。
千恵子にしても、夫と弟が出征して、3年経つのだ。
篠田正にしても、姪の夫、義理の甥が出征していることを想えば、そう明るい顔は出来なかった。
「ところで、サンクトペテルブルクにおけるロシア諸民族解放委員会の設立ですが、ソ連内部のことについて、後はロシア諸民族解放委員会に任せたい、ということからの設立で間違いないでしょうか」
篠田正は、少し顔をあらため、声を潜めて尋ねた。
「肯定も否定も、わしの立場では出来かねますな」
土方伯爵も声を潜めて返した。
「それで充分です」
篠田正も、貴族院議員に選出されて、数年が経ち、阿吽の呼吸が分かるようになっている。
貴族院きっての重鎮議員といえる土方伯爵の返答から、自分の推量に間違いがない、と察した。
千恵子は、二人のやり取りを聞いて、それとなく周囲に目を配る素振りをして、視線をわざとそらし、自分の内心が覚られないように努めた。
最早、ソ連政府も共産中国政府も、自分達のしてきたことが自分達に降りかかっている事態になっていることを熟知している。
だからこそ、下手に講和に応じられないのだ。
講和に応じたら、報復のために自分達が処刑されることが、半ば自明の理だからだ。
更に厄介なことに、面従腹背の者等の多くが粛清されてしまい、政府中枢に遺っているのは、熱心な政府支持者ばかりだ。
そのために徹底抗戦をソ連も共産中国も続けている。
早く戦争が終わって、夫と弟には帰国してもらいたいが、それにはどれだけの血が流れればよいのだろうか、自分の気が遠くなりそうだ。
もしかすると、自分が知らずに開発計画を掴んでしまった、あの禁断の兵器、核兵器の開発がこの世界大戦の終結までに間に合い、実戦に使用される事態までも起きるのではないだろうか。
私が、あの開発計画を掴んでから1年余りが経ち、更に開発計画は進んでいるだろう。
米英日仏の4か国が極秘裏に核兵器の開発を進めている。
また、ソ連も独から亡命してきた原子力関係の科学者やロケット関係の科学者の協力を得ているらしい。
もし、核兵器を搭載した大型ロケットが、ソ連により実戦に使用される事態が起きたら。
千恵子は、義祖父と伯父のやり取りを小耳にはさみつつ、深い物思いにふけらざるを得なかった。
早くこの世界大戦が終わり、夫や弟が無事に帰ってきますように。
そして、私と夫が同居して幸せに暮らし、また、弟がいい人と再婚して、幸せを掴めますように。
千恵子としては、弟の岸総司には、いい人と結婚してほしかった。
何人もの男の一物を掴んだ女性とは、結婚してほしくなかった。
最後の一節ですが、ちょっと補足説明をします。
土方千恵子としては、軍医の職務上とはいえ、何人どころか何十、何百人単位で男性の一物を診たような斉藤雪子軍医中尉を、感情的に嫌悪していて、弟の岸総司の嫁にしたくないのです。
外伝で描いた、両親が幸せに結婚した世界では、千恵子は軍医士官になっているのに、職業差別をするのか、とツッコまれそうですが、本編世界の千恵子は全く知らない、分からない話です。
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