幕間1-5
千恵子の身にそんなことが起こったのと相前後して、料亭「北白川」を経営している村山家では、一騒動が起こっていた。
「お父さん」
村山キクが産んだ幸恵や美子らが、キクの目の前で泣いていた。
キクは、夫が急死した現実が受け入れられず、半ば放心して、現実逃避の想いをしていた。
料亭「北白川」の花板でもある夫は、キクにしてみれば自分には過ぎた夫だった。
夫に言わせれば、
「将来、横須賀芸者の看板を背負うとも謳われた君と結婚できるなら、幸恵の養父に喜んでなるよ」
と言うことで、夫からキクに結婚の申し入れがあり、キクと夫は結婚したのだった。
それから20年余り、銀婚式を目の前にして、夫は脳出血で急死したのだ。
とうとう、幸恵の実父等について、この人に話せなかった。
キクは、そんな想いがしてならなかった。
もっとも言っても、信じようとしなかっただろう。
更に、キクは、1939年のあの日のことが想われてならなかった。
「ちょっと酔った老人の繰り言ということで、聞いてくれないか」
「構いませんとも」
あの日、色々と恩義のある林忠崇侯爵が、密談用の小部屋を一人で使いたい、と急に一人で「北白川」に来訪して言ったのを、キクはすぐに受け入れた。
そして、頼まれた酒と料理を運び込み、辞去しようとしたら、引き止められて、更にそう言われたのだ。
最も、その時に林侯爵はまだ一滴の酒も飲んでいなかった。
「戊辰戦争の末期、わしは仙台にいて、ある飯盛女を何回か抱いた。その後、薩長にわしは降伏して、更に小笠原家に永預け処分ということになったのだが、その頃に思わぬことが起きた。その飯盛女が、わしの子を身籠ったと言い出したのだ」
林侯爵は、そこで言葉を切った。
「飯盛女の主は、薬による堕胎を試みたが失敗して、わしの家臣らに相談を持ち掛けたらしい。家臣らも困ってしまった。そんな怪しい子を、殿の子と認める訳には行かないからな」
「それで」
キクは思わず続きを促した。
「最終的に、その飯盛女が産んだ男の子を藁の上の養子にして、会津藩士の野村と名乗った男の子にした、とその家臣の1人がわしに伝えた。だが、その家臣もどうにも言い難かったらしく、死ぬ寸前にわしに言ったからな。わしが聴いたのは大正になってからだ。だから、わしが調べようとした時には、手掛かりは全く無くなっていた」
林侯爵は、遠くを見やった後で続けた。
「そして、岸家と篠田家の騒動が起き、幸恵のことまで、わしの耳に入ってな。その時、わしの脳裏を掠めたのだ。ひょっとして、幸恵達の実父、野村雄はわしの孫かもしれんとな」
キクは、林侯爵の言葉に呆然とした。
二人の間に、暫く沈黙の時が流れた。
「一人息子と泣いてはすまぬ。孫を亡くした方もある」
沈黙を破るように、キクは思わず言った。
「あの時の歌の替え歌か」
林侯爵は言った。
日露戦争時、乃木将軍は、二人の息子を共に戦死させた。
それで、
「一人息子と泣いてはすまぬ。二人、亡くした方もある」
という歌が作られたのだ。
キクは、その歌が思い出されてならなかった。
「野村雄の疑惑を知っているのは、これまでは、わしだけだった。このことを、幸恵らに伝えるかどうかはお前に任せる。お前が雄の子らの母に、一番、相応しいからな」
林侯爵はそう言い、身振りで、キクに去るように促した。
その後、キクはずっとそのことを自分一人の胸の内に秘めてきた。
夫は、このことを聞いても信じなかっただろう。
いや、幸恵も、千恵子も、総司も同じで、私が話しても、誰も信じないだろう。
だが、林侯爵のあの時の言葉、態度を見る限り。
林侯爵は、野村雄を自分の孫と確信して孫を戦死させたのを悔やんでいた。
キクにはそう思われた。
これで、幕間は終わり、次から中国戦線等の最新の極東からパレスチナにおける情勢を描く第3章になります。
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