第2章ー5
ソ連軍の冬季攻勢の前に、まずは米第5軍が蹂躙され、米第3軍が取りあえずは阻止行動に入ったと言って良かったが、ソ連軍の冬季攻勢は未だに止まる気配が無かった。
そのために、日米の航空部隊は、地上部隊支援に総力を挙げることになった。
「これこそが雷電の本来の仕事だぜ」
菅野直少尉は、愛機の「雷電」を操縦して、ソ連軍の戦車部隊等に対する攻撃任務に従事していた。
菅野少尉の操る「雷電」は後期型であり、30ミリ機関砲4丁を主翼内に収めているし。
「ロケット弾一斉発射」
菅野少尉は、芝居がかった言葉を発し、主翼下に搭載した5インチロケット弾16発を、対空擬装を施し、疎林下に隠れていると自分が判断したソ連軍の戦車集団に対して発射した。
併せて部下達も、同様の行動を執っている。
どうも臭い、米軍の無電情報からすれば、この辺りにいる筈なのに、姿が見えないのは怪しい、と推測したことからの探り射ちだったが。
「やはりな」
戦闘爆撃機からのロケット弾攻撃は、戦車の弱点ともいえる上面を狙うものだが、角度の問題等から、運よく当たったとしても、中々、戦車に具体的な被害を与えるのは難しい。
だから、部下と併せて60発余りもロケット弾を発射したにも関わらず、3本しか黒煙は上がっていない。
だが、味方がやられてしまい、このままでは一方的な空襲を受けるだけ、という現実は、ソ連軍の戦車部隊の猛烈な対空射撃を引き起こした。
しかし。
「そんな豆鉄砲、雷電に効くか」
菅野少尉は嘲笑した。
T-34戦車に搭載された車載機関銃は7.62ミリだった。
12.7ミリ機関銃なら急所を狙わねば、確実に落としたいなら、20ミリ以上の機関砲が必要、と後世の多くの軍事研究家が断言した雷電後期型の装甲板の前に、7.62ミリ機関銃の弾幕は効果を上げず。
「機銃掃射というのは、こういうのを言うのだ」
そううそぶいて、菅野少尉は、対空射撃の激しい場所、つまり、戦車部隊が集まっているらしい場所に、自らの操る雷電に搭載された30ミリ機関砲4丁の猛射で反撃した。
部下達も同様の行動を執ると、更に黒煙が6本増えた。
恐らく戦車9両が炎上した、戦闘爆撃機4機の戦果としては充分だ。
口では部下の手前もあり、高言しまくっていたが、菅野少尉は冷静に状況を判断し、基地への帰還を開始することにした。
部下の3機も、被弾機はあるようだが、全員、無事で還れるようだ。
菅野少尉は、ホッとしながら、帰途に就いた。
このように日本空軍の雷電は、菅野少尉のみならず、他の練達の搭乗員達の攻撃もあり、この戦場ではソ連軍戦車部隊の疫病神と化していたが、他の米陸軍航空隊や日本空軍機も、大なり小なり、ソ連軍の戦車部隊への攻撃に奮戦する羽目になった。
日本空軍で言えば、ほぼ初陣と言って良かった「疾風」戦闘機や、第二線にそろそろ下がることを見込まれていた99式戦闘機まで、爆弾やロケット弾を積んで地上攻撃に加わった。
本来は夜間戦闘機として駆けつけた筈の「屠龍」まで、夜間移動を試みるソ連軍への地上攻撃任務に当たっている。
(元々、99式双発軽爆撃機の後継機として開発されていたところ、夜間戦闘機に半ば転用されたことからすれば、本来の任務であったともいえる)
米陸軍航空隊も、P38,P39,P40といった戦闘機が、爆弾やロケット弾を搭載して、ソ連軍の地上部隊攻撃に奮戦した。
ソ連空軍も、日米連合軍の航空攻撃阻止に血道を上げたが、既に開戦以来の損耗により、質量共に劣勢を否めなくなっていたソ連空軍の戦力では、日米連合軍の航空攻撃を阻むことは困難だった。
ソ連軍の地上部隊は、自らの血で進撃の代価を払う事態が徐々に増えたのである。
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