第4章ー2
ちなみに、何故に1943年4月に日米伊の空母機動部隊が、黒海に殴り込みをかけることになったのか、というと、大軍事戦略上の理由と共に、日米それぞれの新鋭機のお披露目と言う側面もあった。
(それを言い出すなら、伊も少し便乗していたのが現実なのだが)
まず、大軍事戦略上の理由から言うならば、黒海沿岸で日米伊の空母機動部隊が大規模に暴れまわることにより、ソ連に対して、黒海での連合国軍の上陸作戦発動を警戒させるという理由である。
リガ湾上陸作戦において、日米英仏伊の空母機動部隊(及び戦艦部隊)が暴れまわった末に、上陸作戦を成功裏に終わらせたという戦訓は、ソ連政府、軍上層部に刻み込まれていた。
今、日米伊の空母機動部隊が、黒海で暴れまわるということは、再度、黒海沿岸において、連合国軍が大規模な上陸作戦を展開するのではないか、という疑念をソ連政府、軍上層部に生じさせるものである。
また、これに対処するためにソ連軍を再配置することは、必然的に現に連合国軍の南方軍集団と対峙している兵力を減少させることは間違いない話だった。
こういったことを考えるならば、日米伊の空母機動部隊が、黒海で暴れまわる軍事的な妥当性は否定できない話ではあった。
だが、それよりも大きな理由が、既述のように、日米伊の空母機動部隊の装備する新型艦上機のお披露目と言う側面だった。
まず、伊海軍は、ようやく量産化に成功したRe2005(の艦上機型)の初陣を、この黒海遠征の場で果たすことになっていた。
確かに、伊海軍の艦上機は1種しかないのか、と揶揄されても仕方ないが、Re2005は、630キロまでの爆弾を搭載可能で、これは戦闘爆撃機として充分に役立つ代物だったし、水平速度も(この時に同時に初陣を果たした)F6Fを上回っており、十二分に優秀な艦上機といえた。
米海軍も気合を入れていた。
1943年4月現在、米空母が搭載している艦上機全ては、新型機種に統一されていた。
搭載している戦闘機はF6F、爆撃機はSB2C、攻撃機はTBFと完全に一新されている有様で、3年前の1940年のノルウェー沖海戦時の主力機だった艦上機は、それから3年経った今は完全に引退済みというのが現状になっている。
そして、日本も同様と言って良かった。
戦闘機は待望の「烈風」に、爆撃機と攻撃機は統一されて「流星」に、専用偵察機として「彩雲」が、この時、黒海に赴いた空母には搭載されているという現状があった。
言うまでもなく、米海軍と同様に旧式化した艦載機は全て空母から降ろされている。
これらが、ソ連黒海艦隊に対する大規模空襲を行ったというお披露目により、それぞれの機種に実戦に参加したという箔を付けるのが、更なる真意と言うことになる。
戦後にトルコに空母を売るとなると、艦上機も当然に売ることになる。
更にその後も長い付き合いになることを考えれば。
日米の軍政関係者が、この空襲を行うことを推進したのも、それなりの理由があるのだった。
(それに、それ以外の国々に対する空母や艦上機の売込みの際にも役立つのだ)
だが。
実際に戦場に送り出される軍人にしてみれば、そんな理由は聞きたくもない話だった。
とは言え、全く軍事合理性のない話ならば、断固、拒否する等の主張、手段があるが、一応の軍事的理由もある以上、拒否等の強硬手段は取れない。
だから、小沢治三郎中将は不機嫌になるし、ハルゼー提督は憤懣を溜めながら、この黒海での日米伊の空母機動部隊を活用した作戦を展開することになったのである。
そして、第一目標となったのは、セヴァストポリであり、次の目標がノヴォロシースクという、ソ連黒海艦隊の基地だった。
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