第2章ー10
そんな想いを、上原敏子看護上等兵はしていたが、同じ大隊病院に一緒に勤務していて、上原上等兵の事実上の上官と言える斉藤雪子中尉にしてみれば、この程度のことは、当然に覚悟しておくべきことと言えた。
斉藤中尉にしてみれば、後方からの物資が要望通りに、ほぼ順調に届く現在は、かつてを想えば、天国といえる状況と言って良かった。
それは、かつてフルダ渓谷を巡る戦いにおいて、独軍の猛攻の前に完全包囲下に置かれ、物資の欠乏に苦しみ、一部の将兵を物資不足から事実上は死なせてしまった地獄の経験者の一人であることから、斉藤中尉が言えることではあった。
(それを公言しては、上原上等兵のような新人の従軍看護婦らを、更に心理的に追い込むことになりかねないので、斉藤中尉は、その経験について、基本的に沈黙せざるを得なかったが)
そして、その経験等を積んできた斉藤中尉にしてみれば、自分の耳に入る情報を考える限り、ソ連軍の攻勢は、そろそろ息が切れる段階に入っている筈だった。
米第5軍の防衛線突破に成功したものの、米第3軍の遅滞戦闘を効果的に破ることはできず、航空優勢は日米側が確保して、日米連合軍の昼夜を問わない大規模な航空攻撃により、ソ連軍は自らが流す大量の血と引き換えの攻勢を余儀なくされている。
そこに、日本軍がソ連軍の攻勢阻止に駆けつけて、防衛線を築き、更に反攻態勢を整えつつあるという。
ソ連軍上層部が、まともな考えを持っているのなら、そろそろこれ以上の攻撃は、流す血の量に見合わない結果になると考えて、守勢に切り替えるべき頃合いの筈だ、と斉藤中尉は推測していた。
そう考える一方で、斉藤中尉は、いつか歴戦の士官となってしまった自分のことを、第三者的に見るようにもなっていた。
今となっては第二次世界大戦の初期と言える独仏戦の頃に、自分、斉藤中尉は、欧州に海兵隊所属の軍医として派遣された身である。
それから約3年近くが経ち、(自分としては)恋人、将来の結婚相手として考えている岸総司大尉との交際もあり、いつか軍事に詳しい身に、自分はなってしまった。
今となっては、新人の海軍兵学校を卒業したての少尉よりもマシに、海兵隊小隊の指揮を執れると自負しているし、お世辞もあるだろうが、岸大尉もそれを認めてくれる身である。
そうしたこともあって、軍事的推測が可能に、自分はなっている。
でも、その一方で。
こうしたことに詳しくなればなるほど、自分と岸大尉の仲が遠ざかる気がする。
岸大尉が、自分との結婚に積極的になれないのは、(岸大尉は明言しないし、岸大尉の親友の土方中尉も、自分が明確な答えを求めると、すぐに逃げ腰になるが)岸大尉の母や姉が、女サムライではなかった、女の軍人との結婚はどうか、と反対しているかららしい、と自分は察している。
自分が、岸大尉の母や姉の立場なら、同様に言うだろうな、と思うと、岸大尉の母や姉を非難することは自分にはできない。
厄介だな。
斉藤中尉は、戦場での死闘により、前線から運び込まれてくる負傷した将兵の診察を、テキパキとする一方で、頭の片隅では、半ば自嘲めいた想いをせざるを得なかった。
一生懸命に職務に励めば励むほど、自分の結婚は遠ざかっていくような気がする。
そんな想いを斉藤中尉がしている内に、ソ連軍の攻勢は弱まり、1月25日には、ソ連軍は守勢に完全に転じるようになった。
これに対し、日米連合軍が、積極的な攻勢に転じたか、というと、この極寒での戦闘による損耗もあり、日米連合軍も積極的な攻勢に転じる余裕は無く、この後、双方は睨み合いの戦況となった。
防須正秀少尉が、負傷して大隊病院に運び込まれたのは、その頃だった。
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