第2章ー24
とは言え、それは順調に編制されたものではなかった。
フランス第2外人部隊師団は、紆余曲折の末に編制された。
まず、当初の予定では、この主にドイツ人からなる部隊は、下士官兵はドイツ人で、士官はフランス人で編制されることになっており、最大規模は独立2大隊で、後方警備任務に主に当たることになっていた。
だが、ソ連の欧州本土侵攻作戦が発動されて、対ソ戦争が長引くにつれ、当然のことながら、大量の戦死傷者が出るようになった。
そのために対ドイツ戦で損耗していたフランス軍内部から、外人部隊をもっと前線に投入すべきだ、という声が上がるようになった。
そして、政治思想的に問題がないならば、ということで、更にフランス語に堪能な旧ドイツ軍の尉官クラスも、フランス国旗に忠誠を誓えば、この外人部隊に採用されるようになり。
また、独立大隊を編合、再編制して、フランス第2外人部隊師団は、主にドイツ人で編制されたのだ。
そして、最前線で戦わされることから、玉石混交と一部からは言われるが。
フランス第2外人部隊師団所属のシュナイダー中尉は、元々はドイツ軍の軍人だったが飯が食えることから、フランス外人部隊に志願した口だった。
もっとも、直属の部下の多くも、自分と同様の理由(飯が食えること)から志願した者が多かった。
そして、自分や部下達の手元の兵器は、主にドイツ製だった。
旧ドイツ軍の兵器が、フランス軍に鹵獲され、自分達に提供された物もある。
フランス政府の介入の下、後方警備用に使われるために再生産された筈が、自分達に回った物もある。
周囲の歩兵の主力小銃は、Kar98kだった。
対戦車班は、パンツァーファウストを装備している。
彼らが着用している軍服がフランス外人部隊の軍服でなければ、ドイツ軍の歩兵部隊と見紛うばかりだ。
そして、自分達が搭乗している戦車は、ドイツ国内で生産されたルノー43戦車だった。
これは、せめてものフランスからの温情といってよい措置だった。
ルノー43戦車は、シュナイダー中尉ら、この場にいるドイツ人の戦車兵の多くが信じている噂が本当ならばだが、独仏混血の戦車といって良かった。
それもかなりドイツの血を色濃く持った戦車だったのだ。
噂を信じれば、1938年段階で、Ⅲ号戦車とⅣ号戦車を将来的に統合した中戦車、Ⅴ号戦車をドイツ陸軍が開発しようとしたのが発端だった。
もっとも、この時点では、そう急がれてはおらず、1939年10月にダイムラー・ベンツ社に開発が命ぜられたが、のんびりしたものだったという。
だが、ドイツ陸軍の戦車開発は、急きょ急かされることになる。
1940年春のノルウェー侵攻、更にフランス本土侵攻作戦において、ドイツ陸軍の将兵達は悪夢を見る羽目になった。
「こちらの戦車の主砲弾が何発当たっても、敵戦車には全く効かない」
「こちらの戦車は、敵戦車の主砲弾がどこかに1発当たれば、消し飛ばされる」
「機動力も向こうが上だ」
ドイツ戦車兵にとって、日本海兵隊の誇る零式重戦車は、攻防共に、更に機動力でも勝る悪魔の戦車に他ならず、対戦するたびに惨敗する事態が生じることになった。
(実際の対戦結果は、そうでもなかった、という反論があるが、ドイツ戦車兵の感覚的には上記のようなものだったのだ)
更に、このドイツ戦車惨敗の第一報を聞いたヒトラー総統は、
「我が優秀なゲルマン民族の技術者たちは何をしていた。日本海軍、そう海軍の開発保有する戦車より見劣りのする戦車しか、ドイツ陸軍のために開発できなかったのか」
と激怒して喚くことになった。
そして、ヒトラー総統の厳命で、零式重戦車打倒の戦車としてⅤ号戦車の開発は急がれることになった。
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