第1章ー4
そんなふうな会話を最上層部は交わしていたが、現場の将兵は、それはそれで別の面を垣間見る有様と言って良かった。
「そう言えば、斉藤雪子中尉の気が妙にたっているな。最近、岸総司大尉に張り付いている気がするな」
父親の土方歳一大佐が、そんな想いをしていること等、知る由も無いまま、同じ頃に土方勇中尉は、そんなことを想っていた。
やはり、他の女性に岸大尉を取られたくないと嫉妬心を燃やしているのだろうか。
そんなことまで、土方中尉は考えた。
欧州での対ソ戦が本格化する以前から、徐々に徐々にだが、後方部隊に女性の姿が、現実の日本軍内で増えるようになっていた。
それまでは、それこそ女性軍医、従軍看護婦くらいしか、女性の軍関係者はいなかった。
(なお、第一次世界大戦終結まで、日本の軍医は男性のみと言っても過言では無く、女性の軍医が戦場に初めて赴くのは1927年の南京事件であり、本格化するのは中国内戦介入以降の話である。
そして、従軍看護婦というか、軍の看護婦も日清戦争の頃から存在したが、基本的には日本内地の勤務であり、戦時のみの採用だった。
だが、第一次世界大戦で大量の死者が出たことにより、人手不足に陥ったことから、1919年に陸軍衛戍病院で、平時にも拘わらず、看護婦を採用したところ、評判が良かったことから、平時の軍の看護婦採用が、陸海(空海兵)軍で行われるようになった。
更に、1927年の南京事件の派兵の際に、海兵隊の軍看護婦が中国に赴いたのが、日本内地以外での従軍看護婦の始まりとされている。
それから後は、日本軍の従軍看護婦は増える一方と言っても間違いない有様となっていき、人材不足を補うために、それまでは高等女学校を卒業した後、3年間の教育を受けた者のみが、従軍看護婦の資格を得られていたのが、1940年には高等小学校を卒業した後、2年間の速成教育により、従軍看護婦の資格が得られるようになる等、様々な改革が従軍看護婦については行われた。
(なお、さすがに同等には扱えないということで、高等女学校を卒業していない者は、従軍准看護婦という名前での資格となった)
そして、1943年初頭の現在においては、男性の減少という現実により、師団病院では従軍看護婦が増えたために、衛生兵はほとんどおらず、大隊病院でさえ、衛生兵よりも従軍看護婦の方が多い有様に、陸軍師団、海兵師団共に日本軍は陥っていた)
そして、医療部隊のみならず、それ以外の部隊にも女性の採用が、日本軍でも広まりつつあるが。
ソ連や共産中国と異なり、日本軍では、陸海空海兵を問わず、後方部隊のみにしか女性を配置せず、前線部隊に女性を配置しないように、女性が戦死しないように様々な配慮はしている。
そうは言っても、1943年初頭の現在の状況では、男性の軍人だけでは軍隊が成り立たない以上、海兵隊だけで恐らく現在は万を数える筈で、日本全軍なら10万を数えてもおかしくないほど、女性の軍人、または軍属が日本では増えている。
その理由はというと。
単純に言えば、最早、第二次世界大戦以来、いや中国内戦本格介入以来、大量の戦死傷者が生じたことにより、日本本土の男性だけでは、日本軍の兵員数の維持が難しくなっているからだった。
そのために、台湾から志願兵を募り、また、日本本土の女性を後方部隊に志願させることで、前線に赴ける男性の兵員を少しでも増やそうと、半ば涙ぐましい努力をする有様になっている。
そうしたことから、欧州にいる日本海兵隊関係の軍人、軍属の20人に1人は女性に今やなっている。
軍医や従軍看護婦といった医療関係者以外でいえば、後方からの輜重、輸送部隊の女性隊員が多い。
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