第4章ー5
ずっとスペインからの義勇兵部隊について、史実に準じて「スペイン青師団」と呼称していましたが、第4章に入るのを機に、「スペイン青軍団」と呼称を改称します。
そして、スペイン青軍団の隷下に、3個のスペイン青師団がいることにします。
(そうしないと、部隊規模と呼称に齟齬が起きそうなのです)
1943年4月に行われた日米伊の空母機動部隊の黒海での軍事行動は、そのような結果を直接的、間接的にもたらした。
その結果を踏まえて、最終的な南方軍集団の作戦は、4月25日にアイゼンハワー将軍の最終決裁を受け、5月1日から発動されることになった。
そして、その基本方針だが。
「我がスペイン青軍団は、フランス軍と協同して、ここハリコフ周辺から、スターリングラードへ、更にアストラハンを目指すとのことですか」
グランデス将軍が、南方軍集団司令部から受け取った作戦案の要綱を示すと、スペイン青軍団の幕僚達の間には、上記のような大きな騒めきが起こった。
その幕僚の多くが、その遠征距離の遠大さに気が遠くなる思いがしていた。
何しろ、ここハリコフからアストラハンまで、直線距離でも1000キロ近く離れているのだ。
故郷のスペインから考えれば、4000キロは離れているのではないだろうか。
かつて、十字軍遠征が行われた時代、いや、スペイン王国が、オスマン帝国と地中海の制海権を争った時代に東地中海沿岸、今で言えば、いわゆるレバント地方で戦ったスペインの騎士、軍人はいただろう。
それよりも更に東方で自分達は戦うことになるのだ。
無論、単にスペインからの距離だけを考えるなら、もっと遠方のフィリピンや中南米等で、スペイン軍が戦ったことはある。
何しろ、我がスペインは、かつて「太陽の沈まない国」と謳われた大国だったのだ。
だが、その戦いは、いわゆる植民地戦争的なもの(米西戦争は悩ましいところだが)だった。
国の運命を賭けて戦うような大戦争のために、義勇兵身分とはいえ、スペイン軍がそのような遠方で戦うことになるとは。
何れはそうなるかもしれない、と分かってはいた。
だが、そんな遠方で自分達が戦うことになるとは、と多くの幕僚達が思っていた。
アラン・ダヴー少佐は、周囲の空気を察しつつ、別の想いをしていた。
かつてのナポレオン1世皇帝陛下のロシア遠征よりも、さらに奥地への遠征をすることになるとは。
本当に現実の話とは思えない。
だが、考えてみれば、自分の見知らぬ父は、もっと遠方の日本から軍命に従っただけとはいえ、フランスに赴き、母と出会い、フランス人の自分が生まれたのだ。
更に、自分が初陣を飾ったスペイン内戦においても、土方勇志伯爵率いる日本人義勇兵は、1万名以上も日本からスペインに赴いている。
そして、今、欧州には数十万名の日本兵が駆けつけている。
更に今、自分は、日本軍でも、フランス軍でもなく、スペイン陸軍少佐として、この地に立っている。
日本軍の面々、父の人生、自分の人生、色々と考えるほど、何とも不思議な気がしてしょうがない。
ダヴー少佐や他の幕僚の想いを察したのか、グランデス将軍は暫く沈黙した後、更なる説明を自身で始めた。
いや、グランデス将軍自身も、幕僚らと同じような想いをあらためてしたのかもしれなかった。
「なお、我々だけでは、いざという場合の機甲、装甲兵力に懸念があるので、フランス外人部隊第2師団を我々と共に行動させるとのことだ。言うまでもないことだが、彼らは機甲師団であり、ドイツ装甲師団のある意味、後継部隊といえる。彼らと共に見事な戦果を挙げようではないか」
グランデス将軍は、更なる説明を、一旦、区切った。
ダヴー少佐は、その言葉には更に複雑な想いを抱いた。
彼らは、ある意味、自分と似たような存在だな。
表面上は、本来の祖国以外のために、彼らは戦わざるを得ない。
勿論、真の意味、裏の意味では、祖国、自分の場合はフランスのために戦っているのだが。
表立っては、本来の祖国のために戦えないのは、つらい話だ。
そう、ダヴー少佐は想った。
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