第3章ー6
ウランバートルを出立した簗瀬真琴中将は、本来なら親補職として、東京で親補式を受けた上で、第18師団長になるのだが、急ぐ必要があったことから省略されて、直接、当時、日米等の最高軍司令部が置かれていた武漢に向かい、更に当時、第18師団司令部が置かれている南寧に向かわざるを得なかった。
簗瀬中将は、その事に少し残念な想いをせざるを得なかった。
第56師団は特設師団であることから、少将でも師団長になれるのだが、階級等のバランスから、本来の師団長にならある親補式はなく、単なる勅任官扱いだったのだ。
初めて自分が親補式を受けられると期待していたのに、と簗瀬中将は口には出さなかったが、残念で仕方なかった。
とは言え、急ぐ必要がある以上は、仕方のない話だった。
武漢にたどり着いた簗瀬中将は、最高司令官である岡村寧次大将らから、中国奥地侵攻作戦について説明を受けることになった。
何しろ、既に詳細な作戦が煮詰まり、今から作戦を発動しようという段階で、第18師団長が交替するという事態が発生してしまったのである。
今更、作戦の練り直し等は思いも寄らず、岡村大将としては、簗瀬中将に対し、これまでに立てられていた作戦計画を説明し、それを実施するようにほぼ指示するしかなかったのだが、簗瀬中将にしてみれば、ある程度は察していたとはいえ寝耳に水に近い話で、その内容に疑問を覚え、質問等をせざるを得なかった。
ざっと作戦計画の要旨に目を急いで通し、更に岡村大将臨席の下で、作戦参謀の堀場一雄大佐らから詳細な説明を受けた後、簗瀬中将は思い切って発言していた。
「基本的に長江以南を日本軍が、長江以北を米軍が制圧するという理解でよろしいでしょうか」
「その通りです」
簗瀬中将の言葉に、堀場大佐は即答した。
「担当地域は、これまでの経緯から言っても、そう問題はないと考えますが。我々には、山岳部隊が不足しており、中国奥地への進撃作戦においては、困難をきたすと考えますが如何」
簗瀬中将の質問、疑問は、ある意味、当然のことだった。
簗瀬中将としては、中国奥地に進撃するのは、極端に言えば、1年後にしても構わないのではないか、とどうにも思われてならなかった。
中国奥地の地形を考えれば、山岳部隊を拡充、編制等して準備を整えた上で侵攻すべきだ。
だが、堀場大佐は否定的だった。
「確かにおっしゃられることは分かります。ですが、これは中国奥地の住民を救うためでもあるのです」
「救うためですか」
堀場大佐の言葉に、一体、どういう意味なのか、簗瀬中将は疑問を覚えた。
そこに岡村大将が割って入った。
「ここだけの話にしてくれ。他言無用だ。どうも、米軍が毒ガス等の化学兵器を使用しているという疑惑が生じつつある。マッカーサー将軍等は否定しているが、どうにも怪しい」
岡村大将は、心持ち声を潜めながら、簗瀬中将に言い、簗瀬中将は衝撃を受けた。
「どうして、そんなことに」
簗瀬中将は、絞り出すような声で言った。
「言うまでもない。自軍の損害を迎え、少しでも早く戦争を終わらせるためだ。米軍は、我々等がいるから決して公言はしないが、実際には、有色人種差別が軍内部でさえ横行している。白人とそれ以外の人種で輸血用の血液さえ分けられているのは、公然の話だ。有色人種の中国人は、米軍にしてみれば、自軍の損害を抑えるためなら、化学兵器を使用しても構わない相手と言うことなのだろう」
岡村大将の言葉に、簗瀬中将は息を呑んだ。
「それは何としても止めないといけないのでは」
簗瀬中将の言葉に、岡村大将は頭を振った。
「明確な証拠があるのなら、我々も非難できるが、証拠が掴めずに、疑惑ではどうにもならん」
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