第4章ー6
「我がスペイン青軍団の目標は分かりました。他の南方軍集団の大雑把な方針はどうなのでしょうか」
作戦参謀が声を挙げた。
「まず、フランス軍が、一部をもって、モスクワ方面からの反攻を警戒しつつ、我々と共にスターリングラード、アストラハン方面へと主力が進撃していく」
グランデス将軍が、最初の説明を行い、多くの幕僚達が得心した顔になった。
アラン・ダヴー少佐も納得せざるを得なかった。
恐らく、その方面が一番の激戦となるだろう。
「イタリア軍が、主力をもってロストフからグロズヌイ、バクー油田へと進撃し、一部は黒海沿岸の制圧作戦に従事する。そして、ルーマニア軍がセヴァストポリ要塞を攻撃し、それが成功した後は、治安維持に必要な部隊を一部、残置して、主にイタリア軍に協力するというのが基本方針だ。もっとも、ルーマニア軍が、どのように動くかは、不確定要素が大きい。何しろ、セヴァストポリ要塞は、大要塞だからな」
グランデス将軍は、そのように言って、自分の言葉を締めくくった。
「そして、南方軍集団から指示された作戦案は、ここにある。これを我々は理解し、実地に遂行できるようにしていかねばならない。また、それなりの部隊を動かさねばな」
グランデス将軍は、含み笑いをしながら言い、ダヴー少佐を始め、一部の幕僚は苦笑いの表情を浮かべた。
そう、スペイン青軍団の一部は、実は色々と裏口で装備を充実させ、軽機甲師団化していたのだ。
(もっとも、イタリア軍の一部の将兵が知れば、どこが軽機甲師団だ、と怒るレベルだった)
スペイン青師団と称されたが、実際は3個師団から成っているといってよかった。
そして、実態に合わせるために、スペイン青軍団と、この春季攻勢を機会に改名することなり、更にスペイン青第1師団、スペイン青第2師団、スペイン青第3師団という呼称が決まり、更に。
スペイン青第1師団を、様々な手段を使って、軽機甲師団にしたのだ。
保有する戦車は、ドイツの50ミリ長砲身を搭載したⅢ号戦車約60両(史実のL型)に加え、主に戦場に遺棄されていたものを再利用することで戦力化したT34/76を約60両といったところで、保有する戦車自体は合計しても、やっと120両を超える程度と少ないものだったが、それでもスペインの軍人にしてみれば、本国にも存在しない有力な戦車部隊といえるものだった。
更に、様々な手段を駆使して、自動車化、機械化を図っており、一部の砲兵は自走砲にもなっている。
この部隊ならば、フランス外人部隊第2師団と共同行動が可能な筈だった。
ダヴー少佐は、内心で苦笑いを深めざるを得なかった。
スペイン青第1師団の改編には、本当に苦労した。
戦場で遺棄されていた兵器を修理して再利用したり、他の国の部隊が戦利品として確保していた兵器の譲渡を受けたりして、やっと兵器等を集め、装備を充実させたのだ。
修理用の部品等を集めるのも、一苦労だった。
ある部品は捨てるほどあるのに、ある部品は無い等、よくある話で、フランス外人部隊時代に培ったと言うより、必然的に習得してしまった裏口交換等の手段で充実させた。
自分の部下として働いてくれたスペイン軍の下士官に、
「誠に失礼ですが、本当に少佐は、サムライの息子でありますか。ジプシーの息子ではないでしょうか。そうとしか思えない程に、裏口に通じておられるのですが」
とまで言われたな。
石原莞爾提督にまで、どこから私の所業が漏れたのか。
「サムライというより、かつての幕府歩兵隊の一員だな。真に結構」
と褒められたのか、呆れられたのか、私には分からない言葉を掛けられた。
ともかく苦労した甲斐があった。
そう、ダヴー少佐は想った。
最後の石原提督の言葉ですが。
作中でも、所々で出ていますが、第一次世界大戦終結の頃まで、日本海兵隊は色々と裏から物を手に入れるのが得意だったのです。
流石に今はほとんどやっていませんが。
それを想い起こして、石原提督は言った訳です。
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