第3章ー8
1943年5月1日、中国戦線における連合国軍の大攻勢は発動された。
陝西省方面及び湖北省方面からは米軍が、湖南省方面及び広西省方面からは日本軍が侵攻作戦を行い、甘粛省や青海省、四川省、貴州省、雲南省へと侵攻していった。
(米軍は甘粛省や青海省、四川省を基本的に担当し、日本軍は貴州省や雲南省を基本的に担当した)
これに対し、共産中国軍は激しい抵抗を行ったか、というと現実には凄まじいものがあった。
「残敵掃討任務に近いな」
第18師団司令部で、簗瀬真琴中将は、最前線からの報告を取りまとめたものに目を通す度に、内心で呟かざるを得なかった。
第18師団は、南寧から昆明に向かうように命ぜられており、進軍自体は順調と言って良かったが、その進路にある共産中国統治下にある住民は、幽鬼に近い者が多いという報告が相次いでいる。
下手に食料を提供すると、(21世紀の現在では、リフィーデイング症候群として知られているが)逆に死者を増やすことから、住民から恨まれることを覚悟で、投降してきた住民に対して、食糧を少しずつ提供することで保護に努めているという前線部隊からの報告が、自分の手元に届いている。
そして、進軍途上の情景だが、簗瀬中将は師団長として、基本的に後方を進んでいるため、いわゆる戦場掃除等がある程度、行われた中を進んでいるのだが、それでも死臭が漂ってきそうな中を進む有様だった。
何だかんだ言っても、簗瀬中将は会津の出身で、自ら田畑を耕した経験は全く無いとはいえ、それなりに田畑を見ながら育った存在だった。
その簗瀬中将が見る限り、進軍途中で見る農地の多くは、どう見てもまともでは無かった。
種は蒔かれて、それなりに育ってはいるが、雑草が混じっていたり、充分な水が供給される筈が、その水路が半ば詰まっていたり等々の問題が起きている田畑が多く、本来、期待されるべき収穫量の半分も収穫できないのでは、と簗瀬中将には思われてならなかった。
これでは、まともな収穫ができないだろう、と懸念して、簗瀬中将が部下達を介して住民に聞くと。
主に住民の宣撫工作に当たっている部下達を介してだが、住民によると、幼児や老人の男性、また、幼女や中高年の女性ばかりなので、農地の手入れはままならず、そんなことから水路の手入れ等、思いも寄らないという状況に陥っているらしかった。
今後の事を考えれば、日本軍兵士の手を割いて、農地や水路の手入れの手助けをするべきなのかもしれないが、そんなことをしては、日本軍の進軍がままならない。
更に住民に聞けば、かつていた住民の半分以上が、飢餓や疫病により死亡したり、また、若い男女が兵士に半ば強制的に徴兵、志願兵とされたことにより、いなくなっていることが分かった。
それもあって、人手不足に陥っているらしい。
簗瀬中将は、気鬱に陥りながら、住民に食料を提供し、今後の農地の手入れの方策について、助言を与えることで満足して、進軍を進めていくしかなかった。
そして、簗瀬中将は、現状について、岡村大将らに報告すると共に、他に進軍している師団司令部に、進軍、及び住民の状況を照会した。
すると、他の師団の進軍状況も似たり寄ったりと言うしかなく、共産中国軍の抵抗よりも、進軍途中にいる住民への対処や救援に追われていることが判明してきた。
これを報告した部下の1人が、
「我々は何のために戦っているのでしょう」
と嘆くように、簗瀬中将に言い、簗瀬中将も気鬱の余り、
「命令だから戦っているのだ」
と吐き捨てるように言うしかなかった。
そんなことから、日本軍の進軍は遅々としたものとなった。
住民を救援する物資を運ぶのが、大変なことになったのだ。
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