第3章ー4
土方千恵子は、少し躊躇うというより、口ごもりながら、土方勇志伯爵に次の言葉を発した。
「例の女性軍医らの殺害事件の当事者は、第18師団ですが、後任の師団長には、中将に昇進の上で、現在、ウランバートルに駐留している第56師団長を務めている、簗瀬真琴少将を発令するとのことです。第56師団長として、外蒙古地域の治安維持に成果を上げていることを、梅津美治郎陸相が高く評価し、抜擢人事を決断したとのことです」
土方伯爵は、千恵子の言葉に肯きながら、その裏の意味を少し深読みして考えてしまった。
第18師団は、久留米を中心とする九州出身の精兵を集めた部隊の筈だ。
そして、更に言うなら、第18師団の兵団文字符は、皇室由来の「菊」でもある。
簗瀬少将(いや中将というべきか)は、そういった精強部隊を任せるに足る、と梅津陸相は考えたということなのだろう。
だが、何故に千恵子が口ごもるのか、土方伯爵が、すぐに思いつかないでいると、千恵子の方から躊躇いながら口を開いた。
「本来からすれば、母の同級生の出世を喜ぶべきなのでしょうが、素直に喜べなくて。いけませんよね、過去に囚われてしまっては」
千恵子の口調は、半ば自嘲しているように、土方伯爵に聞こえ、その言葉で土方伯爵は納得した。
千恵子は、単に母としかいわないが、そこは両親のというのが本来だった。
千恵子の両親と簗瀬将軍とは小学校の同級生で、お互いの実家が近所で、更に元は会津藩士の家同士という極めて深い繋がりがある。
だが、千恵子の出産騒動の際に、簗瀬将軍(その時はまだ尉官に過ぎなかったが)は、千恵子の母に味方して、他の同級生らと結託して結果的にだが、千恵子の父方家族を一家離散に追い込んだのだ。
後になって、簗瀬将軍自身、反省していることらしいし、千恵子自身、調べれば調べる程、父方家族も、母とそれに味方した同級生も、どっちもどっちといえる事件だったのだ、と今は割り切ってはいるらしいが、未だに何でこんなことに、という想いが拭いきれない事件らしい。
だから、千恵子は、簗瀬将軍に対し、微妙な想いをして、口ごもるのだ。
土方伯爵は、先程の議場での一部の議員の発言を想い起こした。
今は完全に頭が血に昇った発言が、議員の間でさえ横行している。
後になって、簗瀬将軍が千恵子の両親の一件について反省しているように、何でここまでの発言をして、憎しみを煽るようなことをしたのか、と反省するような事態が起きねばいいのだが。
盗人にも三分の理という言葉がある。
そもそも中国本土に派兵してきた日米が悪い、中国内戦に何故に日米が介入してきたのだ、それなのに日米の女性兵士まで攻撃するような共産中国は断じて許せない、という日米の主張は理不尽だ、という共産中国の主張は、屁理屈といえば屁理屈だが、筋が全く通っていないか、というと通っていないとまでは、自分は言うことはできない。
それに、中国内戦に介入した日米両軍の攻撃により、意図した結果か、非意図的な結果としてか、はともかくとして、中国の民衆の間に多大な被害が出ているのを、自分としても否定することはできない。
こういったお互いの憎しみの激発が組み合わされれば、この1943年に行われる日米両軍を中心とする連合国軍の主に四川省等を中心とする中国奥地への攻勢は、お互いに血を血で洗う凄まじい事態が引き起こされるのは、まず避けられまい。
土方伯爵は、歴戦の軍人としての透徹した目で、将来を憂えざるを得なかった。
本当に四川省等の住民の1割も生き延びられないような地獄が、この後に起きるのではないだろうか。
本当に自分が阻止できればよいが、自分には阻止できる力が無い。
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