第1章ー5
ともかく女性が増えたことの副産物、というと語弊があるだろうが。
食事、特に調味料等、例えば、味噌等に関しては質が向上する事態が、この頃の日本軍では起きていた。
そもそも、医療部隊は既述の事情から女性がそれなりの割合を占めていた。
しかも、従軍看護婦となると基本的に下士官兵だが、女性軍医となると仮にも士官である。
そして、粉末味噌等の不味さ(内外に主張する表向きの理由は栄養不足)に耐えかねて、こんなことなら、手前味噌等を作ることで何とかしよう、と女性軍医や従軍看護婦が動く事態が生じた。
更に言うなら、日本軍の物資補給は、基本的に潤沢に届いていたことから、手前味噌等を作るのに、そんなに物資の面では苦労しなかったのである。
(千人単位の女性が揃うと、味噌作りの経験者もそれなりに含まれており、更にその経験者が周囲に指導し、という形で急速に味噌作り等が広まったのだ。
なお、斉藤雪子中尉も、味噌作りの経験者で、豆味噌を欧州で仕事の合間に作っており、豆味噌に自宅で親しんでいた岸総司大尉とそれによって親しくなったという事情があった)
ともかく、そうした事情が相乗効果を発揮したことから。
1943年の正月のサンクトペテルブルク、及びその近郊等に展開する日本陸海軍(言うまでもなく、空軍や海兵隊も含む)においては、さすがに平時には及びもつかないとはいえ、それなりに正月を感じられる豪勢な食事が提供される事態が起きていた。
そして、土方勇中尉や岸総司大尉らは、それに舌鼓を打ち、思わぬ人物も相伴に預かっていた。
「ふむ。これが日本のお雑煮ですか」
「ま、洋風雑煮というか、ここに合わせて作りだした代物ですが」
そんなに歳は違わないとはいえ、(表向きの)階級差が少佐と中尉では、2階級もある。
表向きは、スペイン軍少佐のアラン・ハポンであるアラン・ダヴーに、土方中尉はそれなりに如才のない対応をするしかなかった。
ダヴー(本来はフランス陸軍大尉だが、現在はカバーを付してスペイン陸軍に出向し、少佐として働いている)は、スペイン青師団(実態は軍団規模)司令部の広報参謀として働いており、今回、ロシア諸民族解放委員会の設立を寿ぐために、この地に赴いたスペインのグランデス将軍の随員として来たのだ。
そして、ダヴー大尉は、土方中尉と岸大尉とは旧知の仲(更に言えば、実は岸大尉の異母弟であり、土方中尉の義弟にもなる)であることから、土方中尉が日本軍(海兵隊)の正月料理を食べられては、とダヴー大尉を誘い、ダヴー大尉はそれに応じた、という次第だった。
「塩抜きをしたベーコンに、ルタバガ等が入り、更に餅が入っていますな。この調味料は、味噌ですかな」
ダヴー大尉は、そう言って、土方中尉に微笑みながら言った。
ダヴー大尉は、スペイン内戦の際に「白い国際旅団」の一員として戦ったこともあり、それなりに日本料理に通じている。
餅や味噌が分かるのも、そのためだった。
「分かりますか」
「ええ、スペインで粉末味噌を味わいましたよ。あれは不味かったですね」
「正月ということで、輜重部隊を説得して、大盤振る舞いをしてもらいました。手前味噌ではありますが、生味噌仕立てですからね」
ダヴー大尉と土方中尉は、笑いながら、そんなやり取りをした。
その横では、岸大尉も笑っている。
「戦争が終わったら、日本にいらしてください。本当に美味しいといってもらえる日本料理を、ダヴー大尉には出したいです」
何しろ、義弟ですから、それは心の中に秘めて土方中尉は言った。
「私もご馳走に協力します」
岸大尉も口添えした。
「それは楽しみですな。少しでも早く戦争を終わらせねば」
ダヴー大尉は笑って言った。
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