第3章ー11
日本軍の進撃は、そのような感じで遅々と進むしか無かったが、米軍の進撃は、それとは対照的だった。
米軍は自軍の補給のみを考慮して、道路や鉄道等といった輸送路の整備を行い、ひたすら共産中国政府の当時の首都、成都を目指すという進軍を行った。
これに対して、共産中国軍の一部の部隊は、ゲリラ、不正規戦を試みることで、米軍の進軍を妨げようと試みたが、米軍の対応は峻烈極まりないものがあった。
「共産中国政府を熱烈に支持しているような住民は郷土から引き離して、後方に送り込むことで、共産中国軍のゲリラ戦を封殺する」
マッカーサー将軍直々の命令の下、ボーア戦争の英軍や、それこそ米軍がインディアン戦争において用いられていた戦術が、中国本土において行われた。
「これは文明と非文明との戦争であり、また、自由主義を共産主義から守るための正義の戦いである」
とまで、いわゆるイエロージャーナリズムは、この戦争を煽り、米軍の行動を正当化した。
更に共産中国政府は、現地住民からできる限り食料を供出させ、徹底した焦土戦術をとることでも、米軍の進軍を妨害しようとしたことから、尚更、米軍の進軍途上にある住民は、塗炭の苦しみを味わった。
後方に送り出されたとはいえ、食糧等の提供もなく、完全な自活を求められて、どれだけの住民が生き延びられるだろうか。
しかも、後方に送られる中に、いわゆる働き手となる若年層や中年層の男女はほぼおらず、幼年期の男女や、老人の男女ばかりなのである。
若年層や中年層の男女が何故にこの中にいないのか、と言えば、半強制的に共産中国軍の兵士に志願させられていたからなのだが、米軍にしてみれば、このことはその住民が一丸となって、共産中国政府を熱烈に支持していた証に他ならなかった。
それ故に、米軍は、こういった住民に対して食料等の提供を基本的に拒否して、自活することを求めた。
だが、そんなことが可能な訳が無かった。
米軍にしてみれば、安全極まりない後方地帯に送り込んで、広大な農地まで提供してやったのに、中国の人民は、何をぜい沢を言っているのだ、という理屈になるが。
実際に送り込まれた住民にしてみれば、農業を行おうにも、種籾さえない者が多いのだ。
種籾等、金を出して買えばいい、と米軍は言うが、そもそも、誰から買えばいいのか。
そして、何とか種籾等を手に入れても、それが成長して収穫できるまでの間、どうやって食料を確保して生き延びればいいのか。
そもそも、着の身着のままで送り込まれているのに、お金の余裕がある訳が無い。
そう言った事情から、米軍に言わせれば、広大な農地が与えられているのに、中国の人民は働きもせずに敵に食むという理屈から、米軍に大量に援助を求めて自業自得の惨状に陥ったのだ、という主張になるが。
米軍の占領した土地においては、人煙がほぼ絶えた、更に後方に送られた中国の人民の多くが、結果的には死んでいった、と中立的な歴史家でさえ史書に書く有様となった。
そして、その間にも、米陸軍航空隊の熾烈な空からの攻撃は続けられてもいる。
1943年秋、甘粛省や青海省、四川省の多くの地域は、米軍の占領下に置かれた。
それまでに、共産中国政府の統治下にあった領土は、完全に荒廃しきってしまった。
共産中国政府の(臨時)首都、成都は米軍の総攻撃に対して、懸命に耐えたが。
それこそ人肉相食む惨状を呈するような戦闘を長く続けられる訳が無く、1月余りの戦闘の末、共産中国軍の首都防衛軍は完全に崩壊状態となり、また、共産中国政府首脳部は、成都からの脱出を決断した。
何故に脱出を彼らは決断したのか。
それは、中国の民衆の抗戦意思を夢想したからだった。
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