第2章ー22
1月26日、事前に移動準備を整えていたこともあり、クリミアのケルチからの移動を果たして、イジュム近辺にスペイン青師団(実態から言えば、軍団と称すべき規模ではあったが、政治的な事情等から、スペイン青師団と対外的には呼称され続けていた)は、集結していた。
その位置は、見ようによっては、ハリコフ救援軍の最右翼を任されたともいえるものであり、それこそ古代から右翼に精鋭が置かれることが多い戦例から言えば、如何にスペイン青師団をフランス軍は高く評価していたか、の表れと言えたが、グランデス将軍ら、スペイン青師団の面々の想いは別だった。
「要するに、ソ連軍のハリコフ救援阻止作戦に際して、フランス軍の盾になって欲しい、ということだな。こんな位置に我々がいては、ソ連軍の横槍、横からの矛先は、我々にまずは向けられる」
スペイン青師団の先鋒を承ったと言えるアラン・ダヴー少佐は、そうスペイン青師団の配置について判断していたし、グランデス将軍らの考えも同様だった。
とは言え、スペイン青師団の立場から言えば、この配置を拒むのは難しかった。
「フランス軍としては、スペイン青師団が精鋭であり、イタリア軍やルーマニア軍と違い、側面を安心して任せられる存在であることの証として、イジュム近辺に配置したい、と南方軍集団総司令官であるジロー将軍に言われては、とても断れない、いや、断る理由が我々スペイン青師団には思いつけないな」
本来はフランス陸軍所属の筈だが、これまでの様々な経緯(初めて関係を持った忘れ難い女性がスペイン人であること等)から、いつかスペイン軍の軍人に染まっていたダヴー少佐は、そんな風に考えていた。
それもあって。
「一つ、悪いことをしてやろうか」
ダヴー少佐は、グランデス将軍の許可を執った上で、一通の電文をハリコフに宛てて打った。
「自らの姓に賭けて、ハリコフに我々は何としてもたどり着く。また、君達と歓呼の声を交わそう。スペイン青師団、アラン・ダヴー」
ルイ・モニエール中尉ことナポレオン6世ら、フランス第1外人部隊師団所属で、アラン・ダヴー少佐と面識のある面々は、この電文を知って喜んだ。
「ダヴー少佐が来る、と言われる以上、必ずや我々の下に来てくださる」
「いや、我々から出向かうべく動くべきだ。実際、空輸作戦成功により、我々の戦力は維持されている」
そんな声まで、フランス第1外人部隊師団内では挙がりだした。
更にこういった声により高まった士気は、ハリコフ籠城軍内部において、出撃の声を挙げさせることにもつながっていった。
フランス人でない外人部隊が、積極的に戦おうと言っているのに、フランス人が出撃して戦わない訳には行かないではないか、という声を挙げさせたのだ。
このため、ハリコフ救援作戦は、事実上は挟撃の効果を上げることにも、後でなるが。
1月27日に発動されたハリコフ救援作戦は、ある程度は予期されていたとはいえ、易々とフランス軍やスペイン青師団の進撃が果たせるものでは無かった。
この救援作戦のために、これまで後方に配置されていたフランス第2外人部隊師団といった異色、異形の部隊さえも投入されたのだが、彼らでさえ、顔色を失うほどの激戦が行われることになった。
ここでフランス第2外人部隊師団というのが出てきた。
確かに外人部隊という点で間違ってはいないが、彼らはある意味、特殊な部隊だった。
この部隊は、自由ドイツ政府内部の事情から編制された、ほぼドイツ民族からの志願兵のみで編制された部隊だったのだ。
ドイツ本国内部の失業問題が完全に解消されていない中、ドイツの失業者の一部はフランス外人部隊に志願して対ソ戦で戦ったのだ。
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